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光雲山 崇禅寺 2 臨済宗妙心寺派
撮影地:岐阜県土岐市妻木町
本堂
内陣
唐門
延宝8年(1680年)北隠禅師により建立された桧皮葺の平唐門
境内の公孫樹 樹齢130年
Nikon D800・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
崇禅寺の創建は文和3年(1354)、当時の妻木城主土岐明智彦九郎頼重(美濃守護職土岐頼貞の孫、明智氏妻木氏の祖、後裔に明智光秀)が果山禅師を招いて開いたのが始まりとされます。果山禅師は夢窓国師を勧請開山とし頼重の法名「崇禅寺殿万春浄栄大禅定門」から寺号を崇禅寺としました。以来、歴代妻木城主の菩提寺として庇護された事で寺運が隆盛し、最盛期には清閑院、長寿院、瑞松院、正持院、長松院、永昌院、聴松院、聴泉院、玉窓院、慈慶院、八幡院など11の搭頭が建ち並び寺領69石を擁する当地域屈指の大寺となりました。境内にある観音堂は明治時代初頭に発令された神仏分離令により妻木氏の崇敬社である八幡神社の別当だった八幡院が廃寺となり明治9年(1876)に移築したもので入母屋、桟瓦葺、妻入、桁行3間、正面1間向拝付、板張素地造。山門は妻木城士屋敷から移築されたと伝わるもので切妻、茅葺、一間一戸、四脚門。その他には境内には妻木城主代々の墓所や位牌、文化財指定されている多くの寺宝を所持しています。宗派:臨済宗。土岐郡三十三観音霊場第18番札所(御詠歌:水をくみ ひろう妻木の 崇禅寺 知るも知らぬも 後の世のため)。
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栄西(臨済宗)
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大なるかな心や。
天の高さは極むべからず、
而るに心は天の上に出づ。
地の厚きは測るべからず、
而るに心は地の下に出づ。
日月の光は踰ゆべからず、
而るに心は日月光明の表に出づ。
大千沙界は窮むべからず、
而るに心は大千沙界の外に出づ。
其れ太虚か、其れ元気か、
心は則ち太虚を包み、元気を孕むものなり。
天地我を待って覆載し、日月我を待って運行し、
四時我を待って変化し、万物我を待って発生す。
大なるかな心や。
栄西『興禅護国論』序
天の高さは極むべからず、
而るに心は天の上に出づ。
地の厚きは測るべからず、
而るに心は地の下に出づ。
日月の光は踰ゆべからず、
而るに心は日月光明の表に出づ。
大千沙界は窮むべからず、
而るに心は大千沙界の外に出づ。
其れ太虚か、其れ元気か、
心は則ち太虚を包み、元気を孕むものなり。
天地我を待って覆載し、日月我を待って運行し、
四時我を待って変化し、万物我を待って発生す。
大なるかな心や。
栄西『興禅護国論』序
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光雲山 崇禅寺 1 臨済宗妙心寺派
撮影地:岐阜県土岐市妻木町
総門
年代不詳 禅宗様式(唐様式)を多く用いた室町時代の作風で規模の大きな萱葺の棟門
山門
左 開山堂 右 観音堂
観音堂 扁額
Nikon D800・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
崇禅寺の創建は文和3年(1354)、当時の妻木城主土岐明智彦九郎頼重(美濃守護職土岐頼貞の孫、明智氏妻木氏の祖、後裔に明智光秀)が果山禅師を招いて開いたのが始まりとされます。果山禅師は夢窓国師を勧請開山とし頼重の法名「崇禅寺殿万春浄栄大禅定門」から寺号を崇禅寺としました。以来、歴代妻木城主の菩提寺として庇護された事で寺運が隆盛し、最盛期には清閑院、長寿院、瑞松院、正持院、長松院、永昌院、聴松院、聴泉院、玉窓院、慈慶院、八幡院など11の搭頭が建ち並び寺領69石を擁する当地域屈指の大寺となりました。境内にある観音堂は明治時代初頭に発令された神仏分離令により妻木氏の崇敬社である八幡神社の別当だった八幡院が廃寺となり明治9年(1876)に移築したもので入母屋、桟瓦葺、妻入、桁行3間、正面1間向拝付、板張素地造。山門は妻木城士屋敷から移築されたと伝わるもので切妻、茅葺、一間一戸、四脚門。その他には境内には妻木城主代々の墓所や位牌、文化財指定されている多くの寺宝を所持しています。宗派:臨済宗。土岐郡三十三観音霊場第18番札所(御詠歌:水をくみ ひろう妻木の 崇禅寺 知るも知らぬも 後の世のため)。
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松巌山 祝峰寺 臨済宗妙心寺派
「だるま寺」
撮影地:愛知県豊田市三ツ久保町山ノ寺
本堂
達磨堂
五輪石塔:市指定文化財 桃山時代と宝篋印塔:市指定文化財 室町時代
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
豊田市北東の山間部に位置する小原地区は<和紙のふるさと><四季桜>として知られている。
その山腹に建つ祝峰寺は<だるま寺>と呼ばれ、だるま祈祷の信仰が篤いといわれている。 道路のあちこちに<だるま寺>の案内標識が立ち、近在では観光スポットともなっている。 祝峰寺は天正年間(1573〜92年)に開創されているが、石塔類はそれよりも年代が古い。 |
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天目山 密蔵院 臨済宗永源寺派
「三河三弘法の第三番札所」
撮影地:愛知県刈谷市一里山町南弘法
本堂
Nikon D800・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
天目山密蔵院の創建は不詳ですが当初は真言宗の寺院で泉田町にあったとされます。伝承によると弘仁13年(822)に1人の旅僧が当地を訪れ、喉の渇きから民家を訪ね1杯の水を戴きました。旅僧が話しを聞くと、この地は高台にあり、1杯の水を汲むのも谷を下らなければならないので大変難儀をする事を聞きました。旅僧はその話を聞くと、水の御礼と申し、錫杖を地面に強く立て、念仏を唱えると、不思議な事に先端から湧水が湧き上がってきました。民家の主はこれは名のある名僧であるに違いないと思い名前を聞き出すと、平安時代の高僧として知られる弘法大師空海と名乗りました。その話を聞いた村の人々は皆、空海の有難い説法を聞き、数日間当地で過すと、別れ際に空海は3躯の仏像を彫刻し、私の代わりにこの仏像を拝むと、あなた方をきっと守護してくれるでしょうと告げこの地を離れたそうです。その3躯の仏像は、大師との別れを惜しんだ「見返弘法」、去ってゆく大師を見送った「見送弘法」、大師との別れ際に涙を流した「流涕弘法」と呼ばれ、その内の「流涕弘法」が密蔵院に安置されました。これにより、「見返弘法」を安置した遍照院(知立市)と「見送弘法」を安置した、西福寺(刈谷市)と共に三河三弘法に数えられ密蔵院は三番札として信仰の対象となりました。正徳4年(1714)、木がん禅師が再興し臨済宗に改宗、永源寺(滋賀県東近江市)の末寺となります。安永3年(1774)、落雷が火災となり多くの堂宇、記録、寺宝などが焼失しましたが長寿寺2世住職が再建しました。山門は入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚楼門。本堂は寄棟、桟瓦葺、平入、桁行6間。大師堂は宝形造、桟瓦葺、桁行4間、梁間4間。境内は霊場として整備され、様々な仏像や石像、地蔵などが建立されています。三河新四国八十八ヶ所三番札所。参河國准四国八十八ヶ所第六十六札所。宗派:臨済宗永源寺派。本尊:弥勒菩薩。
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