四季の旅人写真館

四季折々の日本の原風景と花の写真を撮影しています。本ブログ掲載の画像は著作権を放棄しておりません。

美濃路

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

清須宿〜稲葉宿3

稲葉宿の街並み
 
撮影地:愛知県稲沢市
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
              OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
 
平安時代に京と東国を結ぶ重要な街道として、美濃の国府垂井町から尾張国府稲沢を経て旧東海道に結ばれた街道が、現在の美濃路の源流といわれている。稲葉宿は稲葉・小沢両村で宿駅業務を行う合宿だった。町並みは8町21間あり本陣1軒(小沢村)、脇本陣1軒(稲葉村東町)、問屋場3軒、旅籠屋8軒、家数336軒、人口1572人であった。小沢村の原所次右衛門が代々世襲していた。
 
 
 

清須宿〜稲葉宿1

長光寺
 
撮影地:愛知県稲沢市六角堂東町
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
             OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
 
寺伝によると、応保元年(1161)に平頼盛が創建し、暦応元年(延元3年、1338)に足利尊氏が復興したとされています。はじめは法相宗でしたが、明応8年(1499)に臨済宗となりました。
地蔵堂(重要文化財)は、六角形をしていることから六角堂の名で知られています。室町後期のものとされており、臨済宗となった15世紀末期頃のものなのでしょうか。
中には鉄造地蔵菩薩立像(重要文化財)が安置されています。銘から、文暦2年(1235)のものであることがわかっています。
 
 
 

名古屋宿〜清州宿6

清涼寺
 
撮影地:愛知県清須市清州
 
 
イメージ 1
 
イメージ 2
            OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
 
清涼寺の創建は不詳ですが当初は正法庵と称し甚目寺村土田あったようです。寛永年間(1624〜45)に現在地に移り万治年間(1658〜60)に清涼寺に寺号を改称しています。山門は入母屋、本瓦葺、2重鐘楼門で正徳2年(1712)から江戸時代を通して時鐘として清洲宿の住民や旅人などに時間を教えていました。又、境内の前面は清洲宿の中心地で高札が立っていたことから「札の辻」と呼ばれ道標も建立されていました。
 
 
 

名古屋宿〜清州宿5

清須城
 
撮影地:愛知県清州市朝日城屋敷
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
             OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
 
 
 
清洲古城は、稲沢市にあった下津城の別城として尾張守護斯波義重により 造られた。
戦国時代にはいると織田家の内紛により下津城は戦乱で焼失、 守護所は清須に移転され尾張の国の中心となった。
その後、織田信秀、織田信友が 城主となり、信友が信長に滅ぼされると信長が那古野城から移り、この城を拠点に 桶狭間の戦いなどの指揮をとった。信長は、美濃の斎藤氏との戦いに備えて小牧山城に 移るまでの約10年間この城で天下統一の基礎を固めた。
天正10年(1582年)本能寺の変で信長が死亡、清須会議などを経て信長の次男・織田信雄が 城主となる。秀吉と対立していた信雄は、城の拡張を積極的に行った結果、城下町の 人口は6万人ともいわれ関東の重鎮と呼ばれる大都市となった。
徳川家康の命により、清須越が始まり拠点が名古屋に移されて町もろとも消滅した。
現在の清須城は、平成元年(1989)に当時を模して再建されたもの。 現在の清須城の五条川対岸の丘の上に清洲古城の天守跡碑があり、ありし日の雄姿を 忍ばせている。
 
 
 
*****
私は城にあまり興味を覚えない。
国宝四城を別にすると、あまり撮影意欲がわかない。
ただ、過去にも城を撮影した事がない訳ではない。
桜と名古屋城、岡崎城、吉田城、小牧城、亀山城、津城、上野城、岐阜城等々・・・。
 
今回、軽い気持ちで美濃路をロケハンしていて、ネタも無くなり、美濃路として投稿する事になってしまった。
 
そして清須城まで来た。
 
平成元年に観光目的で再建された清須城ですが、たまたまボランティアの方の話を聞いたら、清須城の資料があまりにも少なく、残っているのは石垣だけだと、再建する際は犬山城をモデルにしたと。
 
この地に信長が生活し、桶狭間の戦いに出向いたと思うと・・・・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

名古屋宿〜清州宿4

日吉神社
 
撮影地:愛知県清州市清須
 
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
             OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
 
 
 
光仁天皇の御世、宝亀二年(西暦七七一年)尾張地方に疫病 が流行したので、人々が素盞嗚命と大己貴命を合わせて祀り、 病災除去の氏神としたのが発祥です。

 その後、大同二年(西暦 八〇七年)平安時代の官人、橘逸勢(たちばなのはやなり)が 社殿を建立、山王宮と称されるようになりました。

 十三世紀末には当神社の興隆著しく、社殿を修築し、祠官を定め社領が奉納されたと伝えられています。尾張の国府が清洲に移されてからは、清洲総氏神として信仰を集め、四千坪以上の境内地に荘厳な社殿を構えていました。

 天正八年(西暦一五八〇年)、清洲城代織田信張公は、当神社に近江坂本の日吉大社より、大山咋神を始め、摂社二十一社を勧請し、現在まで末社として伝えています。 また尾張徳川吉通公は当神社の御分霊を稲荷社とともに 現在の名古屋市古渡町に山王稲荷として奉斎し、その御分霊は現在日吉神社の境内末社として祀られています。

 明治以降、社名を山王宮から日吉神社と改め、旧社格制度のもとでは、県社として尊崇されました。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.

ブログバナー

四季の旅人
四季の旅人
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

写真

エッセイ・詩歌

JAZZ

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事