四季の旅人写真館

四季折々の日本の原風景と花の写真を撮影しています。本ブログ掲載の画像は著作権を放棄しておりません。

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五色園 2

五色園 2   五色山  大安寺     浄土真宗系単立
撮影地:愛知県日進市岩藤町




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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D

日野左衛門門前石枕の場面
 
 日野左衛門尉頼秋は常陸の国(茨城県)に流刑になり、その後自由の身となっても故郷には帰らず金貸しをしてそこに居を構えていました。
左衛門は生来の人間不信で、また流罪後それは一層強まり「信じられるものは銭しかない。」とうそぶくようになっていました。
 ある年の晩秋、左衛門は借金の取立てに廻りましたが、逆にことごとく延済を申し込まれたことに腹を立て夕刻からやけ酒をあおっていました。外はいつの間にか冷え込んで雪になっています。そんな左衛門が女房に当り散らしているところに、布教途中の親鸞聖人が一夜の宿を求められましたが、すさんだ心の左衛門は言下に断ったのでありました。やむなく聖人は軒先で夜を明かすことにしました。聖人は門前の石を枕として横になりましたが、雪は次第に吹雪となって全身を包みます。親鸞聖人は身体を横たえながら念仏を繰り返し唱えました。
 夜半、左衛門の夢枕に観音菩薩が現れ「左衛門、なんじ知らずや、いま門前に阿弥陀如来が泊まらせたまうぞ。早く教化をこおむるべし。この機を逃せばなんじは未来永劫、苦海をのがれられぬぞ。」と告げられました。このお告げに驚いた左衛門はとびおきて家を出てみました。するとそこに映るのは吹雪のなか一心に念仏を唱える親鸞聖人のお姿でした。
 あわてた左衛門は平身低頭無礼を詫び、親鸞聖人を家へ迎え入れこれまでの悪行をすべて告白しました。親鸞聖人は「私たちは悪いことばかりしています。人を憎み呪いもします。だが、汚れきった心であっても信じる心だけは誰にでもあるもの。その心こそが永遠にかがやく仏の光なのです。」とねんごろに御仏のご慈悲をお話になりました。大慈大悲の阿弥陀仏の本願を知らされた左衛門はその夜のうちに親鸞聖人のお弟子となり、法名を入西房道円と名付けていただきました。
 その後道円は念仏道場を開き、石を枕に念仏する親鸞の姿を重ねそこを枕石寺と名付けました。







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鈴虫松虫



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鹿ヶ谷鈴虫松虫の剃髪得度
勢力を強める吉水の法然門下に対し危機感をもった他宗派は、興福寺を代表として朝廷に対し吉水教団の撲滅を願い出ました。そのため御所では念仏停止の是非を論ずる評議が行われることになりました。
 そのころ、法然上人の弟子、住蓮と安楽は鹿ケ谷の草庵において六時礼賛による声明念仏という御法事を営み、御仏の功徳を人々に説いておられました。ことに、二人の声は先を急ぐ人も思わず足を止め聞き入ってしまうほどであり、そこを通りかかった院御所女房の鈴虫と松虫も深い感動をおぼえたのでありました。
 以後、機会を見つけては聞法に通うようになった鈴虫と松虫は、後鳥羽上皇が留守のある晩ひそかに御所を抜け出し鹿ケ谷の声明念仏に結縁しました。安楽らの説法と声明に心をゆさぶられた二人は憂き身をやつす我が身を思い、弥陀の本願に救われるという事実にふれ、発心して尼となったのです。
 このことを知った上皇は烈火のごとく怒り、興福寺の訴えを取り上げ念仏停止の裁断を下しました。




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月見の宴
 親鸞聖人(十八公麻呂君)は日野の里、法界寺のほとりでお生まれになりました。父君は藤原有範卿、母君は吉光御前といわれる方で、平安時代の貴族の長男としてお生まれになりました。
 信心深い母君、吉光御前が常に長谷寺の観音に念じて藤原家の跡継ぎを願われ、観音の申し子として生まれたのでありました。ところが、十八公麻呂は二歳になられても口を一文字に堅く閉じ片言も話されませんでした。まわりの人々は奇異の感に打たれていました。
 そんな八月の十五夜、人々は月見の宴を催されました。
 父君、藤原有範卿のひざに抱かれてじっと空を見上げておられた松若君(十八公麻呂)は、月が天中高く冴え渡ると同時につかつかと前に出られて、両手を合わせつきを拝み「なむあみだぶつ」と一声称えられました。人々はその声を聞いて驚き喜びの声をあげるとともに、松若君が非凡の和子であると歓喜せられたのでありました。




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信行両座



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親鸞聖人が法然上人の下、吉水の草庵に通っていたある日、法然上人に許しを得て門弟たちを信の座「信不退」と行の座「行不退」の二つの席に分け、どちらの考えでいるか明らかにしました。
 「信不退」とは、弥陀の本願を信じるだけで生涯信心を失わない不退転が得られると信じることをいい、「行不退」とは本願を信じてなお、不退転を得るためには念仏の行を積まなければならないとする考え方です。
 ほとんどの門弟たちは行の座に着座しましたが、高弟の信空、のちの「唯信鈔」を書いた聖覚は信の座に着きました。そしてそこに遅れてきた熊谷蓮生房が事の次第を聞き、慌てて信の座に着きました。続いて親鸞聖人も信の座に着座し、これで一同が着座してざわめきが鎮まると、法然上人もおもむろに「私も信の座に着こう。」と言って「信不退の座」に着きました。このとき行の座を選んだ門弟たちは一応に驚き、自らを恥じまた後悔しました。






浅野祥雲
1891年、岐阜県恵那郡坂本村(現中津川市)に生まれる。父親は農業の傍ら、土人形を製作する職人であった。父の仕事を継いで土人形製作を始めるが、土では大きな作品がつくれないことから、コンクリートでの作成を思いついたという。1924年、33歳のとき名古屋に移住し、映画館の看板を描くなどして生計を立てる。作品は中部地方を中心に800体近くが現存しており、ほとんどが身長2メートル以上の人物像(仏像)で、コンクリートの表面にペンキで着色され、一箇所に集中して林立することが特徴である。リアルさ・稚拙さ・ユーモラスさをあわせ持った作風で、一度見たら忘れられない強烈さから一部で人気を博している。
                              (Wikipediaより)








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