四季の旅人写真館

四季折々の日本の原風景と花の写真を撮影しています。本ブログ掲載の画像は著作権を放棄しておりません。

道元(曹洞宗)

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仏道をならふといふは
自己をならふ也
自己をならふといふは
自己をわするヽなり
自己をわするヽといふは
万法に証せらるヽなり
万法に証せらヽといふは
自己および他己の身心をして脱落せしむるなり
                    道元「正法眼蔵」
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妙昌寺 2

大梁山 妙昌寺   曹洞宗
撮影地:愛知県豊田市王滝町
 
 
 
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本堂
 
 
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三河鈴木宗家の墓
 
 
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室町時代建立の松平親氏供養塔
 
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 
 
妙昌寺の創建は鎌倉時代に円昭によって開かれたのが始まりとされます。当初は円昭庵と称していましたが明徳元年(1394)、松平、徳川家の祖と云われている松平親氏が当時の住職無染融了和尚に深く帰依した事で、諸堂、境内を整備して寺号を妙照寺に改称しています。以来、松平家から庇護され室町時代末期には松平元康(後の徳川家康)が制札を発布し妙昌寺を保護しています。江戸時代に入ると鈴木三郎九郎重祐など板倉勝重から庇護され多くの古文書が残されています。寺宝である伝道元筆跡は曹洞宗開祖である道元の筆と伝えられるもので「正法眼蔵」梅華の巻の初めの15文字を記したものです。境内には松平親氏の供養塔と伝わる宝篋印塔、丹波篠山城主青山氏の分骨が葬られた宝篋印塔、三河鈴木宗家の五輪塔などが建立されています。
 
 

妙昌寺 1

大梁山 妙昌寺   曹洞宗
撮影地:愛知県豊田市王滝町
 
 
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当初、王滝渓谷へ行くつもりでしたが入り口が工事中で通行止め。
距離が有る駐車場に止めれば行けるのは解っていたがこの寒い中諦めてナビを見ていたら妙昌寺が有った。
裏からは行ったようでカメラだけ持って他のレンズ、三脚は持たず駐車所から歩いて行った。
着いて見たら、せせらぎの音が聞こえ表に回ってみたらなんと王滝渓谷にでていたが真っ暗で三脚もなし。
駐車場まで戻る気もなく、手持ちで厳しかった。
 
 
 
 
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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
 
 
 
妙昌寺の創建は鎌倉時代に円昭によって開かれたのが始まりとされます。当初は円昭庵と称していましたが明徳元年(1394)、松平、徳川家の祖と云われている松平親氏が当時の住職無染融了和尚に深く帰依した事で、諸堂、境内を整備して寺号を妙照寺に改称しています。以来、松平家から庇護され室町時代末期には松平元康(後の徳川家康)が制札を発布し妙昌寺を保護しています。江戸時代に入ると鈴木三郎九郎重祐など板倉勝重から庇護され多くの古文書が残されています。寺宝である伝道元筆跡は曹洞宗開祖である道元の筆と伝えられるもので「正法眼蔵」梅華の巻の初めの15文字を記したものです。境内には松平親氏の供養塔と伝わる宝篋印塔、丹波篠山城主青山氏の分骨が葬られた宝篋印塔、三河鈴木宗家の五輪塔などが建立されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

瑞泉寺

龍蟠山 瑞泉寺  曹洞宗
撮影地:愛知県名古屋市緑区鳴海町
 
 
 
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総門
 
 
 
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法堂
 
 
 
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庫裡
 
 
 
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Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
 
 
旧東海道鳴海宿にある瑞泉寺は小高い丘の上に建ち、東海道を
西へ向うと大きく目に入るランドマークと捉えられていたらしい。
この景観から瑞泉寺の伽藍は名古屋市の景観重要建築物になっている。

瑞泉寺は、1404年鳴海城(根古屋城)主・安原宗範が瑞松寺として
開創したのに始まると伝えられている。
1501年現在地に移っている。
総門(山門)は黄檗宗大本山・萬福寺の総門を模して造られたといわれ、
ほとんど同形の黄檗宗風の門である。
 
 
 

雲興寺

大龍山 雲興寺   曹洞宗
撮影地:愛知県瀬戸市白坂町
 
 
 
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Nikon D800・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
 
 
雲興寺は至徳元年(1384)に開かれた尾張の曹洞宗を代表する寺院です。織田信長や信雄らの保護を受け、江戸時代には幕府より三河国加茂郡本徳村(現豊田市)に寺領を与えられました。
盗難除けの ご利益があることでも知られている。
 
五月新緑の時訪れて紅葉を楽しみにしていましたが、参道から降りてくるカメラマンが今年は良くないです落ちている葉もあれば緑の葉もあると、ここは午後の斜光が良いだろうと訪れましたが今回は期待外れでした。
 
 
 

法持寺

白鳥山 法持寺  曹洞宗
撮影地:愛知県名古屋市熱田区白鳥
 
 
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本堂
 
 
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弘法堂
 
 
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昭和32年より30年もの長き間、三保ヶ関部屋の宿舎となり、
あの大横綱北の湖縁のお寺のようです。
 
 
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LUMIX GX7・LUMIX G 20mm F1.7 ASPH.
 
 
何とはなしに何やら床しすみれ草    芭蕉
 
 


法持寺は、天長年間(824〜834年)弘法大師空海が熱田神宮に詣でた際、
大和武尊の陵(白鳥御陵)を鎮守する祠を建てたのが始まりと伝えられている。
白鳥御陵は白鳥古墳の別名であり、長く法持寺が管理していた。
最初は宝持寺であったが、江戸時代初期に法持寺となっている。
宝徳元年、開山の明谷義光大和尚は曹洞宗として再興した
熱田神宮の大宮司の菩提寺でもあった大寺であった。
戦国時代、織田信長が桶狭間合戦に向かう途中、当寺へも立寄り、
必勝を祈願したといい伝えられている。
 
芭蕉は1684年8月〜85年4月にかけて江戸〜尾張〜伊賀〜京都〜
熱田〜江戸と旅した<野ざらし紀行>を著しているが、1685年3月
熱田の法持寺で、地元の俳人・桐葉などと句会を持っている。
この時に、桐葉の娘の死を悼んで詠んだ句が 
 <何とはなしに何やら床しすみれ草>であり、その句碑が法持寺の
境内にある。

 
 

 

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