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上野天満宮
撮影地:愛知県名古屋市千種区赤坂町
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
拝殿
Nikon D800・Ai AF Micro-Nikkor 60mm F2.8D
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
およそ千年前の平安時代中期に陰陽師・安倍晴明の一族がこの地に住んだ折、菅原道真公を慕ってその御神霊をお祭りされたのが上野天満宮の起源と伝えられています。
上野天満宮にお奉りされる菅原道真公が、九州の太宰府にて亡くなられて平成14年には1100年が過ぎました。こころざし半ばにして無実の罪を背負い京都から追いやられた天才学者の無念を償うため、菅原道真公の墓所の上に太宰府天満宮が作られました。その後、100年弱した頃、同様に京都を追われた花山天皇に仕えていた陰陽学者の安倍晴明(920〜1005)一族の一部が、名古屋の名古屋市千種区清明山に移り住みました。自らの境遇と照らして菅原道真公の心情を儚く思い、上野天満宮(現在地には、矢田川の氾濫から江戸時代に移動)を建て、菅原道真公を手厚く奉りました。そしてその思いがかない、安倍一族は一部を当地に残して無事に京都に戻ることが出来たそうです当時の中国は、学問や政治の手本として、日本人のあこがれでした。菅原道真公も安倍晴明も日本の代表的な勉強家でしたから、彼らの理想は、時として日本の権力への批判とうつることがあったのでしょう。しかし「正義は勝つ。努力は必ずむくわれる」のですね。彼らの理想があったからこそ今の私たちがあるのだと思います。仕事に勉強に励んでください。必ず成果は現れます。
「上野天満宮HPより」
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神々の詩
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街中の赤い鳥居、田んぼの中のこんもりした森、山の頂の小さな社、全国至るところに神社はあります。神社のある風景、それは映画やドラマでもおなじみの、ごく身近な、しかし日本にしか見られない独特の風景です。
このような神社を中心とした、日本の神々への信仰が神道です。
神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。
神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれます。さらに、国家や郷土のために尽くした偉人や、子孫の行く末を見守る祖先の御霊も、神として祀られました。奈良時代にできた『古事記』『日本書紀』には、多くの神々の系譜や物語が収められています。
神道の信仰が形となったものが祭りです。祭りは、稲作を中心に暮らしを営んできた日本の姿を反映し、春には豊作を、夏には風雨の害が少ないことを祈り、秋には収穫を感謝するものなどがあり、地域をあげて行われます。祭りの日は、神社での神事に加えて神輿や山車が繰り出し、たくさんの人で賑わいます。
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御嶽神社
撮影地:愛知県名古屋市千種区自由ヶ丘
二の鳥居
LUMIX GX7・LUMIX G 14mm F2.5 ASPH.
御嶽神社は国常立尊、大己貴命、少彦名命を祭神として、智恵や才能を授け、長寿を護り、病難を癒し、禁厭を司る神として崇められます
御嶽神社で見かける霊神碑はお墓ではなく、あくまでも墓碑であり 講の教え「人の魂は山より生まれ、死後は童子となり御嶽に還る」とされます 鳥居には大正十二年とあるから、それが創建年かもしれない
たくさんの石碑や石仏、社や稲荷などが渾然一体となった御嶽ワールドが展開されている。
中心としては御嶽大神を祀っているものと思われる。 その他、たくさんの霊神碑や石碑、弘法像、不動明王像などの石仏があり、明神やら龍神やら稲荷やらが所狭しと祀られている。 |
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焼津神社
撮影地:静岡県焼津市焼津
日本武尊
拝殿
本殿
御神木 楠 樹齢300年
境内
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
ご祭神 日本武尊
焼津神社の御創建は反正天皇4年(西暦409年)と伝えられており、今から1,600年以上も前になります。
日本武尊の知恵と勇気と優しさを称え、焼津の守神としてお祀りをしたことが焼津神社のはじまりです。 神社を含む一帯では、宮之腰遺跡という1,600年程昔の遺跡が出土しており、古代祭祀の道具や人々が生活していた跡が発見されていることから、その時代からこの場所に神社があったことがわかります。 室町時代に今川氏が駿河の国を治めていた頃、この地域は「入江荘(いりえのしょう)」とも呼ばれ、焼津神社はその地名から「入江大明神」とも称されてきました。境内にある江戸時代の灯籠には「入江大明神廣前」の文字が彫られています。
