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太田和彦氏と明治屋 ケータイ投稿記事

阿倍野明治屋のことは過去二回書いた。
今日は親の介護を兄弟にまかせられたので、久々に行ってみる。
夜はうるさい客もいて好きではないが、とにかくおいしくお酒をいただく。
今日も隣の年配のカップルの女性が大声で騒ぎたてて、うるさくてしょうがない。
「あまから手帳」を見てきたという。有名になるのは結構だが、こんな客が増えるのは迷惑な話だ。

店の人が言うには、一昨日、太田和彦氏が店にきたという。
太田和彦氏と言えば、「明治屋」を自著で日本三大居酒屋の一つにした人である。
明治屋が繁盛しているのは彼のお陰であるが、果たして店の為にはどうだったのか、
彼の著書以前からの常連としては、疑問に思うところである。
こういう店は、その日の稼ぎで、疲れを癒やすために、ささやかにいっぱい呑む店である。
確かに大阪においても貴重な良い店ではあるが、居酒屋の「聖地」にされて、おじさんとしては、困ったものだと思う。
この点、一度太田氏と飲みながら話してみたいものである。

昭和13年創業の老舗居酒屋、阿倍野「明治屋」の三代目主人だった 松本光司さん は昨年2008年4月13日にお亡くなりになった。
実は、そのことを知ったのは今年2月の初めになってからだった。

私はちょうどその当時、昨年9月に逝った父の介護で、月に一度も明治屋には行けない状態だった。
更に、もう30年も通っている店だが、静かに飲むのが好きなので店の方とは挨拶程度で、あまりしゃべることもなく、気づくのが遅れたのだ。

5年ほど前から、仕事をやめたり再就職をしたりで、私が店に行く時間が早くなったので、あまりお会いすることもなくなっていたが、たまに店の奥で中の仕事をなさっているのが見えていた。少しお疲れなのかなという感じはあったが、まだ逝かれるとは思ってもいなかった。

昨年初めに創業70周年を迎え、私もブログにそのことを書いたが、それをアップする直前にお亡くなりになっていたことになる。本当に突然だったようだ。

享年64歳で、まだまだお若かった。
三代目はお酒は飲まれなかったとのこと。優しい目で、いつも穏やかな物腰だったが、決して客に媚びることはなく、騒いでいる客がいると、他の客に迷惑なので静かにしてくれるようにと、穏やかではあるが少し強い調子で注意しておられた。

私が来ているのを見つけると、近くまで来られて頭を下げられるので、こちらも丁寧にお辞儀を返すというのがいつものやり取りだった。
ごくたまに世間話をすることもあったが、こちらの了見をわかっていらっしゃるので、いい意味で放っておいてくださった。
ただ、そろそろ注文だという頃合には、ちゃんとこちらに気を配っていて「お酒!」なんて言わなくとも徳利を少し持ち上げるだけで、ちょうどよい燗酒を出してくださった。プロだなあと思っていた。

うまく言えないが、この30年、明治屋でゆっくりと飲みながら考え事をしたり、ボーっとしたりする時に、三代目がカウンターの中にいると何となく安心できたものだ。
精神的に辛い時期も何度かあったが、その都度、この店で気持ちの整理ができた。
そういう意味では、三代目には本当にお世話になったのだ。

昨年の初めだったか、NHK大阪ローカルの夕方のニュース番組で、再開発で消え行く阿倍野の特集をした際に、「明治屋」にもカメラが入り、客の様子などが収録された。実は取材の当日、私もそんなことは知らず、店に行ったのだが、ほぼ撮影は終了していた。しかし、カメラはまだ据え付けられていた。
イメージ 1

この番組で、三代目もインタビューに答えて、できるならこの場所でこのまま店を続けたいというようなことをおっしゃっていた。お客さんあっての店だとも…

立ち退きがいよいよ現実の問題となってきた時期に、亡くなられたのも、何となく「店とともに」という感じがして、三代目らしい逝かれ方だったのかもしれない。
そのことを知った店からの帰り、ほとんど更地になった阿倍野筋の西側を眺めながら、ショックで何ともいえない気分になった。

