四季の旅人写真館

四季折々の日本の原風景と花の写真を撮影しています。本ブログ掲載の画像は著作権を放棄しておりません。

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安養寺

一心院  安養寺   浄土宗
撮影地:滋賀県犬上郡多賀町河田
 
 
 
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芹川の源流エチガ谷
 
 
 
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川に降りる所があり休憩したら古刹が・・・・。
 
Nikon D300・AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)
 
 
 
 
 

この安養寺は神護景雲3年(789)に、
霊仙山上に建っていた霊仙寺の支院として創造され、
霊仙三蔵が使僧として訪れていた一千二百有余年の歴史ある古刹 である。
(看板説明文より)
 
 
霊仙(りょうせん、759年? - 827年?)は、平安時代前期の法相宗の僧。出自については不明であるが、近江国の出身とも阿波国出身とも伝えられる。霊船・霊宣・霊仙三蔵とも称される。日本で唯一の三蔵法師である。興福寺に学び、804年(延暦23年)、45歳で入唐した。最澄・空海と同じ遣唐使である。長安で学び、810年(弘仁元年)醴泉寺(れいせんじ)でカシミールから来た般若三蔵が請来した「大乗本生心地観経」を翻訳する際の筆受・訳語(おさ)をつとめた。811年(弘仁2年)に三蔵の号を与えられる。時の唐の皇帝憲宗は仏教の熱心な保護者であり、霊仙も寵愛を受けて大元帥法の秘法を受ける便宜を与えられるが、仏教の秘伝が国内から失われることを恐れた憲宗によって日本への帰国を禁じられた。憲宗が反仏教徒に暗殺されると、迫害を恐れて五台山に移る。825年(天長2年)淳和天皇から渤海の僧貞素に託された黄金を受け取り、その返礼として仏舎利や経典を貞素に託して日本に届けさせた。日本側は貞素の労苦を労うとともに霊仙への追加の黄金の送付を依頼し、また日本に残された霊仙の弟妹に阿波国の稲千束を支給するように計らった。その後、828年(天長5年)までの間に没したようで、一説によれば霊境寺の浴室院で毒殺されたという。唐に渡ってから死ぬまで日本の地を踏むことはなかった。840年(開成5年)7〜8月、霊境寺に立ち寄った円仁が、入唐留学僧霊仙の最期の様子を聞いている。また、円行・常暁が入唐した際には霊仙の門人であった僧侶から手厚く遇されて霊仙の遺物や大元帥法の秘伝などを授けられて日本に持ち帰ったという。
 
 
 
 
 
 

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