四季の旅人写真館

四季折々の日本の原風景と花の写真を撮影しています。本ブログ掲載の画像は著作権を放棄しておりません。

中仙道

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

中仙道:御嵩宿

中仙道:御嵩宿
 
撮影地:岐阜県可児郡御嵩町
 
イメージ 1
                                LUMIX GF2・LUMIX G 14㎜ F2.5ASPH.
 
イメージ 2
                                   LUMIX GF2・LUMIX G 14㎜ F2.5ASPH.
 
イメージ 3
                                     LUMIX GF2・LUMIX G 14㎜ F2.5ASPH.
 
イメージ 4
                                  LUMIX GF2・LUMIX G 14㎜ F2.5ASPH.
 
 
今からおよそ410年前の慶長7年(1602)、江戸から数えて49番目の「御嶽宿(みたけじゅく)」がいち早く整備されたほか、それに遅れること約90年後には50番目の宿場「伏見宿(ふしみじゅく)」が置かれ、人や物資、情報や文化が往来する地域としてにぎわいました。

現在も宿場のなかや街道沿いには当時の風情が色濃く残されており、かつて人々がこの中山道を行き来していた頃の息吹を、今なお感じることができます。
 
  

中仙道・細久手宿

中仙道・細久手宿
 
撮影地:岐阜県瑞浪市
 
イメージ 1
                            LUMIX GF2・LUMIX G 14㎜ F2.5ASPH.
 
イメージ 2
                          OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
イメージ 3
                          OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
イメージ 4
                                  LUMIX GF2・LUMIX G 14㎜ F2.5ASPH.
 
 
細久手宿(ほそくてしゅく)は、海抜420メートルの山中に発達した、江戸から48番目の宿場で、東北から南西方向に緩い下り坂が一筋に延び、その長さは400メートル余り(3町45間)。
 
 慶長15年(1610)に設置され、江戸時代後期の天保14年(1843)の記録によると、戸数65軒を数え、うち24軒が旅籠を営んでいた。
 
その1軒が、『尾州家定本陣大黒屋』であった。
 
細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になリ、他領主との合宿を嫌った領主尾洲家が、問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、『尾州家定本陣大黒屋』のはじまりである。
 
 
 

中仙道・大湫宿 2

中仙道・大湫宿 2
 
撮影地:岐阜県瑞浪市
 
イメージ 1
        OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
イメージ 2
       OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
イメージ 3
         OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
イメージ 4
                       OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
イメージ 5
                  OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
 
 
 
大湫宿史の中で一番の大事件に挙げられるのが、文久元年(1861年)10月の『皇女和宮御降嫁』である。

 相次ぐ外国船の来朝による鎖国か開港かの国難を乗り切るために考えられた『公武合体論』によって「国のためになるのなら…」と、仁孝天皇第8皇女であった和宮は、14代将軍徳川家茂のもとへ降嫁されることになった。
 
和宮、この時16歳・・・
 10月20日京を発ち、9日目の同月28日に大湫宿に1泊、江戸へ向かった。
 御降嫁の行列は、朝廷から差副えの宰相典侍局(さいしょうてんじのつぼね)や生母観行院(かんぎょういん)などのお局・女官、中山・橋本・菊亭・坊城・千種・北小路・岩倉などの供奉公卿、それに若年寄加納遠江守以下の幕府のお迎役ほかの供奉諸家らで総勢約5,000人。

 その行列の継立のために大湫宿に招集された人馬は、何と2万8千人と馬820頭。
 行列は、前後4日間に分けて連日行われ、合計3万3千人余の人々が、宿泊・食事・行列をしたと文献に残されている。

 さて、その和宮は文久元年10月28日、大湫宿の本陣(旧大湫小学校校庭)に宿泊し、翌日大井宿(恵那市)を経て、中津川宿に1泊し、さらに三留野・上松・薮原・本山・和田宿泊りといった道中で、11月15日無事江戸到着。25日間、その間の継立は、人足約60万人・馬1万5千疋という大継立てが終わったもので、古今・東西未曾有の大嫁入りの行列であった。
 和宮は道中、京を偲びながら、その胸中を次のような歌で詠んでいる。
 
 
 
 
                                                                                     
 

中仙道・大湫宿

中仙道・大湫宿
 
撮影地:岐阜県瑞浪市
 
 
イメージ 1
                                                                   OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
イメージ 2
                              LUMIX GF2・LUMIX G 14㎜ F2.5ASPH.
イメージ 3
                       LUMIX GF2・LUMIX G 14㎜ F2.5ASPH.
 
イメージ 4
                OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
 
 
 
大湫宿(おおくてしゅく)は、「大久手宿」とも書かれ、標高510m、江戸へ90里半(約355㎞)、京へ43里半(約171㎞)、東の大井宿へ3里半(約14㎞)、西の細久手宿へ1里半(約6km)、中山道47番目の宿である。

 慶長9年(1604年)設置の新宿で、宿高109石8斗2升。尾州藩領で、同藩木曽衆の千村・山村両宗家の折半知行地であった。

中仙道・奈良井宿

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

撮影地:長野県塩尻市奈良井宿     【奈良井宿】



 中仙道・木曽路十一宿のうち北から2番目の難所:鳥居峠を控えた宿場町。

かつては街道を行き交う旅人で栄えました。その様は「奈良井千軒」と謳われ木曽路一番の賑わいでし

た。奈良井宿は鳥居峠の上り口の鎮神社を京都側の入口とし、奈良井川に沿って約1kmの中仙道沿いに

町並みが形成されています。旅籠の軒灯、千本格子など江戸時代の面影を色濃く残しています。

時代を超えた風格が感じられます。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.

ブログバナー

四季の旅人
四季の旅人
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

写真

エッセイ・詩歌

JAZZ

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事