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ポルトガル日記の最終回です。
ポルトガル7日目は9時10分にホテルを出発し、リスボン空港へ。
出国手続きを済ませて空港の免税品店で最後のお買い物。
ポルトガルの美味しいワインを持ち帰りたいと思ったのだけれど、試飲ができないので、値段と勘を頼りに1本だけ購入(^^;
ところがこれが、帰ってから呑み仲間と飲んだところ、メチャ旨♡
3本買って来なかったことを嘆いたのだけれど、文字通り後の祭りでありました(;_;)
こうしてリスボンを12時10分定刻通りに飛び立ち、フランクフルト経由で8日目の13時5分に羽田に到着したのでありました。
いつもヨーロッパからの帰りに思うことなのだけれど、当然のことながら行きに得をした時差(今回は8時間)を帰りに返すことになり、最後に何だか損をした気分になるのは僕だけでしょうかね〜(^^ゞ
それにしても、エッチャンがポルトガルをえらく気に入って、「住みたい!」とまで言っています(^^;
ポルトガルの人々の素朴で友好的かつ緩〜い性格がエッチャンに合っているみたい(^^)
僕も丘の上の城塞都市オビドスや海辺のリゾート地ナザレはお気に入りの街となりました。
またいつか訪れることができれば嬉しいなと思っています。
それでは、今まで載せられなかった写真を何枚か載っけて、旅の締めくくりとします。
勝利の聖母マリア修道院のマヌエル様式の装飾の一つである地球儀
ポルトの街角。道路が狭いのでオート三輪が活躍しています
お次はポルトのドン・ルイス1世橋にほど近い「壁画」
コインブラ大学構内で北海道のお局様と神奈川のお嬢と一緒に(^^♪
キリスト教修道院のマヌエル様式の塔
ナザレの丘の上から市街を見下ろす
ナザレの夕食のレストランの近くで神奈川のお嬢とお話しするエッチャン
カルダス・ダ・ラーニャの陶磁器ロウサ・ダス・カルダス製のトカゲ(?)が壁面を這っています(^^;
ロカ岬の記念碑
ペーナ宮殿から見下ろしたムーア人の城塞跡
リスボンのホテル近くの「壁画」遠目に観るとムハ(ミュシャ)の絵のように見えなくもありません
最後はツアー参加者が愛煙家の友人のために購入したタバコ。喫煙に起因する様々な癌患者の写真が載せられています(^^;
以上「ポルトガル日記」これにて完結!
今日と明日は雨予報なので薪作りはお休みです。
これで筋肉痛が消えてくれるかな?(^^ゞ
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旅の思い出(海外編)
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ポルトガル6日目は、翌日のお昼にはリスボン空港からフランクフルトに向けて飛び立ってしまうので、ポルトガル観光の実質最終日(;_;)
旅は始まるまでがワクワクと楽しいのだけれど、始まってしまうとアッという間に終わってしまいますね〜(>_<)
この日は朝食を早めに済ませ、北海道のお局様とホテルからすぐの地下鉄オライアス駅へ。
この駅はアメリカの旅行サイトが選ぶ「世界の美しい地下鉄の駅15選」に入っている駅で、僕らにとっては昨年台湾で見た美麗島駅以来2か所目です。
駅構内の装飾にそれぞれお国柄があって面白いですね〜(^^)
ホテルで全員集合後、リスボン観光に向かい、まずバスでベレン地区へ。
バスの中からはローマ時代の水道橋もパチリ!
