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宇太水分神社
撮影地:奈良県宇陀市菟田野古市場
拝殿
境内摂社 右 宗像神社 左 春日神社 いずれも重文
本殿 国宝 鎌倉時代 右より 第一殿「天水分神」 第二殿「速秋津彦命」 第三殿「国水分神」
末社 金毘羅神社
Nikon D800・Ai AF-S Zoom-Nikkor 17-35mm F2.8 IF-ED
『宇陀水分神社』(うだみくまりじんじゃ)は、第10代・崇神天皇の勅命によって祀られたと伝わる古社です。大和の東西南北に配された水分神(宇太水分神社、葛木水分神社、吉野水分神社、都祁水分神社)「大和四水分神」の一つとされ、芳野川沿いに鎮座する「水の守り神」として信仰を集めてきました。
宇陀市菟田野古市場にある「中社」と、菟田野上芳野の「上社」、榛原下井足の「下社」の3社があり、いずれかが本来の式内大社でしたが、今は判明していません(以下、宇陀水分神社は中社を指すこととします)。
9世紀末に始まった由緒あるお祭り「お渡り(秋祭り)」(10月第3日曜)は、五穀豊穣・水配りに感謝するお祭りで、惣社水分神社(上社)から神輿で出発した女神「速秋津姫神」が、芳野川に沿って宇太水分神社の男神「速秋津比古神」に、年に一度だけ会える日なのだそうです。
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神々の詩
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街中の赤い鳥居、田んぼの中のこんもりした森、山の頂の小さな社、全国至るところに神社はあります。神社のある風景、それは映画やドラマでもおなじみの、ごく身近な、しかし日本にしか見られない独特の風景です。
このような神社を中心とした、日本の神々への信仰が神道です。
神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。
神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれます。さらに、国家や郷土のために尽くした偉人や、子孫の行く末を見守る祖先の御霊も、神として祀られました。奈良時代にできた『古事記』『日本書紀』には、多くの神々の系譜や物語が収められています。
神道の信仰が形となったものが祭りです。祭りは、稲作を中心に暮らしを営んできた日本の姿を反映し、春には豊作を、夏には風雨の害が少ないことを祈り、秋には収穫を感謝するものなどがあり、地域をあげて行われます。祭りの日は、神社での神事に加えて神輿や山車が繰り出し、たくさんの人で賑わいます。
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天の岩戸・吉祥龍穴
撮影地:奈良県宇陀市室生
天の岩戸
龍穴神社から1300㍍程の所に天岩戸
さらに上ると吉祥龍穴
遥拝所 土足禁止
室生龍穴神社の奥宮 吉祥龍穴
滝があるが水が無かった
Nikon D800・Ai AF-S Zoom-Nikkor 17-35mm F2.8 IF-ED
今から1400年ほど前、慈雨への祈りが捧げられた場所であり、ここが聖地中の聖地です。
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室生龍穴神社
撮影地:奈良県宇陀市室生
拝殿
「善如龍王社」とある
本殿
連理の杉
Nikon D800・Ai AF-S Zoom-Nikkor 17-35mm F2.8 IF-ED
主神 高靇神は、伊邪那岐大神其御子 迦具土神を斬り給へる時生れませる神にして、 水火を司るの威徳を具へ給ひ、晴雨を調節して 国土民生を安じ給ふ。
蓋し、農を以て国の本とする我国古来の伝統 的民族信仰として旱天に慈雨を祈るの風朝野を 挙げて後を絶たざりし所以にして木津川、淀川の上 流の当地に此大神の鎮まります事深く故なしとせず。 随って古来歴朝朝野の信仰篤く祈雨止雨の奉 幣に預り給ふ事度々にして神階は度々昇敍されて 應和元年正四位下に敍せられ給ふ。延喜の制 貴船丹生等の社と列びその神威赫々たる官幣 の小社に列せられ所謂式内社として近畿一円に 衆庶の信仰篤く以て今日に及べり。 配祀の祭神は古来聚落の叢祀に奉斎せしを 明治末年に合祀せり。 境内案内より
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油日神社
撮影地:滋賀県甲賀市甲賀町油日
楼門 永禄9年 重文
国の史跡ともなる境内には、南北に本殿・拝殿・楼門 が一直線に並び、楼門の左右から廻かい廊ろうが延びています。廻廊が取り付く中世の神社建築は、滋賀県内でも当社以外にありません。いずれも規模が大きく意匠に優れ質も高いもので、中世の神社景観を今に伝える貴重な文化財です。
拝殿 重文 天正年間上棟
本殿 重文 明応2年( 1493 年)上棟
Nikon D800・Ai AF-S Zoom-Nikkor 17-35mm F2.8 IF-ED
油日大神のみ名は記紀にも見えず、又油日の名も国内に見当らない。たゞこの地に於いてのみ千数百年の昔から、油日大神とのみ申しあげて篤い信仰がさゝげられて来たのである。油日大神はアブラのヒの大神さまであって、万有始動の根元神として諸事繁栄発展の大本を司られる大神さまである。従って古来より諸願成就の神として衆庶の尊信あつく、又油の祖神として業界の崇敬があつめられている。
猿田彦命は道案内(サキダチヒコ)の神として方除授福のご神徳高く、又罔象女命は水神として衆庶の生業に大御恵を光被まします。 南鈴鹿の層巒が南に尽きるあたり、神の御山の姿もおごそかに油日岳が聳えている。春朝翠霞の中に映ずる油日岳、旭光輝き亘る秋空にうき出る油日岳、四六時中仰ぎ見るこの御山のみ姿が人の心の糧となったことは今も昔も変りはない。油日大神は太古この油日岳を神体山として鎮まり給うたが、世を経て今のこの本社の地に移り鎮りましたのである。今も毎年九月十三日夜本社にて秋のまつりが行われるが、その前々日十一日の夜には信心の人たちによって岳の頂上にて一夜を参籠し夜を徹してご神火を焚き上げる千年来の古い姿が残されている。
その後今を去る千百参拾有余年の昔、陽成天皇の御宇元慶元年(八七七)十二月三日油日神に神階を授けられたことが国史三代実録に見え、所謂国史見在の古社である。 *****
楼門や本殿は、室町時代の建築で、周囲に清らかな回廊がめぐっており、祭りの時には、ここに宮座の連中が居並ぶという。
白洲正子『かくれ里』より |
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羽布熊野神社
撮影地:愛知県豊田市羽布町
本殿
神社前の一石【三十三観音】の三十三の化身を一石に彫った石像は近隣では珍しい
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
御祭神 伊邪那美命
由緒書きに慶長年間(1596)の封建という。
寛永2年(1625)2月15日、米13石を以て社殿を造営する。 文政年間(1818)今の社地に社殿を再建遷座する。 昭和34年9月、伊勢湾台風により本殿倒壊す。 同53年9月、造営復旧した。 *****
春に撮影した野原川のモミジがきれいだったので出掛けてみたが、台風の影響か
葉が落ちているのが多く色も茶色く変色して期待外れで、さらに先を走っていたら
突然、銀杏が目についた。
豊田市というとイメージに合わないが、旧東加茂郡下山村だとピンとくる。
人口200人弱の地域で今も地元の人が参拝しているのか、掃除も行き届き
きれいな境内でした。
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