ご命日の今日、仕事を昼から休み、一番に「明治屋」へ行ってみた。
他に客もいなかったので、三代目の娘さんと、三代目の思い出話をしてきた。もちろん飲みながらだが。
癌で亡くなられたそうだ。周りの方々もそんなことになるとは思ってもおられなかったらしい。本当に惜しいことだ。

私にとって、三代目のいる「明治屋」は心のよりどころだった。三代目が亡くなられ、早くて後一年半くらいで「明治屋」は立ち退きになる。
まあ、それまでは頻繁には行けないが、せっせと休みを取りながら、昼酒を飲みに行きたいと思っている。

私にとって素晴らしい場所を提供してくださった阿倍野「明治屋」三代目主人・松本光司さんに感謝の気持ちを捧げるとともに、ここにあらためて哀悼の意を表します。

知らなかった。
10年ちょっと通っていた天王寺のジャズ喫茶『トップシンバル』が今年8月末に閉店していた。
大阪からどんどんジャズ喫茶がなくなっていって、行き場がなかった私にとって、ここはオアシスのような場所だった。
これで、ちゃんとした大阪のジャズ喫茶が絶滅したと言える。とてもショックだ。

今年は2回ほど行ったが、その後、2ヶ月ほど前に行くと、店に降りる階段が通行止めになっていた。何か都合でもあって休んでいるのだろうと思っていたが、半月ほど前に再度行くと、やはり同じ状態だった。これで、店をたたんだのではないかと悟った。

ネットで調べてみると、8月末に閉店したとのこと。
最後に行ったときは、マスター、何も言っていなかったのに…

いつも店に続く階段を下りていくと、ドアを通してジャズが聴こえてきて、入る前からウキウキしたものだ。
最近はおしゃれなジャズの店が多くなってきたが、結構な値段の食事や高級なお酒を出したりして、ジャズ好きがジャズを聴きにいくといったことから外れてしまっているように思う。
『トップシンバル』はそういう点でも良心的だった。

薄暗い店でマスターが一人、店を切り盛りしていた。
マスターの後の壁には大量のレコードがあり、リクエストすると即座にそれが出てくる。たいしたものだった。

店の人に話しかけることはしない私だが、はじめにマスターのほうから「何かリクエストは?」ときいてくれた。それ以降、行くたびに、ほぼ一曲はリクエストをきいてくれていた。
私がジャズギターを弾くことを知ったマスターが、リクエストもしていないのに、気を利かせてギターもののレコードをかけてくれたこともあった。

このマスター、ジャズについては強いこだわりがあって、変なものをリクエストしようものなら、たちどころに機嫌が悪くなる。例え、レコードがあり、かけてくれても、何となく機嫌が悪いのがわかる。
メインストリームジャズのレコードが中心で、ヴォーカルものはおいていないと言っていた。
聞くところによると、気に入らない客は追い出したりしたこともあったそうだ。
さすがマスター!

昼間は喫茶で夜になるとアルコール類も出す。ずっと前は昼間でもアルコールを出していたと、ある先輩が言っていた。
私は、前職の現役時代は阿倍野『明治屋』で飲んだ後にここに寄って、月に1〜2回、気持ちよいジャズを聴きながら、スコッチのソーダ割りを何杯も飲んで、2〜3時間くらい過ごしたが、大阪から離れ、仕事もやめて親の介護もあったので、最近は数ヶ月も間が開いてしまうことが多かった。
行っても長い時間はいられないので帰ろうとすると、「もう帰るの?」とマスターに言われたりした。

ジャズは好きだが、そんなには詳しくない私が、ここで聴いたレコードが気に入って、CD化されたものを手に入れたりもした。
いい勉強をさせてもらった。

そんなこんなで、突然のことでもあり、閉店を知らなかったということもあって、何とも心が寒い。

最近は9月に父が死に、その月末には以前紹介した阿倍野『明治屋』の為だけに「松竹海老」を作っていた灘の蔵元が廃業して、もう二度と飲めなくなり、2年以内には『明治屋』もあの場所から立ち退く。そして『トップシンバル』閉店と悲しいことが続く。
ひとつの時代が消えていこうとしているのだろう。

