四季の旅人写真館

四季折々の日本の原風景と花の写真を撮影しています。本ブログ掲載の画像は著作権を放棄しておりません。

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人穴浅間神社

人穴富士講遺跡
浅間神社
撮影地:静岡県富士宮市人穴




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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D




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人穴浅間神社
かつては「光きゅう寺(こうきゅうじ)大日堂」があったとされるが、神仏分離令を受けて廃され、「人穴浅間神社」が置かれた。
昭和17年(1942)に少年戦車兵学校の開校に伴い地区の山野が演習地となり浅間神社も移転したが、昭和29年に復興された。現在の社殿は平成13年に建立されたものである。



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洞穴内には、祠と碑塔3基と石仏4基が建立されている。
洞穴は、南西の端が進入口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口から約20mの位置に祠が、30mの屈曲部手前中央には直径約5mの溶岩柱がある。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞していると考えられている。

※安全対策を行った一部区間については入洞可能です。(洞穴内に入るには事前申込が必要です。)
文化財保護、安全上の問題から無断で入らないようお願いします。


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人穴浅間神社の境内地には、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在する。
18世紀中頃から、江戸を中心に富士講が隆盛すると、人穴は霊地(西の浄土)として信仰されるようになり、18世紀末以降、現在の東京都・埼玉県・千葉県を中心とした関東地方の富士講信者によって「墓碑供養碑」「祈願奉納碑」「顕彰記念碑」などが建立された。講(枝講)ごとにまとまって建立されており、刻銘から、各講の歴史や構成地域を知ることができる。


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人穴富士講遺跡は、人穴浅間神社の境内にある。ここには、犬涼み山溶岩流内にできた長さ約83メートルの溶岩洞穴「人穴」と富士講講員が建立した200基を超える碑塔等がある。また、ここには、甲州街道や山梨県郡内地方に通じる郡内道(人穴道)が通っていた。

『吾妻鏡』には人穴探検の様子が描かれている。この人穴探検談は、後に浅間大菩薩の霊験譚「人穴草子」としてまとめられ、近世には富士講の隆盛もあり広く普及した。また、『吾妻鏡』には、人穴は「浅間大菩薩の御在所」とあり、当時人穴が富士山信仰に関係する場所であったことがうかがえる。

富士講の資料によると、江戸の富士講の開祖長谷川角行は、人穴に篭って修行し、仙元大日神の啓示を得たとされる。角行の教えは、江戸時代中期以降、江戸を中心に広まり、数多くの富士講が組まれた。また、角行は人穴で亡くなったとされ、人穴は富士講の浄土(浄土門)とされた。このため、人穴は角行の修業の地・入滅の地や仙元大日神のいる場所として信仰を集め、参詣や修行のために人穴を訪れる講員も多く、人穴は先達の供養碑や記念碑などの碑塔を建立することも多く行われた。

また、近世、人穴には、光きゅう寺(大日堂)があったとされる。光きゅう寺は修行者の世話をする施設だと考えられており、赤池家が管理していたとされる。赤池家は、この他、溶岩洞穴「人穴」やその周辺を管理し、参詣者の案内や修行者の世話、お札・御朱印の授与、碑塔建立の世話等を行っていた。

明治初年の神仏分離令・廃仏毀釈により、光きゅう寺(大日堂)は廃され、人穴浅間神社が置かれた。昭和17年(1942)には付近が軍用地として接収されたため周辺住民とともに人穴浅間神社は移転し、昭和29年(1954)現在地に復興した。なお、富士講の衰退もあり、碑塔の建立は昭和39年(1964)以降行われていない。

                                  富士宮市HPより







瑞林寺

福寿山  瑞林寺   黄檗宗
撮影地:静岡県富士市松岡




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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D



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鐘楼



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毘沙門堂



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本堂



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大願王殿



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福寿山瑞林寺は静岡県富士市松岡に境内を構えています。瑞林寺の創建は不詳ですが当初は天台宗寺院で清泰寺と称していたと伝えられています。天正年間(1573〜1592年)、富士川の大洪水により境内が大きな被害を受け衰退しますが、正保2年(1645)、当時の駿河代官古郡孫太夫重政が清泰寺を現在地に移し再興し寺号を天岳寺に改称し臨済宗に改宗しました。さらに延宝2年(1674)、重年(重政の子)が鉄牛禅師(黄檗三傑)を招いて瑞林寺に寺号を改称し黄檗宗に改宗しています。富士横道観音霊場第28番札所。駿河国地蔵尊霊場第23番札所。山号:福寿山。宗派:黄檗宗。本尊:地蔵菩薩。







本光寺

霊瑞山   本光寺    日蓮宗
撮影地:静岡県静岡市清水区由比




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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D



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六老僧白蓮阿闍梨日興を開基となし、日興のご母堂、妙福尊尼菩提のため、元弘元(1331)年に創立された。当初は清水区蒲原にあり慶徳寺と呼ばれていたが兵火により焼失、永禄13(1570)年、ご母堂有縁の現在地に復興し本光寺と改めた。
 駿河湾を一望のもとに収める景勝の地であり、裏山祖師堂に安置した立教開宗の祖像は、「朝日の祖師」と称し、参詣の人が絶えない。また東海七福殿には霊験あらたかな七福神を一堂におまつりしている。
 毎朝5時30分より修養会、6時30分に梵鐘をつき、参拝者と共に読経・唱題・法話を行う。
 先代要英上人より、現住職純厚上人の代にかけて寺域拡大、諸堂新改築につとめ、伽藍の一新を見た。脱師法縁。






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畳薦牟良自が礒の離磯の母を離れて行くが悲しさ
       万葉集:生部道麻呂(巻二十-4338)





755年(天平勝宝7年)生部道麻呂が防人として筑紫へ送られた時に作った歌。







橘の美哀利

橘の美哀利
撮影地:静岡県静岡市清水区立花




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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D



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橘の美袁利の里に父を置きて道の長道は行きかてのかも
       万葉集:丈部足麻呂(巻二十-4341)









暑中お見舞い

書中お見舞い



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LUMIX GX7 ・CONTAX Carl Zeiss T* Distagon 35mm F:1.4





          暑中お見舞い
                申し上げます




梅雨明けと同時に猛暑続きです。
昨年の8月3日は40.3℃を記録した酷暑でした。
それに比べればまだ良いほうですが・・・・・・・

この暑さでは散歩撮影も躊躇してしまいます。

皆様お体ご自愛ください。


                      令和元年  8月7日
                         Photo Office J
                         四季の旅人

















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