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中仙道・大湫宿 2
撮影地:岐阜県瑞浪市
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
大湫宿史の中で一番の大事件に挙げられるのが、文久元年(1861年)10月の『皇女和宮御降嫁』である。
相次ぐ外国船の来朝による鎖国か開港かの国難を乗り切るために考えられた『公武合体論』によって「国のためになるのなら…」と、仁孝天皇第8皇女であった和宮は、14代将軍徳川家茂のもとへ降嫁されることになった。 和宮、この時16歳・・・
10月20日京を発ち、9日目の同月28日に大湫宿に1泊、江戸へ向かった。 御降嫁の行列は、朝廷から差副えの宰相典侍局(さいしょうてんじのつぼね)や生母観行院(かんぎょういん)などのお局・女官、中山・橋本・菊亭・坊城・千種・北小路・岩倉などの供奉公卿、それに若年寄加納遠江守以下の幕府のお迎役ほかの供奉諸家らで総勢約5,000人。 その行列の継立のために大湫宿に招集された人馬は、何と2万8千人と馬820頭。 行列は、前後4日間に分けて連日行われ、合計3万3千人余の人々が、宿泊・食事・行列をしたと文献に残されている。 さて、その和宮は文久元年10月28日、大湫宿の本陣(旧大湫小学校校庭)に宿泊し、翌日大井宿(恵那市)を経て、中津川宿に1泊し、さらに三留野・上松・薮原・本山・和田宿泊りといった道中で、11月15日無事江戸到着。25日間、その間の継立は、人足約60万人・馬1万5千疋という大継立てが終わったもので、古今・東西未曾有の大嫁入りの行列であった。 和宮は道中、京を偲びながら、その胸中を次のような歌で詠んでいる。 |
中仙道
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あ、そうか、南アルプスのブログで知り合った山野草のカメさんが、よくこの続きのお話しをやっていましたから、多分、この道から皇女和の宮は、トンネルを通ったんだろうなあ。
和歌から流れるような絵巻物の美しさを想像されます。
写真からイメージが流れるように表現されていますね。護摩祭壇なんですか、煙となって過去を呼び起こすようです。傑作
2012/1/12(木) 午前 11:38
いらくささん、今晩は。
中仙道も岐阜県のほんの一部だけですが、皇女和宮の歴史の話が残っています。
やっぱり歴史街道の散策は楽しいです。
傑作ボッチ、有難う御座います。
2012/1/17(火) 午後 10:11