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明照山 普光寺 曹洞宗
撮影地:愛知県名古屋市北区大杉
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
如来像と如意輪観音
十二支地蔵
弘法地蔵菩薩
創建は、天正5年(1577)で、御器所村、竜興寺の六世、儀存和尚による建立。
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道元(曹洞宗)
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仏道をならふといふは
自己をならふ也
自己をならふといふは
自己をわするヽなり
自己をわするヽといふは
万法に証せらるヽなり
万法に証せらヽといふは
自己および他己の身心をして脱落せしむるなり
道元「正法眼蔵」
自己をならふ也
自己をならふといふは
自己をわするヽなり
自己をわするヽといふは
万法に証せらるヽなり
万法に証せらヽといふは
自己および他己の身心をして脱落せしむるなり
道元「正法眼蔵」
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妙法山 修善寺 曹洞宗
撮影地:愛知県名古屋市北区辻町
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
文安元年(1444)の創建。本尊薬師如来像は、空海42歳のときの作といわれ、辻薬師または厄除薬師と呼ばれている。
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萬燈山 長圓寺 曹洞宗
撮影地:愛知県西尾市貝吹町
Nikon D800・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
本堂
板倉家一族の墓所および板倉勝重の霊廟・肖影堂に至る参道の脇に据えられた大型の手水鉢。自然石の姿を生かした姿で、背面には勝重の座右の銘「苟日新日日新又日新」と、亡き父・勝重の菩提を弔うために寛永7年に長子重宗が奉納した旨の刻銘がある。刻銘の文字は江戸時代初期を代表する多才な芸術家・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の筆による。京都所司代を務めた勝重、重宗父子と光悦の親交の様子は『本阿弥行状記』などに詳しい。
桁行三間、梁間三間、宝形造本瓦葺。長圓寺は江戸時代初期の京都所司代・板倉勝重とその子孫である板倉六家の菩堤寺。勝重七回忌にあたる寛永7年に長子重宗が現在地に移転し、伽藍の整備を行なった。簡素で品格のある姿の肖影堂の内部には作り付けの厨子が据えられ、勝重の遺骨を胎内に納めた勝重像を安置している。堂正面の扁額「肖影堂」は石川丈山の筆による。
板倉勝重墓所
長圓寺(ちょうえんじ)は、江戸時代初めに京都所司代として活躍した板倉勝重とその一族の菩提寺として、寛永7年(1630)に創建されました。お盆の「かぎ万灯」や桜の名所として知られる万灯山麓にある閑静な禅刹です。
家康によって慶長5年(1600)に京都所司代に任ぜられた勝重は、いまだ豊臣方や朝廷、寺院などの勢力の強い京を堅実に治め、幕府による支配体制を確立しました。勝重は19年、長子の重宗は34年にわたって所司代を務め、ともに名所司代と讃えられました。また庶民からは名奉行としても親しまれ、本阿弥光悦、安楽庵策伝、石川丈山、松花堂昭乗、松永貞徳ら、多くの京の文化人、知識人らと身分や立場を越えた親交を結び、スポンサー的役割も果たしました。
長圓寺境内には、寛永7年(1630)に建てられた山門(市文)、勝重の霊廟である肖影堂(県文)や板倉6家の代々の当主と夫人の墓塔が林立する墓所、文化13年(1816)に永平寺の大工棟梁によって再建された本堂があります。また、本阿弥光悦筆の銘のある手水鉢(市文)、石川丈山筆の扁額「肖影堂」など、京の文化人たちの作品も見ることができます。
西尾市HPより
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萬松山 勝楽寺 曹洞宗 「小山田地蔵尊」
撮影地:愛知県西尾市吉良町小山田稠
Nikon D800・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
【由緒】 勝楽寺本尊・子安地蔵菩薩は、後白河法皇(在位1155-58)の手になるもといわれ、一刀三礼、御丈八寸の御木像祢である。
延元4年(1339)勝楽寺創建の時、足利尊氏公(1305-58)は、寺の入口に、国家安泰、民福多幸を祈念して「足利誓いの松」を植え、地蔵尊遷座御奉安した。 当時、難産に苦しむ妊婦が真心を籠めて祈願すれば即時安産と言われ、誰れ言ふと無く子安地蔵菩薩と崇め、満願霊験顕著となり、爾来、参拝者日々後を絶たない。尊氏公は地蔵尊信仰者と伝えられている。 戦後、境内出林より岩場古墳が発見され、本土品に国家的、銘品との評価を得た。これらと合わせて伝来の宝物類、美術品、文化資料等を保存、管理し、文化向上発展のため貴重な社会教育資料として公開、社会に貢献することを目的に、聰明閣、文殊殿が建立された。 これらの文化財は、近郷はじめ国内何處にも見られないと感嘆、賞賛の声があがっている。 日本松100選にもなっていた<三河の黒松>は、虫害により2006年枯死し、
東海最大の松が消えた。 「勝楽寺HPより」
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青龍山 金蓮寺 曹洞宗
撮影地:愛知県西尾市吉良町饗庭七度ヶ入
Nikon D800・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
金蓮寺弥陀堂(国宝)は、愛知県最古の建築で、桁行三間、梁間三間、一重寄棟造で屋根は檜皮葺とする。軸部の柱、舟肘木、内部の小組格天井などに鎌倉時代の様式をよく表している。
源頼朝により、文治2年(1186)に建立されたと伝えられるが、様式的には若干新しいと考えられる 阿弥陀三尊像 県指定文化財
本堂
金蓮寺は、古くから三河国幡豆郡の吉良荘の饗庭(あいば)にあり、阿弥陀如来を本尊とする。創立は、寺伝によると文治2年(1186)源頼朝と三河国守護の安達九郎盛長により建てられた三河七御堂の一つといわれる。当初は真言宗であったが、寛政9年(1797)に希外透聞和尚を開基として曹洞宗に改められた。弥陀堂は、平安時代の浄土信仰の中で極楽浄土を求めて建てられた阿弥陀堂の系統に属し、その遺例は中尊寺金色堂(岩手・国宝)などに見られる。それらは方三間、総丸柱で、中央に四本柱を立てて尊像を祀る有心堂の仏堂であったのに対し、金蓮寺弥陀堂は桁行3間、梁間3間、寄棟造、檜皮葺、正面に庇を出し、左側面後方に2間の庇を加え、周囲に落縁(おちえん)を巡らした邸宅風の意匠を取り入れた仏堂であり、同種の建物としては金剛峰寺不動堂(和歌山・国宝)がある。内部は四天柱を用いず、来迎柱2本を側柱列より後退させていることから、鎌倉時代中頃の建物と考えられている。
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