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霊鷲山 長母寺 臨済宗東福寺派
撮影地:愛知県名古屋市東区矢田
参道を登ると熱田社が
山門 国登録有形文化財、山門。江戸時代(18世紀後半)に建てられた木造薬医門
本堂 国登録有形文化財
国登録有形文化財、庫裡。文政11(1828)年建造 開山堂
西国八十八所弘法大師像
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
治承3(1179)年、山田次郎重忠がその母の菩提を弔うため観勝法師を迎え天台宗桃尾寺として創建。その後焼失したが、弘長2(1262)年(※)山田道園坊夫妻が母親のため鎌倉梶原影時の末裔当時37歳(嘉禄2(1226)年12月28日生)の無住国師を迎え長母寺と号し同地木賀(が)崎に再建、臨済宗に改められた。(※一説には弘長3(1263)とも言い、山田重忠は山田庄内に父・母・兄をそれぞれ祀るため長父寺・長母寺・長兄寺を建立したと言う。長父寺は明応8(1499)年に廃されたが、長兄寺は兄(けい)を慶とし小幡地内に長慶寺としてある。)
無住は高僧の誉れ高く一時は末寺93ヶ寺を数える程の大寺となり同寺で弘安6(1283)年、仏教説話集「沙石集(しゃせきしゅう)」全十巻(県文化財)を著したのを初め多くの書物を著し、中でも法華教を基に狂言風に著した「正應年中萬歳楽」は小者徳若に授け祝い事の時家々を回り謡うことにより教えを広めようとし後これが尾張万歳の発祥となった。無住はまた熱田の神への信奉も篤く朔日には必ず参禅しこれが今門前にある熱田社。 正和元(1312)年10月10日、同寺で50年を過ごした後87歳で入寂した。(※無住が兼帯した桑名蓮華寺との説もある。) 中世に入り貴族階級が崩壊し後ろ盾を失った寺社は衰退、長母寺も天正5(1577)年織田信長から340石、北条・足利家そして山田・二宮氏等合わせて1200石を有したが衰退の一途をたどり、秀吉の文禄の検地(1582〜1591)により寺領を没収され、18世嶺岳和尚は遷化させられ相続も無く無住像を残し全てを失い東福寺派名古屋総見寺末寺として細々と存在する状態になった。 その後政秀寺開山澤彦和尚が預かり、慶安3(1650)年に入山した昭山和尚は寛文8(1668)年まで18年間住職に留まりその間諸堂の普請、末寺の復帰、総見寺との関連修復にと尽力、散逸していた諸物の収集に務め、また多くの人々の寄進も増え、天和2(1682)年雪渓和尚の時尾張2代藩光友公の命により再興された。 |
栄西(臨済宗)
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大なるかな心や。
天の高さは極むべからず、
而るに心は天の上に出づ。
地の厚きは測るべからず、
而るに心は地の下に出づ。
日月の光は踰ゆべからず、
而るに心は日月光明の表に出づ。
大千沙界は窮むべからず、
而るに心は大千沙界の外に出づ。
其れ太虚か、其れ元気か、
心は則ち太虚を包み、元気を孕むものなり。
天地我を待って覆載し、日月我を待って運行し、
四時我を待って変化し、万物我を待って発生す。
大なるかな心や。
栄西『興禅護国論』序
天の高さは極むべからず、
而るに心は天の上に出づ。
地の厚きは測るべからず、
而るに心は地の下に出づ。
日月の光は踰ゆべからず、
而るに心は日月光明の表に出づ。
大千沙界は窮むべからず、
而るに心は大千沙界の外に出づ。
其れ太虚か、其れ元気か、
心は則ち太虚を包み、元気を孕むものなり。
天地我を待って覆載し、日月我を待って運行し、
四時我を待って変化し、万物我を待って発生す。
大なるかな心や。
栄西『興禅護国論』序
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集慶山 凌雲寺 臨済宗妙心寺派
撮影地:愛知県名古屋市中村区稲葉地本通
本堂
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
永正年中(1504〜21)に稲葉地城主の津田豊後守信光(織田信長の伯父)が創建し,津田家の墓所となった寺です。織田信長が幼少の一時期,信光に引き取られてこの寺で手習いをしたといわれ,手習いで用いた草紙を枝にかけて遊んだという「信長草紙掛の松」があります。往時は二百貫文の寺領を持ったが,豊臣氏が没収,のちに福島正則が寺領を寄進したといいます。境内の庭は禅寺の風格を備えた見ごたえのあるもので,市内でも屈指のものと言われています。本尊は観音菩薩で,定朝作と伝わっています。