今日の最初の「公式」目的地はベレン地区。ここには大航海に旅立つ船乗りたちを見送ったベレンの塔があります。
そして発見のモニュメントに向かう途中には、南大西洋を横断した複葉機サンタ・クルス号のレプリカがありました。
大西洋横断飛行というと、「翼よあれがパリの灯だ」で知られるリンドバーグが有名ですが、それより5年前の1922年にこの飛行機はリスボンから南米ブラジルまで大西洋を渡った水上飛行機なのですね〜。
「発見のモニュメント」は1960年にエンリケ航海王子没後500年の記念に作られたもので、エンリケ航海王子を先頭にして同時代の探検家、芸術家、科学者、地図製作者、宣教師らの像が碑の両側に配置されています。
発見のモニュメントの前の歩道には世界地図があるのですが、この地図にはポルトガル人がその地に到達した年が書かれています。そして日本の地図の所には「1541」と書かれています。ポルトガル人が種子島に鉄砲をもたらした1543年ではなく、豊後の国(大分県)にポルトガル船が漂着した年が書かれていました。
次に向かったのは、道を挟んで反対側と言っても良い距離のジェロニモス修道院。
この修道院は大航海時代を切り開いたエンリケ航海王子と、その死後約40年を経てインド航路を発見し、ポルトガルに香辛料貿易による巨万の富をもたらしたヴァスコ・ダ・ガマの功績をたたえて、1502年にマヌエル1世によって着工され、建設資金は香辛料貿易による莫大な利益によって賄われ、マヌエル様式の最高傑作とも呼ばれているそうです。
この修道院を見学している間、ガイドは日本人通訳ガイドの堀さんが担当し、添乗員さんの城いづみさんと現地ガイドのエレナちゃんは、城さんが「世界一美味しい♡」とおっしゃるエッグタルトのお店に並び、僕らに焼き立てのエッグタルトを食べられるように手配してくれていたのです。こういう気づかいが嬉しいですね〜♡
エッグタルトを堪能してからロシオ広場へ。
正式名称はペドロ4世広場なのだけれど、「公共の広場」という意味を持つ「ロシオ」が愛称なのだそうで、中央の円柱の上には、初代ブラジル国王も務めたペドロ4世の像があります。
そこからアウグスタ通りを自由散策し、海辺のコメルシオ広場まで散策し、バスですぐ近くのリベイラ市場を改装したフードコートで自由昼食です。
寿司を含む和洋中様々なお店を見て歩いて僕らがたどり着いたのは「海鮮盛」(^^)
お料理名が判らないので、写真を写して「これ!」って見せたらわかってくれました(^^)v
これはアボガドのペーストの上に小さなサイコロ状に切った刺身に香草や野菜を混ぜ、イクラを載っけた面白い食べ物でした♡
これは我が家でも出来ますね(^^)v 午後は自由行動かオプショナルツアーで、僕らは11名参加のオプショナルツアーで小型バスに乗ってシントラへ。
シントラは「シントラの文化的景観」として1995年にユネスコの世界遺産に登録されました。
この街の中でひときわ異彩を放つのがペーナ宮殿。
1755年のリスボン地震で廃墟となった丘の上のペーナ修道院の無傷だった礼拝堂を利用し、1836年にフェルナンド2世がドイツ人のヴィルヘルム・ルードヴィヒ・フォン・エシュベーケに命じて建築された宮殿です。
見てわかる通り様々な建築様式の折衷で、ゴシック・リヴァイヴァル、ネオ・マヌエル、ネオ・イスラムなんかが混じっていて、摩訶不思議な造りですね〜(^^;
その後街の中を散策。
街からは7〜8世紀にムーア人によって築城され、エンリケ王によって破壊された城塞跡を見上げることもできます。
オプショナルツアーから戻ると、ホテルのレストランで最後の晩餐。
トマトとチーズのサラダ、牛肉のグリル、アーモンドケーキを美味しく頂きました♡
そこに更に添乗員の城いづみさんがカステラ専門店でカステラを購入してきて下さり、みんなで頂きました(^-^)
ほんとうに細かい気配り、おもてなしに感謝感謝です<(__)>
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ポルトガル5日目はナザレからリスボンまで南下しながら、あちこちに立ち寄りました。
まずはカルダス・ダ・ライーニャ。「王妃の泉」とか「王妃の湯治場」「王妃の鉱泉」といった意味を持つ街だそうですが、その名の通りジョアン2世の王妃レオノールが15世紀末に設立した鉱泉病院あるのだそうです。
僕たちはこの街の中心であるレプブリカ広場で毎日開かれている朝市へ行を楽しみ市内を散策しながらお土産を物色しました。
朝市は新鮮な野菜がメチャクチャ豊富で、チーズやパンも種類が豊富で安かったですね〜♡
特にチーズは重くさえなければ大きい塊を買って帰りたかった(;_;)
そしてこの街は19世紀末から陶磁器ロウサ・ダス・カルダスの産地として知られ、レモンやキャベツ、トウモロコシやアボカドなどを模った食器、髭ずらの農夫や、今にも動き出しそうなカエルなどの置物もあり、街角にも陶磁器製の愛嬌のある像が置かれていて楽しいですね(^^♪