今さら遅いが、そんな『トップシンバル』のことを書いてみたくなって書いてみた。

奈良に移り住む前に、移住したかったところがある。
尾道である。

もう20年以上も前、急に思いついて新幹線に飛び乗って尾道へ行った。
尾道水道沿いの海岸には小さな飲食店がひしめくようにあったり、階段状の雁木が波に洗われていたり、千光寺山からのきれいな眺めなどは、疲れた心に何か微妙な変化をもたらしてくれた。

それから年に1〜2回は尾道通いを続けてきた。
仕事やしがらみもあり、結局、移住はできなかったが、行きやすいように新幹線の駅近くに住まいを移し、十数年、そこで過ごした。
始発か2番目の新幹線に乗れば、高校生が自転車に乗って通学する時間には尾道に着く。
それで一泊か二泊して帰るということを繰り返していた。
イメージ 1

奈良と尾道の共通点がある。
歴史が古く、多くの文人墨客に関わりがあり、景色もきれいで寺も多いことはもちろんだが、志賀直哉の旧居があることでも同じである。
彼が尾道に住んでいたのはまだ若い頃。奈良はだいぶ後で、時期は違うし尾道に住んだのはわずか3年だけだった。
尾道の直哉旧居は尾道文学館として一般に公開されている。

余談だが、この尾道文学館には、昔は映画「さびしんぼう」の等身大人形があったが、いまはどうだろう。
この人形は大阪・守口市で作られたのだと、シルバー人材センターから派遣されているおじさんが説明してくれたのを憶えている。

直哉は9年間、あの自分で設計した奈良・高畑の旧居に住んでいた。その前の4年間も奈良の幸町で借家生活をした。
つまり、通算13年も奈良で生活をしていたことになる。この間に「暗夜行路」を完成させ、「万暦赤絵」など作品も残した。

尾道と奈良。
そんな志賀直哉のことはまったく意識せずに、私も奈良に住むようになったというのは、不思議な気もするし、同じように両方に住みたいと思ったのは面白いことだと思う。
更に、最近知ったのだが、奈良公園の浅茅ヶ原は直哉のお気に入りの場所で、子どもを連れてよく遊びに来ていたそうだ。私も奈良公園の中では、浅茅が原が好きなので驚いた。

そういえば浅茅ヶ原の「江戸三」には、直哉の友人など、文人墨客が多く投宿していたそうだ。
例えば、小林秀雄、藤田嗣治、小出楢重などである。
ついでながら、小林多喜二は高畑の直哉の家を一度だけ訪問したことがある。

最近ではテレビドラマ『鹿男あをによし』が浅茅ヶ原でも撮影されたし、昔、宮本武蔵の映画もここで撮られたと聞いたことがある。

尾道といえば、ここしばらくの間に急に変わってしまった。
ホリエモンが選挙に出て尾道で演説していた少し前くらいからだろうか。
駅前や海岸沿いが整備され、独特の景観を見せていた雁木や海岸沿いの小さな店も無くなり、見た目はきれいになったが、何か違う気がしていた。
その土地の人が便利になり、それで幸せであれば、どんな変化でも良いし、よそ者がとやかく言うことではないが、自分が尾道に住んでいたら、こういうのはきっと、もろ手を挙げて賛成はしなかっただろうと思った。

極めつけは、あの映画『男たちの大和』である。
対岸の向島で撮影に使った戦艦大和のオープンセットを残し、入場料を取って見世物にしたのだ。
これについては尾道出身の映画監督大林宣彦氏も嘆いていて、それがあるうちは尾道には帰らないと言ったほどだった。
脚本家が降りたりして、色々もめた映画である。
私も最後に尾道に行ったときに、その映画の題名が書かれたノボリがいっぱい立った駅前のデッキから、対岸のそれを見たが、なんともおぞましい気がした。美しい景色も台無しである。
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それで、一泊だけして避けるように「しまなみ海道」をバスで渡り、四国に入った。
バスの中で、もう尾道には来ないかもしれないなと、何となく思っていた。
あれから、一度も尾道には行っていない。

奈良の行政も平城遷都1300年祭のことで、尾道のような思い違いをしなければ良いと思うのだが。
少し前の記事で書いたように、これまでに私がもっとも頻繁に通った店が、
阿倍野の居酒屋『明治屋』である。

