四季の旅人写真館

四季折々の日本の原風景と花の写真を撮影しています。本ブログ掲載の画像は著作権を放棄しておりません。

法然(浄土宗)

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煩悩のうすくあつきをもかへりみず
罪障のかろきをもきをも沙汰せず
ただ口に南無阿弥陀仏と唱へて
声につきて決定往生のおもひをなすべし  
                     【法然】
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長福寺

和光山  長福寺    西山浄土宗
撮影地:愛知県名古屋市緑区桶狭間
 
 
 
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本堂
 
 
 
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今川義元公首検証跡
 
 
 
 
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弁天池
殺生が禁じられた放生池。鎮守は福徳財宝をもたらす弁才天。江戸時代の史料には、「血刀濯(すす)ぎの池」と記される。桶狭間の戦いで血のついた刀が濯がれた場所と考えられる。
 
 
LUMIX GX7・LUMIX G 14-42㎜ F3.5−5.6 ASPH.MEGA O.I.S
 
 
 
 
 
天文7年(1538)に、善空南立和尚と言う人が創建しました。桶狭間の戦いの後、信長は、境内で義元やその武将の首検証をしたと言われております。その時立ち会った茶坊主、林阿弥は主君義元や家臣の菩提を弔うため再び寺を訪れ、その時持参した阿弥陀如来が、現在も寺のご本尊でとして祀られています。堂内には、今川義元と松井宗信両公の木像も安置されています。
 寺から南の丘陵は、14世紀中ごろ南朝の落武者が住み着いた桶狭間村発祥の地であり、放生池に隣接する小さな泉は、村人の貴重な生活の水源でありました。この泉は、これまで一度も水が枯れたことがないと言われております。
 
 
 
 

東充寺

佛法山 退蔵院 東充寺  へちま薬師    西山浄土宗
撮影地:愛知県名古屋市東区東桜
 
 
 
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Nikon D800・Ai AF-S Zoom-Nikkor 17-35mm F2.8 IF-ED
 
 
 
 
当寺の歴史の始まりは、尾張国丹羽郡稲置(現在の犬山市・小牧市周辺)にあったという薬師尊像を安置していた杉御堂に詣でた坂東充蔵という小牧の地頭が自ら勧進をして小牧山嶺に諸堂を建立し尊像を鎮守となし、「東充寺」と称したことから始まったと伝えられている。
その時に鎮守として安置されたる尊像は三河国鳳来寺峯の薬師如来と同木同作にして利修仙人(白鳳時代)の作と伝えられている。
その後、天正年間織田信長公清洲に居城の時、その地に移り、觀仙察公上人の開山とされる。
また慶長十四年六月、徳川義直公名古屋城築城の際の命により現在の地(東寺町)に移り今日に至る(慶長遷府・清洲越し)。
 
当寺が「糸瓜薬師」(へちま薬師)と呼ばれる由来は・・・・
当寺住職であった温空上人が托鉢の途中、急に激しい疝痛がさし起こりその場に倒れられてしまった。
その際、一心に薬師如来のご加護を念じたところ、一人の僧が夢中に現れ「今汝が病を治す秘法を授けん」とへちま加持祈祷の秘法を上人に教えた。
上人は早速へちま加持祈祷の秘法を行うと朝にはあとかたもなく治ってしまった。
この秘法をありがたく思われた上人は、この秘法をもって世の人々の病苦を取り除かれたと伝えられている。
この由来により、当寺は糸瓜薬師(へちま薬師)と呼ばれるようになった。
 
 
 
 

大森寺

興舊山 大森寺   浄土宗
撮影地:愛知県名古屋市守山区弁天が丘
 
 
 
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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 
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中門の扁額    尾張二代藩主徳川光友の真筆
 
 
 
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明治8年の火災で、創建以来の建物は消失したが、2014年に本堂を再建した。
 
 
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歓喜院の墓
 
 
 
 
寛永14年(1637年)、尾張二代藩主徳川光友が、生母乾の方(歓喜院)の菩提を弔うため、江戸小石川の伝通院内に創建。寛文元年(1661年)、乾の方の出身地である大森に移転しました。裏山の墓地に歓喜院の墓があります。中門に掲げられた山号の額は光友の筆です。明治8年の火災で、創建以来の建物は消失したが、2014年に本堂を再建しました。
 
 
 
 

高月院

本松山 高月院 寂静寺   浄土宗
撮影地:愛知県豊田市松平町
 
 
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元信君(家康)お手植の枝垂れ桜
 
 
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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 
 
1367 年足助次郎重宗の子、重政( 寛立上人) が松平郷主在原信重の援護を受けて「寂静寺」として建立したと言われています。1377 年に親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔のすべてを寄進してから「高月院」と改め、松平氏の菩提寺となっています。 その後、徳川家康によって寺領100 石が与えられ、明治維新まで時の将軍家から厚い保護を受けていました。 山門や本堂は、1641 年に徳川家光によって建てられたものと言われています。
 
高月院本堂の左手奥には、葵の紋の石扉がの松平氏墓所があり、松平親氏、二代泰親、四代親忠夫人の宝篋印塔三基が祀られている。
 
 
元信君お手植の枝垂れ桜は2009年4月に撮影していましたが、司馬遼太郎さんの街道をゆく43「濃尾参州記」
を拾い読みしていたら「高月院」が出てきたので再訪してみました。
 
 
 

祐福寺

玉松山 般若院 祐福寺     浄土宗西山禅林寺派
撮影地:愛知県愛知郡東郷町
 
 
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山門
 
 
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勅使門
 
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開山堂
 
 
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本堂
 
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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 
 
 
愛知県東郷町にある祐福寺は、1191年源頼朝の家臣・宇都宮頼綱が念仏道場を開いたのが始まりと伝えられている。
その後、1328年達智上人が明知城主の支援を得て大伽藍を創建し、室町時代には足利将軍の庇護を受けて大いに栄えたと言われる。

1528年には後奈良天皇の勅使を迎えるために勅使門が建立され、現在では県指定文化財となっている。
 
桶狭間の戦いの時に今川義元が宿泊したと言われている。
 
 
 
    こゝもまたふりすてがたきたま松の
             山のあきにもすゞむしの声  
                     足利義教(四代将軍)当山にて
 
 
 
 
 
 
 
                    
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

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