次はさらに南下して「谷間の真珠」と呼ばれる、人口800人ほどの丘の上の城塞都市オビドスへ。
その起源はローマ時代に海からの敵の侵入を防ぐために築かれた砦にまで遡ると良い、街の入り口から城塞の外に向かって伸びる水道橋が見られます。
街の入り口はイスラム時代に造られたもので、敵の侵入を防ぐために二重のジグザグ構造になっていて、アーチ型の通路の内側は18世紀のポルトガルのタイルであるアズレージョで飾られています。
そこから城内に入り、中世の雰囲気を色濃く残すディレイタ通りを散策し、15世紀の城を改装したホテル・ポサーダ・カステロ・オビドスの城壁の一角、街を一望できるテラスで写真撮影。添乗員の城いづみさんと3人でパシャ!♡
その後、自由散策とお買い物。添乗員さんに「この街のお土産屋さんは安いよ!」と教えてもらっていたので、あれこれお土産を物色(^^♪
ポルトガルのお土産に多い鶏をあしらった布巾やアズレージョなどを購入。
この鶏「ガロ(雄鶏)」ですが、ポルトガルの「国鳥」でもあり、「奇跡と幸せを呼ぶ鶏」とされているそうです。
帰ってきて調べたら、ビミョーに筋の違うお話が複数あるようですが、添乗員さんから聞いたお話は概略こんなお話しです。
昔々巡礼者が一夜の宿を求めたところ泊めてくれたのが未亡人で、巡礼者に肉体関係を迫ったところ断られ、その腹いせに翌朝巡礼者の荷物に銀食器を紛れ込ませ、彼に盗まれたと届け出たため彼は捕まってしまいます。彼は有罪になってしまうのだけれど、裁判官に「私は無罪です。その証拠に私が処刑されようとするときには聖母マリアの軌跡で裁判官の食卓の鶏が生き返るでしょう」と予言し、実際に彼が処刑されようとしたときに裁判官の食卓の鶏が生き返り、裁判官は慌てて巡礼者の処刑を中止したのでした。
何とも凄いお話ですね(^^;
それからオビドス名物の小さなチョコレートカップに入ったサクランボ酒の甘〜い「ジンジャ」を1ユーロで試飲したりした後、僕たちは添乗員さんお勧めの城壁レストランでバカリヤウ・コロッケ、タコサラダ、バカリヤウ・グラタンなどの昼食を頂きました。このバカリヤウ・グラタンは、日本のようにグラタン皿で焼いたものではなく、大鍋で作っていて、皿に盛り付けられていて、そのことも新鮮でした。大人数の時は、こういう作り方が合理的ですね(^^♪
昼食後は再び自由散策しながら駐車場へ向かい、お次の目的地へ。
カボダ・ロカ。
巨大なユーラシア大陸の西の果てである北緯38度47分、西経9度30分のロカ岬です。
ポルトガル日記<はじめに>
にも書きましたが、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスが叙事詩『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節で「ここに地終わり海始まる」と詠んだ言葉が突端の石碑に刻まれています。
僕はこの詩の一節を題名とした宮本輝の小説を若かりし頃に読んでいて、是非行ってみたい所の一つだったのです♡
その小説の冒頭にも出て来る灯台に隣接してロカ岬観光案内所があり、11ユーロで「最西端到達証明書」を発行してもらえるので、エッチャンと連名で「証明」してもらっちゃいました(^^♪
そしてポルトガル最後に連泊するリスボンへ。
その移動のバスの中で添乗員さんが、今夜のオプショナルに入っている、ポルトガルの民族歌謡といわれる「ファド」の流してくれました。
日本人には「ファド」といっても馴染みが少ないのですが、久保田早紀の『異邦人』がそれだというと、「へ〜!」って思われるかもしれません。また、TV番組火曜サスペンスの謎解きに入る断崖絶壁に向かう場面に挿入されるのが、ファドギターの曲『ドゥースポテッシュ』だっていわれると「あ〜(^^♪」と思われるかもしれませんね(^^)
そしてリスボンのホテルに入り、休憩した後、再びバスに乗ってレストランに夕食に出かけ、ミックス・サラダ、タコライス、アイスクリームを頂きました♡
このタコライスはエッチャンのお気に入りになり、帰ってから我が家の食卓によく登場します(^^♪
再びホテルに帰ってからオプショナルツアーの「ファド・ドリンクショー」に向かいました。
エッチャンと一緒に写っているお2人は、今回の旅の間、同じテーブルについたり、自由散策をご一緒したりと、何かと行動を共にしていた北海道のお局様と神奈川のお嬢です(^^)
ファドは、リスボンのアルファマ地区などの下町で、社会の底辺の人々が親しむ音楽であり、起源には諸説あるようですが、有力なのは、ブラジルでアフリカ人奴隷が親しんでいた官能的な音楽舞踊がリスボンの下町に伝わって広がったというもの。それにほかの音楽的要素が加わり、打楽器を使った舞踊の要素が薄れ、12弦のポルトガルギターやヴィオラと呼ばれるクラシックギターの伴奏で人生を謳い上げるものになり、19世紀にその形式が確立され、庶民の間に広がって現代に受け継がれているようです。
なので、5人の男女がアコーディオンや太鼓などの楽器を演奏し、歌い踊る姿は、より原型に近いってことですかね?
