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正覚寺
撮影地:愛知県清州市須ヶ口
一里塚
北みのかいとう、
真ん中に南無阿弥陀仏とあり、
西つしまかい道とあります。
正覚寺は、松平忠吉が実母宝台院菩提のため建立されたのだそうですが、「清洲越え」で名古屋に移されました。そのあとにあらたに大雄山正覚寺として建立されたものだそうです。
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
今川塚と供養碑がありました。
今川とはあの桶狭間の戦いで信長に敗れ去った今川義元のことです。信長は、永禄3年(1560)、4万の大軍を率いる今川義元にわずか3千の兵で奇襲し大勝利をおさめます。
そして義元の首級と愛用の刀を掲げこの美濃路を凱旋し、この地に首を晒したと伝えます。そして、その菩提を弔うため、義元塚(今川塚)を築き大卒塔婆をたて衆僧に千部教を唱えさせたといわれます。
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美濃路
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瑞正寺
撮影地:愛知県清州市枇杷島
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
瑞正寺境内に高さ4.5mで日本一といわれる宝塔があります。
『南無妙法蓮華経』と刻まれています。
この北方に尾張藩の刑場があり、処刑された罪人の菩提を弔うため、1815年に建てられた。
二人の有志により発起され、自ら蓄財をなげうち、八年かけて成就したもの。江戸で作られ、船で運ばれ、新川をさかのぼった。
以来宝塔様として知られ、処刑者がこの前を通るときは合掌礼拝し、その後処刑された。
又ここで、旅人は新川を渡るのか・・・・・。
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西枇杷島
撮影地:愛知県清州市枇杷島
枇杷島橋道標
北 いわくら道
東 にしハ つしまでんわう きよす宿
西 ひがしハ とうかいどう なごや宿
南 文政十年 丁亥七月吉日
曹洞宗 高照寺
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
平安時代末期、治承3年(1179)、枇杷の名手である、ときの太政大臣藤原師長(もろなが)は、平清盛のため、尾張国井戸田(名古屋氏瑞穂区妙音通)に流され、村長の娘と恋に落ちた。翌年、平清盛の死により、師長は許され、都に帰るとき、娘が師長を慕い、枇杷島を過ぎ、土器野(かわらのけ)の地まで後を追ってきたという。
師長は形見に守本尊の薬師如来と白菊の琵琶を残してその場を立ち去った。 娘は別れを悲しみ、現在の西枇杷島町宮前あたりの池に身を投じたと云われていることから、地名に因んでいるという説もある。
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名古屋城
撮影地:愛知県名古屋市西区樋の口町
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8
当時の建物としてこの高さはかなり遠くからでも見えたと思うが、やはり美濃路を
ゆく旅人にとっては存在感は圧倒的なものではなかったかと想像出来る。
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浅間神社
撮影地:愛知県名古屋市西区浅間
OLYMPUS PEN E-P1・LUMIX G 14㎜ F2.5ASPH.
富士浅間神社は、1396年(応永5年)6月、三谷源太夫が富士山本宮浅間神社の御祭神である木花開耶姫命の御分霊を勧請したのがはじまりといわれています。
創建当初は、富士塚町(現・名古屋市東区)に鎮座されていましたが、1610年(慶長15年)名古屋城築城の際、現在地に御遷座されました。 御祭神である木花開耶姫命は、大山祗神の御子神で、天孫瓊々杵尊の皇后。桜の花が咲き誇るような美しい容姿と清らかな心を持った神様といわれ、家内安全、交通安全、安産、子育ての神様として崇敬を集めています。 大須と四間道のわずかな距離に浅間神社が2つもあるとは・・・・・。
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