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長嶋山 妙興報恩禅寺 臨済宗妙心寺派
撮影地:愛知県一宮市大和町妙興寺
鐘楼 方丈 禅堂 三門 裏側
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
南北軸の前方より総門、勅使門、放生池、山門、仏殿を配し、その西脇後方に住房の一画を配し、庫裏、方丈、鐘楼、書院、禅堂、開山堂などを設けている。鐘楼は、桁行1間、梁間1間、楼造とする。柱は、面取角柱とし、4本の柱を基壇の礎石上に立て、内転び(うちころび)として上層まで伸ばしている。下層は、柱間に地固め貫、内法貫を通し、白漆喰壁を入れ、東妻に小窓、西妻に格子窓を開けている。上層では、周囲に擬宝珠高欄付の切目縁を廻らし、四面を白漆喰壁とし、妻側に丸窓、桁側に花頭窓を開け、柱上では飛貫を通し、波形欄間を入れている。内部では、桁行の中央に大梁を渡し、大梁の中央に梵鐘を吊っている。この建物の建立年代は、両妻の木鼻状の様式から判断して、室町時代後半のものと考えられている。
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栄西(臨済宗)
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大なるかな心や。
天の高さは極むべからず、
而るに心は天の上に出づ。
地の厚きは測るべからず、
而るに心は地の下に出づ。
日月の光は踰ゆべからず、
而るに心は日月光明の表に出づ。
大千沙界は窮むべからず、
而るに心は大千沙界の外に出づ。
其れ太虚か、其れ元気か、
心は則ち太虚を包み、元気を孕むものなり。
天地我を待って覆載し、日月我を待って運行し、
四時我を待って変化し、万物我を待って発生す。
大なるかな心や。
栄西『興禅護国論』序
天の高さは極むべからず、
而るに心は天の上に出づ。
地の厚きは測るべからず、
而るに心は地の下に出づ。
日月の光は踰ゆべからず、
而るに心は日月光明の表に出づ。
大千沙界は窮むべからず、
而るに心は大千沙界の外に出づ。
其れ太虚か、其れ元気か、
心は則ち太虚を包み、元気を孕むものなり。
天地我を待って覆載し、日月我を待って運行し、
四時我を待って変化し、万物我を待って発生す。
大なるかな心や。
栄西『興禅護国論』序
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長嶋山 妙興報恩禅寺 臨済宗妙心寺派
撮影地:愛知県一宮市大和町妙興寺
武人天部像(平安時代)
武人天部像(鎌倉時代)
中 張大帝像
左 霊澤大龍王
右 大権修理菩薩
寺を守護する伽藍神と考えられている(江戸時代)
十三重石塔
三十三観音
親のなき 子等をともない荒海於
渡り帰らん この荒海を
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
仏殿がたまたま解放されており撮影もご自由にと
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長嶋山 妙興報恩禅寺 臨済宗妙心寺派
撮影地:愛知県一宮市大和町妙興寺
総門
1746年尾張徳川家大曽根屋敷より移築された。
勅使門
創建当時1348年唯一の建築物で、勅額「国中無双禅刹」が掛かっている。
三門
仏殿
釈迦三尊像
南北朝時代創建当初の作
昭和の時代の油絵
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
妙興寺は、長島山と号し、臨済宗妙心寺派に属し、如意輪観世音菩薩・釈迦牟尼如来を本尊とする。創立は、貞和4年(1348)に滅宗宗興(円光大照禅師)によって開かれたとされ、貞治3年(1364)には足利義詮より五山・十刹に次ぐ諸山に列せられた。戦国時代には守護の斯波氏や織田氏より、江戸時代には尾張藩より寺領が安堵された。境内は、4町四方に及ぶ広大な寺地であったとされ、周囲には8ヶ寺の塔頭(たっちゅう)が配されていた。明治23年(1890)の火災により主要堂宇を失ったが、その後再建され、寺地もそれまでの規模を保っている。
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金閣 鹿苑寺 臨済宗相国寺派
撮影地:京都府京都市北区金閣寺町
これが三島由紀夫の金閣寺の杜若か
杜若の草叢は夜風にさわいでいた。高くかかげた紫の弁は、しずかな水音のなかにわなないていた。そこらあたりは闇が深く、紫も、葉の濃い緑も黒く見えた。私は二三の杜若をとらえようとした。しかし風と共に、花や葉はざわめきながら私の手をのがれ、葉の一つは私の指を切った。
夕佳亭
宗和が好んだ数奇屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が殊(コト)に佳(ヨ)いということからこの名が付けられました。南天の床柱と萩の違い棚で有名な3帖の茶室です。
LUMIX GX7・LUMIX G 14-42㎜ F3.5−5.6 ASPH.MEGA O.I.S
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。
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報国寺 2 臨済宗建長寺派
撮影地:神奈川県鎌倉市浄月寺
柄にもなく抹茶を
Nikon D300・AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)
報国寺、は古くから境内の1000本の孟宗竹林で知られている。
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