寺の墓地には,「天文5年(1536年)」の銘のある宝篋印塔があり,刻字から創建した津田豊後守信光の墓であることがわかっています。また,「応永30年(1423年)」の銘の笠塔婆や,歴代の住持の墓がある一角に古い五輪塔があり,開山の南溟紹化(なんめいしょうか)和尚の墓と伝えられています。 |
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万松山 観音寺 臨済宗妙心寺派
撮影地:愛知県名古屋市名東区上社
本堂
観音堂
境内
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
寛文七年(1667)、小瀬新左衛門忠次が開く。
境内には、上社中の史跡が集められているところが、高針の済松寺(臨済宗妙心寺派)とよく似ている。 観音堂に秘仏「十一面観音座像」(17年ごとのご開帳)がある。
境内のクロガネ(黒鉄)モチ かつては、村の男女がこの樹を回って盆踊りをしたが、狭いので大規模な盆踊 りは、上社公園で行われている。 別名を「ふくらしば」といい、『猪高村誌』には、「ふくらしば老樹」と紹介されている。 |
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輝本山 洞光院 臨済宗妙心寺派
撮影地:愛知県尾張旭市新居町
LUMIX GX7・LUMIX G 14mm F2.5 ASPH.
LUMIX GX7 ・CONTAX Carl Zeiss T* Distagon 35mm F:1.4
LUMIX GX7・LUMIX G 14mm F2.5 ASPH.
秋葉堂 火の神様をお祀りしています。
LUMIX GX7 ・CONTAX Carl Zeiss T* Distagon 35mm F:1.4
馬頭観音 旅人の無事を祈る観音様。
輝本山 洞光院は御本尊に南無釈迦牟尼佛を安置し永禄元年(1558年)に建立されました。
約500年近い歴史があり現住職(大耕和尚)で17代目になります。臨済宗妙心寺派に属し大本山妙心寺の末寺になります。先住職(永紀和尚)の設計した枯山水は「美しい愛知づくり景観資源」に登録されています。また、古くより「棒の手(伝統芸能)」にまつわるお寺として境内には棒塚が安置してあります。 昔、お寺は「寺子屋」として道徳や学問を学ぶ場所であったり、身近にあるお悩み相談所のような正に生きる人々の為の集いの場所でありました。洞光院は法事や葬式だけでなくお寺としての原点に立ち返り、お越しに来られた皆様が「ほっ」と安心できるお寺をめざしています。 |
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八橋山 無量寿寺 臨済宗妙心寺派
撮影地:愛知県知立市八橋町
本堂
十数年ぶりに訪れたが杜若の株がまばら・・・・・
ボランティアの方がさみしいですねと、愛知県、知立市に相談しながら他で株を育てているが、色が変わる事もあり原因が分からないと。
芭蕉 歌碑
杜若われに発句の思いあり
在原業平 歌碑
からころも きつつなれにし つましあれば
はるばるきぬる たびをしぞおもふ
杜若姫墓供養塔
業平の愛人「杜若姫」は、業平の東下りの際、はるばる都よりその跡を追い八橋までたどり着きましたが、その時すでに八橋を立ったあとで、悲観の余り付近の淵(今の逢妻川)に入水し、亡くなられたそうです。
西行 歌碑
さみだれは原野の澤にいづく三河のぬまの八橋
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帰りがけに又ボランティアの方と余りにもさみしいですねと話していたら、過去の歴史を見ると
杜若のさみしい時も度々あったようですと、今年はそういう年かもと・・・・。
あの西行が訪れた時もそうだったのではと西行の歌碑がある事を教えて頂いた。
臨済宗妙心寺派の寺で、704年(慶雲元年)に 慶雲寺として創建したと伝えられています。平安時代の歌人である在原業平が句頭に「かきつばた」を入れて詠んだ和歌に知られるように、伊勢物語の昔からかきつばたの名勝地として有名です。また京都の銘菓「八ツ橋」は、この地の名前にちなむとも言われています。 在原業平を追ってきたが想い叶わずに自ら命を絶ったされる小野篁(おののたかむら)の娘杜若を祀る「杜若姫供養塔」など、市指定の文化財もいくつかあります。寺の庭園には「八橋かきつばた園」があり、毎年5月上旬には約3万本のかきつばたが美しい姿を見せてくれます。
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
Nikon D800・Ai AF DC-Nikkor 135mm
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