四季の旅人写真館

四季折々の日本の原風景と花の写真を撮影しています。本ブログ掲載の画像は著作権を放棄しておりません。

最澄(天台宗)

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法明寺

瑞桜山 法明寺  天台宗  <通称:桜堂薬師>
撮影地:岐阜県瑞浪市土岐町
 
 
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観音堂
 
 
 
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本堂
 
 
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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 
 
 
 
 桜堂薬師は岐阜県瑞浪市土岐町に境内を構えています。桜堂薬師の創建は弘仁3年(812)、嵯峨天皇の勅願により三諦上人覚祐(慈覚大師の弟子とも天皇の皇子とも云われています。)が開山したのが始まりと伝えられています。天皇の勅願寺として境内が整備され比叡山や高野山と共に日本三山の1つに数えられなど寺運が隆盛し最盛期には境内には七堂伽藍が建ち並び36坊が峰山山中に軒を連ねていたそうです。その後、一時衰退しましたが、鎌倉幕府から寺領が安堵され24坊が再興、比叡山延暦寺の末寺になるなど再び隆盛します。元亀2年(1571)、織田信長の命により家臣森長可が全山焼き討ちし多くの堂宇、記録、寺宝を焼失しましたが領主になった長可と鶴ヶ城の城主の遠山三兵信友により再興され、江戸時代に入ると岩村藩(藩庁:岩村城)の藩主松平家の祈願所として庇護されます。特に藩主松平家乗が篤く帰依し、病気になる毎に平癒祈願を行い慶長18年(1613)には絵馬(慶長絵馬:縦111cm、横137cm、土佐派)を奉納しています。松平乗寿が浜松藩に移封になると庇護者を失い、さらに天災が重なり堂宇が大破し再び荒廃します。寛文7年(1667)に藩主丹羽式部少輔氏純の庇護により永秀、賢秀和尚が再興し境内の整備が行われ堂宇も再建されました。現在の堂宇はその当時のもので、仁王門は入母屋、本瓦葺、三間一戸、八脚単層門、桁行3間、梁間2間、内部には室町時代後期に製作された仁王像(阿形像:像高2.89m・吽形像:像高2.93m)が安置されています。本堂は寄棟、銅板葺(元板葺)、桁行5間、梁間5間、正面1間向拝付、内部は正面前2間分が外陣、中央3間×2間が内陣で宮殿が安置されています。所有する仏像も多く薬師如来座像(室町後期作、像高70cm)、前立薬師如来座像(像高約150cm)、十二神将立像(元亀年間作、像高凡そ150cm)、月光菩薩座像(室町後期作、像高約70cm)、日光菩薩座像(室町後期の作像高約70cm)、四天王立像(東方持国天王・西方広目天王・南方増長天王・北方多門天王の4躯、元亀年間作、像高凡そ240cm)が瑞浪市指定文化財に指定されています
 
 
 

圓福寺

勝獄山 圓福寺    天台宗
撮影地:愛知県春日井市白山町
 
 
 
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本堂
 
 
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仁王門
 
 
 
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観音堂
 
 
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十一面観世音菩薩立像
 
 
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北門
 
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 
 
当山は養老7年(732年)開創と伝えられ1290年余の歴史をもち鎌倉、室町時代には七堂伽藍、麓には十二坊を構えたといわれます。
伊勢安濃津の商人益直が旅の途次当地を訪れ海中湧出の観音像を拾い上げ帰国するも船が着岸せず、夢のお告げを受けて松島(当地の旧名)の山上に三間四面の堂を設け尊像を安置し縁福寺と号しましたが、神亀五年(728年)行基が当地方遊行の折り、「圓福寺」の扁額を掲げて改称し遠近僧俗の崇拝を集めました。

それ以降平安、鎌倉期には至る資料は稀少ですが、ご本尊をはじめ現存の主な佛像は鎌倉後期頃のものであり、室町期は当時の最繁栄時代で佛画、佛具等の寄進も数多く仁王像も永正七年(1510年)に造立されました。しかし天正年間の兵火により大半が焼失衰微をたどりましたが、ご本尊、仁王像は寺僧の転機によって難を逃れ、徐々に再興が図られて今日に至っております。高蔵寺ニュータウン開発に伴い当山周辺も大きく変貌しましたが、幸い二万平方メートルの「観音様の森」は往時の緑に包まれ、千二百年余の昔に観音菩薩が夢告された妙法弘宣の霊地として終日参拝者が絶えません。

「おもくとも かろくのぼれよ 仁王坂 九ほん浄土を 見るにつけても」この山に伝わるご詠歌
 
 
 
 
 
 

高蔵寺

燈明山 高蔵寺    天台宗
撮影地:愛知県春日井市高蔵寺町
 
 
 
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本堂
 
 
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観音堂
 
 
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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 
 
 
 
高蔵寺は933年に開創されたと伝えられ、一山十二坊の大寺であったといわれている。
戦国時代の永禄年間(1558〜70年)に兵火に遭い、ほとんどが焼失し、
唯一残った実相坊が高蔵寺の法灯を引き継いでいる。
伽藍も整備され、地名に相応しいお寺の風景を呈し、高蔵寺十徳神巡りの毘沙門天を祀っている。
 
 
 
 
 
 
 

 

密蔵院

医王山 薬師寺 密蔵院   天台宗
撮影地:愛知県春日井市熊野町
 
 
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観音堂と多宝塔
 
 
 
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               多宝塔  国指定重要文化財   
 
 
 
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多宝塔の縁廻りの高欄の親柱の頭が蓮花がさかさまの形である
 
 
 
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開山堂
 
 
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本堂
 
 
 
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              天の鈴
 
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 
嘉暦3年(1328年)慈妙上人によって開山された医王山薬師寺密蔵院は、天台宗延暦寺末中本寺格です。
 戦国時代末期に衰退したものの、寺運盛んな時代には全国に700余りの末寺を有し、寺域には塔頭三十六坊、3,000人を超える修行学侶がいたといいます。現在、往時の隆盛を偲ばせる建物としては、室町時代初期に建立された多宝塔があり、重要文化財に指定されています。多宝塔は天台密教系の寺院に多い建造物ですが、これは禅宗の様式を取り入れた珍しいものです。
 国指定重要文化財である木造薬師如来立像をはじめ、指定文化財は29件にもおよびます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

高田寺

医王山高田寺  天台宗(比叡山延暦寺)
 
撮影地:愛知県北名古屋市高田寺
 
 
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大相撲名古屋場所で立浪部屋の宿舎に成っているようです。
 
 
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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 

高田寺は、寺伝によれば元正天皇の養老4年(720)に僧行基により開かれたとされ、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗に属し、今に至っています。
当寺には、鎌倉期に建立されたとされる薬師堂本堂(国重文)に、養老4年開創当時の仏とされる本尊薬師如来(国重文)が安置され薬師如来の功徳により、特に眼病、耳病、縁結び、安産などの祈願霊場として、広く信仰を集めています。
薬師堂は尾張一の美建築ともいわれています。平安時代三蹟の一人小野道風公は本尊薬師如来に眼病平癒と書道上達を祈願し、お礼に「医王山」の扁額を奉納したといわれます。
又、江戸時代円空上人も当寺において金胎両部の密法を修行したといわれています。

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