今川氏や徳川家などの武家の信仰も厚く、また焼津地域の人々や命がけで漁に出て働いていた漁業関係者にとっての心の支えとして崇められ、現代までその信仰が受け継がれています。
境内社も多くあったが工事中でした。
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草薙神社
撮影地:静岡県静岡市清水区草薙
御神木の大楠 樹齢1000年
神門
拝殿
本殿
舞殿
浅間・山神・八幡・子安・天皇・賀茂・内宮
住吉・春日・愛宕・白髭・厳島・稲荷・荒神、天神
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
御祭神 日本武尊
創建 景行天皇53年(123年)
景行天皇第二皇子の日本武尊が 東国の蝦夷が叛いたので、之を平定するため 吾嬬国に行く途中、この地で逆賊が起り 尊を殺そうとして原野に火を放った。
尊は佩用の剣を抜いて 「遠かたや しけきかもと、をやい鎌の」と鎌で 打ち払う様に唱え剣を振り草を薙ぎ払ひ 火を逆賊の方へなびかせ尊は 無事に難をのがれた地を草薙という。 その後佩用されていた天叢雲の剣を 草薙の剣と名稱を変更になり 草薙神社に神剣として奉られる。 今より1860余年前である。 社頭案内板
御由緒
当社は式内延喜式神名帳に「駿河国有度郡三座並小云々草薙神社」と記載されている。御祭神は景行天皇第二子皇子日本武尊を御祀り申し上げて鎮座してあります。国史社伝によれば、尊は東国の蝦夷が、叛いたので、之を平定する為、吾嬬国に赴く途中、このあたりで逆賊起こり、原野に火を放って尊を焼き殺そうとしたので尊は出発の折、伊勢神宮に参拝し、倭姫命より戴いた佩用の剣を抜いて「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と鎌で打ち払う様に唱へ、祓ひて剣を振り、あたりの草をことごとく薙ぎ払った処で手打石により日をつけた。その火は逆に逆賊の方へ烟りなびいて、尊は無事にこの難を切り抜けられました。その後、佩用されていた天叢雲の剣を草薙の剣と名称を変更になり、尚、尊を焼き殺そうとした処を草薙と言はれる様になりと、語り伝へられている。その後景行天皇が日本尊命の勲功の地を尋ねようと、五三年八月に天皇は郡郷に詔して曰く「冀くば、日本尊命の征定された国郡を巡視する。」そこで天皇は直ちに出発せられ、先ず伊勢に行幸され、次いで東国に向かはれ九月二十日に当地に御着になり尊の奮斗の後を封じて御親しく一社を建立し、日本武尊を奉祀し、御霊代として、草薙の剣を奉納されました。景行天皇五三年九月二十日(昭和六十年より一、八六三年前)依って当月当日(九月二十日を以て例祭日と定めて今日に及んでおります。その後草薙の剣は第四十六代天武天皇の朱雀元年に勅命により現在の熱田神宮に奉祀しされました。
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御穂神社
撮影地:静岡県静岡市清水区三保
舞殿
拝殿
本殿
神馬舎
呉服之神社、稲荷神社、胡夫大夫神社、磯前神社、産霊神社
子安神社には、御穂神社ご祭神である大国主命の父母にあたる神々である
須佐之男命と稲田姫命が祀られています
八幡神社、八雲神社、神明社
神の道
神の道は、樹齢300〜400年ほどの松並木が520mほど続き、
御穂神社本殿と羽衣の松(初代)とは松並木の延長線上にあったと推測され
ています
羽衣の松(三代目)
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
創建の時期は不詳ですが、三保の中心に鎮座し、三保大明神とも称され、駿河国の国魂の神、国土開発の神、海の神と崇められ、古くから朝野の崇敬を集めていました。
日本武尊が勅により官幣を奉じ社領を寄進したとあり、出雲国御穂崎
(現在の島根県松江市美保関町)から遷座した神であるとも伝えられています。
「延喜式」神名帳(927年に成立)では、駿河国庵原郡に「御穂神社」と記載されています。
寛文年間(1661-1673年)頃の「駿河国風土記」では、「日本武尊奉勅供官幣、始献圭田五百畝、為国之三宮」と記載されていることから、当神社は駿河国において
富士山本宮浅間大社(一宮)、豊積神社(二宮)に次ぐ三宮であったと云われてます。
江戸時代初期には徳川家康によって社殿が整備されましたが、寛文8年(1668年)に火災で焼失してしまい、江戸時代中期に仮宮として建てられたものが現在まで続いています。
ご祭神
大己貴命(おおあなむちのみこと)・・・大国主命、別名を三穂津彦命
三穂津姫命(みほつひめのみこと)・・・高皇産霊尊の娘、大国主命の后
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