こうしてリスボンの夜は更けていったのです(^^♪ |
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ポルトガル4日目はポルトを出発し、南下しながらやや内陸部に入って、モンテゴ川を渡りコインブラへ。
コインブラは首都リスボン、商都ポルトに次ぐ第3の都市で、文化都市なのだそうです。
丘の上にはパリ、ボローニャ、サマランカに並ぶ伝統を持つ世界遺産コインブラ大学があり、ディニス王によって1290年に設立され、1911年にリスボン大学が設立されるまでは国内随一の学術の中心地で、多くの政治家や官僚、文化人を輩出したそうで、現在でも国内外から優秀な学生が集まっているそうです。
大学に着くと黒いマントに身を包んだ学生たちが、学費稼ぎのため観光客に文房具を売りに来ます。一時期は禁止されていけれど、最近また復活したそうで、文具を買うと記念撮影に応じてくれ、エッチャンは黒いマントを着せてもらってご満悦(^^)
しかし、大学が世界遺産に登録されてから観光客が増え、学生の下宿代が値上がりし、生活を圧迫しているようです。その窮状を訴える学生の落書きが階段や道路に書きなぐられていました。
大学を出て急坂の旧市街を下り下町へ。
旧大聖堂を過ぎると、階段に「洗濯女トリカーナの像」があります。その昔、近くのモンテゴ川で洗濯をする女性たちは風物詩で、その様子をフランスの人気シャンソン歌手イヴェット・ジローが歌って一躍有名になり、この像ができたのだそうです。
ヨーロッパの街の多くがそうだけれど、街の片隅にヒッソリと佇む彫刻たちが面白いですね〜。ギターを主題とした女性像があったりします♡
この街の喫茶店には日本の「金平糖」の原型である「コンフェイトス」を売っています。コンフェイトスは元々はお店で売るようなものではなく、結婚式の時に子どもたちが「ライス・シャワー」のように撒いてお祝いしたものなのだけれど、それが宣教師によって日本に伝えられ、教会に行くと甘いものが食べられるということで布教が進む一助になっていたようです。
そしてこの15年ほど、日本からの観光客が増え、コンフェイトスの需要が高まり、始めは予約生産だったものが常時量り売りされるようになり、今では袋詰めにして売られるようになったのだそうです。
コインブラ観光後は郊外のコンデイシャの街のポサーダで昼食休憩。豆のスープや豚肉とアサリの炒め物である郷土料理のポルコ・アレンテジャーナなどを頂きました(^^♪
次に向かったのは、やはり内陸部のトマール。でも、ここには泊まりません(^^;
ここで見学したのはキリスト教修道院。
1147年、リスボン北東のサンタレンをイスラム勢力から奪回したテンプル騎士団は、その功績によりアルフォンソ1世から土地を与えられ、堅牢な城塞と聖堂を築き、ポルトガルでの拠点としました。
しかし1312年に全ヨーロッパでテンプル騎士団の活動が禁止され、ポルトガルのテンプル騎士団はキリスト騎士団に改組され、イスラム勢力のムーア人に対する防波堤の役割を果たします。
その後1417年から60年に騎士団長を務めたエンリケ航海王子が大航海時代の先駆けとなり、ポルトガルの大航海時代を支えた騎士団でもあるのですね〜。
次に向かったのは大西洋に面したリゾート地のナザレ。
ナザレというと「ナザレのイエス」と呼ばれたイエス・キリストの育ったイスラエルのナザレを思い出してしまうのだけれど、実は4世紀にロマノという僧がイスラエルのナザレから聖母マリア像をこの地にもたらしたことから、この地がナザレと呼ばれるようになったそうです。
大西洋を見下ろす丘の上のシティオ地区でノッセ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会やメモリアル礼拝堂などを見学し、街を散策してからケーブルカーでホテルのあるプライヤ地区に移動してホテルで休憩し、18時47分ごろ大西洋に沈む夕日を見ながら海沿いのレストランに向かったのですが、残念ながら雲が出てしまい、燃えるような夕日を眺めることができませんでした(;_;)
