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萬燈山 長圓寺 曹洞宗
撮影地:愛知県西尾市貝吹町
Nikon D800・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
本堂
板倉家一族の墓所および板倉勝重の霊廟・肖影堂に至る参道の脇に据えられた大型の手水鉢。自然石の姿を生かした姿で、背面には勝重の座右の銘「苟日新日日新又日新」と、亡き父・勝重の菩提を弔うために寛永7年に長子重宗が奉納した旨の刻銘がある。刻銘の文字は江戸時代初期を代表する多才な芸術家・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の筆による。京都所司代を務めた勝重、重宗父子と光悦の親交の様子は『本阿弥行状記』などに詳しい。
桁行三間、梁間三間、宝形造本瓦葺。長圓寺は江戸時代初期の京都所司代・板倉勝重とその子孫である板倉六家の菩堤寺。勝重七回忌にあたる寛永7年に長子重宗が現在地に移転し、伽藍の整備を行なった。簡素で品格のある姿の肖影堂の内部には作り付けの厨子が据えられ、勝重の遺骨を胎内に納めた勝重像を安置している。堂正面の扁額「肖影堂」は石川丈山の筆による。
板倉勝重墓所
長圓寺(ちょうえんじ)は、江戸時代初めに京都所司代として活躍した板倉勝重とその一族の菩提寺として、寛永7年(1630)に創建されました。お盆の「かぎ万灯」や桜の名所として知られる万灯山麓にある閑静な禅刹です。
家康によって慶長5年(1600)に京都所司代に任ぜられた勝重は、いまだ豊臣方や朝廷、寺院などの勢力の強い京を堅実に治め、幕府による支配体制を確立しました。勝重は19年、長子の重宗は34年にわたって所司代を務め、ともに名所司代と讃えられました。また庶民からは名奉行としても親しまれ、本阿弥光悦、安楽庵策伝、石川丈山、松花堂昭乗、松永貞徳ら、多くの京の文化人、知識人らと身分や立場を越えた親交を結び、スポンサー的役割も果たしました。
長圓寺境内には、寛永7年(1630)に建てられた山門(市文)、勝重の霊廟である肖影堂(県文)や板倉6家の代々の当主と夫人の墓塔が林立する墓所、文化13年(1816)に永平寺の大工棟梁によって再建された本堂があります。また、本阿弥光悦筆の銘のある手水鉢(市文)、石川丈山筆の扁額「肖影堂」など、京の文化人たちの作品も見ることができます。
西尾市HPより
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道元(曹洞宗)
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ナイスです 👣
2019/7/1(月) 午後 4:45