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江戸時代、慶長6年(1601年)徳川家康が東海道に伝馬制をひいたのを皮切りに東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の5街道が主に公用のために整備された。それと同時に一般の旅人や物資の輸送のための支街道があり脇往還とも称された。
美濃路(美濃街道)は、東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ中山道の脇往還である。宮から名古屋、清須、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣の7宿を経て垂井に至る全長14里24町余(約58km)、その間に木曽川、境川、長良川、揖斐川の4箇所に渡し場が設けられていたという。 美濃路は東海道の難所「鈴鹿峠」と「七里の渡し」(当時、約4時間を要した)を避けることができるので利用者も多く、江戸時代初期の将軍の上洛や朝鮮通信使始め西国大名などの通行にも利用された重要な街道であった。 七里の渡し
撮影地:愛知県名古屋市熱田区
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
OLYMPUS PEN E-P1・M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
熱田神宮の門前町として栄えました。東海道41番目の宿場で、次の桑名の宿までは「七里の渡し」で海路約4時間かかったそうです。脇往環である美濃路、佐屋路の分岐点で大変賑わったと思われます。 |
美濃路
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