夕食は追加で出された、レストラン一押しのフィッシュスープ、イワシのグリル、焼きリンゴ。
イワシはポルトガル人の大好物で、イワシを模った陶製品やイワシの絵が描かれたTシャツなんかがあるくらいなのですね〜(^^)
焼きリンゴも酸味がしっかりしていて美味しかった(^^♪
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しばらくお休みしていた「ポルトガル日記」再開です(^^♪
ポルトガル3日目は、国境を越え、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで日帰り旅行でした。
サンティアゴ・デ・コンポステーラは、エルサレム、ローマに次ぐキリスト教3大聖地の一つ。西暦813年に聖ヤコブことサンティアゴの墓がこの地で発見されたことから聖地となり、ヨーロッパ各地から多くの巡礼が訪れるようになったそうです。そしてスペイン国内の巡礼路が1993年にユネスコの世界遺産に登録されたことから、巡礼者が多くなったそうなのです。
ところで、サンティアゴ・デ・コンポステーラのあるスペインのガリシア地方は1年間で雨が220日も降るといわれるほど雨の多い所だそうですが、今回も晴れ男・晴れ女の威力を発揮して、若干降られた程度で、行動中はほとんど傘をさすことなく観光することができました(^-^)
まず国境を越え、サンティアゴ・デ・コンポステーラ郊外の「歓喜の丘」に到着。ピレネー山脈から約900キロを歩いてきた巡礼者は、ここで初めてサンティアゴ・デ・コンポステーラの姿を目にし、歓喜するのです。
この丘には巨大な巡礼者像とヨハネパウロ訪問記念像、スペイン日本国交400周年記念碑がありますが、なぜかこの記念碑の敷地内に様々な靴が置かれるようになって、これがいかなる理由なのか謎なのだそうです(^^;
そこからバスで旧市街地に入ってガリシア料理の昼食休憩。ガリシア風ケールとポテトのスープ、サーモンのグリル、サンティアゴ・タルト、追加のガリシア風タコ料理も素朴な味わいで美味しかったですね〜♡
食後は市内を歩いて観光しながら大聖堂へ向かいます。
まずアラメダ公園を散策。
公園のベンチにはスペイン文学者のラモン・マリーア・デル・バジェ=インクランさんがデンとお座りあそばしていて、そのベンチのあたりからの大聖堂の見晴らしが素晴らしいのです♡
また、公園の中には奇抜な服装の「2人のマリアさん」の銅像があります。
このお2人は、スペイン内乱の時代に考え方が左翼的であるということで迫害されたのだけれど、毎日午後2時からこの奇抜な服装で公園内を散歩することにより、当時のスペイン社会を覆っていた保守的文化に抵抗していたのだそうです。
勇気がありますね〜(^^♪
公園を出て旧市街の繁華街を散策し、現在図書館になっているサンティアゴ大学フォンセカ宮殿、オブラドイロ広場で巡礼の終点であることを示す「貝殻マーク」を見、大聖堂の中に入りました。
9世紀初頭に聖ヤコブの墓が発見されてからこの地に最初の聖堂が建てられたのだけれど、997年にムーア人によって破壊され、1075年に再建が始まり、基本となるロマネスク様式に精巧なバロックとゴシック様式の装飾を施した、絢爛豪華な建築物です。
中に入って階段を上ると中央祭壇の真ん中にある聖ヤコブの像に後ろから抱き着いて参拝ができるのだけれど、祭壇内や地下で見ることのできる聖ヤコブの銀のお墓は撮影禁止なのですね〜(--;
ということで、大聖堂内や周辺の街をしばらく散策して再集合し、ポルトガルのポルトへ戻り連泊です。
この夜はホテルでバイキング。
野菜や豆類、バカリヤウ、豚肉などのお料理が美味しかった〜♡
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