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龍池山 弘川寺 真言宗醍醐派 準別格本山 「西行法師終焉地」
撮影地:大阪府南河内郡河南町弘川
鐘楼と護摩堂
本堂
御影堂
護摩堂
鎮守堂
時じくに 松風のおと すみひゞく 西上人のおくつきどころ
佐沢 波弦 西行堂
年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山 西行 川田 順揮毫
Nikon D300・AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)
弘川寺は、天智天皇代、役行者によって開かれた寺院と伝えられています。また、大干魃のあった天武天皇の代、弘川寺にあった役行者に、雨乞いの祈祷をせよとの勅願があり、役行者はそれに見事答えて雨を降らせたといいます。そのため、天皇はみずから弘川寺に行幸し、以来勅願所となった、という伝説もあります。
弘川寺では、奈良時代の高僧、行基菩薩もこの地で修行したとも伝説されています。また、弘仁三年(812)には、嵯峨天皇の勅命によって弘法大師空海が中興したとも伝えられ、現在弘川寺には、弘法大師を祀る御影堂があります。確かであるのは、平安末期は文治四年(1188)、後鳥羽天皇の病気平癒の為、弘川寺に住していた空寂上人は、宮中で「尊勝仏頂法」を厳修。その功績によって、弘川寺奥の院として「養成寺」が建てられるなど、弘川寺は全盛期を迎えます。歌人として有名な西行法師は、空寂上人を慕って文治五年(1189)に来山。翌年2月16日、この地で73歳で死去しています。いよいよ隆盛を極めた弘川寺も、寛正四年(1463)に兵火によって全山焼失。やがて弘川寺のみ復興されました。近世は西行法師を慕ってやまず、弘川寺に西行堂を建てるなどして「今西行」と呼ばれた歌人、似雲法師があります。
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空海(真言宗)
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西行記念館は、確か春と秋にだけしか開かないと思います。
記念開館できて10年は、経っていると思います。その間、住職も変わられたように思います。
修験道の寺って、歩きながら何かを考え、日常の喧騒を一時的にでも忘れさせてくれるのがよいので行くのですが、
実際は何もわかっていないのです。わたしは・・・
2018/1/27(土) 午前 10:19
いらくささん、今晩は。
さすがに行った時期が12月末だったので参詣者はいませんでした。
西行の真筆を見たかったのですが残念でした。
こんな山の中にある寺だとは思いませんでした。
奈良・京都までは行けても大阪まではなかなか行けません。
ナイス、コメント有難う御座います。
2018/1/28(日) 午後 11:13