四季の旅人写真館

四季折々の日本の原風景と花の写真を撮影しています。本ブログ掲載の画像は著作権を放棄しておりません。

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名古屋宿〜清州宿5

清須城
 
撮影地:愛知県清州市朝日城屋敷
 
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             OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
 
 
 
清洲古城は、稲沢市にあった下津城の別城として尾張守護斯波義重により 造られた。
戦国時代にはいると織田家の内紛により下津城は戦乱で焼失、 守護所は清須に移転され尾張の国の中心となった。
その後、織田信秀、織田信友が 城主となり、信友が信長に滅ぼされると信長が那古野城から移り、この城を拠点に 桶狭間の戦いなどの指揮をとった。信長は、美濃の斎藤氏との戦いに備えて小牧山城に 移るまでの約10年間この城で天下統一の基礎を固めた。
天正10年(1582年)本能寺の変で信長が死亡、清須会議などを経て信長の次男・織田信雄が 城主となる。秀吉と対立していた信雄は、城の拡張を積極的に行った結果、城下町の 人口は6万人ともいわれ関東の重鎮と呼ばれる大都市となった。
徳川家康の命により、清須越が始まり拠点が名古屋に移されて町もろとも消滅した。
現在の清須城は、平成元年(1989)に当時を模して再建されたもの。 現在の清須城の五条川対岸の丘の上に清洲古城の天守跡碑があり、ありし日の雄姿を 忍ばせている。
 
 
 
*****
私は城にあまり興味を覚えない。
国宝四城を別にすると、あまり撮影意欲がわかない。
ただ、過去にも城を撮影した事がない訳ではない。
桜と名古屋城、岡崎城、吉田城、小牧城、亀山城、津城、上野城、岐阜城等々・・・。
 
今回、軽い気持ちで美濃路をロケハンしていて、ネタも無くなり、美濃路として投稿する事になってしまった。
 
そして清須城まで来た。
 
平成元年に観光目的で再建された清須城ですが、たまたまボランティアの方の話を聞いたら、清須城の資料があまりにも少なく、残っているのは石垣だけだと、再建する際は犬山城をモデルにしたと。
 
この地に信長が生活し、桶狭間の戦いに出向いたと思うと・・・・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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