以前、「鹿男」ロケ関連の記事で奈良の居酒屋『蔵』について、『明治屋』に雰囲気が少し似ていると書いた。
しかし、ここは『蔵』よりも歴史は古く、今年創業70周年になる。置いてある酒もまったく違う。

もうここには30年くらい通っている。
大袈裟に言えば「喜びも悲しみも『明治屋』とともに」という店である。
大阪にいるときは、週に2回くらいは通っていたものだ。
奈良に来て不便になったことがいくつかあるが、そのひとつが、この明治屋通いだ。
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知る人ぞ知る「日本三大居酒屋」のひとつ(だそう)だ。あとの二つは知らないが(笑)
確かに、これまで多くの雑誌やテレビで取り上げられていて、全国居酒屋本の類にも、
大阪の居酒屋といえば、まず載っている。だから関東方面からの客も多い。

にもかかわらず、店主は驕ることなく淡々と酒肴を供し、常連客はひとり、ゆっくり黙々と適量の酒を楽しみ、サッと引き上げる。グダグダ深酒をしたりはしない。
混んでくると、黙って後の客に席を譲って店を出る。若い頃は、こんな、地味だが粋な飲み方に憧れたものだ。
さて、今、そんな飲み方ができているだろうか。
行儀の良い大人の酒好きが飲みにくる所だが、最近、ここ何年かで少し客筋が変わり、
ややマナーの悪い客も来るようになったのが残念だ。これも時代なのか。

先代はマナーの悪い客に対しては厳しかったようで、飲みすぎの客には酒を売らなかったという。
今の主人も穏やかな優しい人だが、それでも、騒ぐ客や飲みすぎの客には注意をしているところを見たことがある。
「店は客が作り、客は店が作る」という言葉どおりの店である。

「お酒」と注文すると、ここでしか飲めない灘の酒「松竹海老」を樽から容器に移し、更にそれを一合枡ではかり、この店独特の酒燗器(これも年代ものの見事なもの)で飲み頃に燗をして、店名が書かれた特製の薄手のガラス徳利に入れて出してくれる。
一合370円也。甘口だが、さっぱりしていて後口がよい旨い酒である。

酒は燗に限る。私は夏でも燗である。もちろん冷(ひや)でと言えば、この酒はそのまま常温で出してくれる。
他の酒はともかく、この酒に限っては冷蔵庫で冷やすなんてことはしない。

「神亀」や「秋鹿」など各地の地酒が沢山置いてあって、それは冷蔵庫で冷やしてある。
他店では飲めないものもあるが、私は滅多にそれらを飲まない。
壁には酒や焼酎の銘柄を書いた紙が沢山張ってあるが、昔はあんなになかったと思う。
以前、ある店員が「大体のお客さんは、ほかの酒に浮気をしても、最後は『松竹海老』に戻ってくる」と話していたことがあった。
そういう酒なのだ。

アテは黒板に沢山書かれてあって、注文するとあまり待たせることなく出してくれるのがありがたい。
名物は「湯豆腐」、「自家製シュウマイ」など。
湯豆腐は昔とは器も豆腐の様子も微妙に変わっているように思うが、出汁の旨さは不変だ。
以前は「じゃこ豆」というのがあった。
小魚が取れなくなって小エビにしていたがそれもなくなってしまった。絶妙のアテだったので残念だ。

もっと色々『明治屋』のことでは書きたいことがあるのだが、キリがないので後日またということにして、まずは、
『明治屋』創業70周年おめでとうございます!
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なお、阿倍野再開発のため、この場所では後2年ほどの営業になるようだ。
この雰囲気とおいしい酒を味わいたい方はお早めにどうぞ。
←これは70周年記念に店から常連客へのいただきもの。確か、50年のときもいい物をいただいたと思う。
なお、阿倍野『明治屋』に関する記事や画像はほかのブログやホームページにもたくさんあるので、興味のある方は検索して、そちらをご覧ください。(←なんと不親切な説明)
地図入りで説明してあるものが多いですが、ここでは自分で探して行ってもらう方が、きっと酒がおいしく飲めると思うので、あえて説明しないことにします。

それでは、明治屋でよい時間を過ごしてください。

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