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大高山 春江院 曹洞宗
撮影地:愛知県名古屋市緑区大高町
山門
本堂 国登録文化財
境内
鐘楼
観音堂
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
当山は、大高山と号し、曹洞宗に属し、多宝如来を本尊とする。創立は、弘治2年
(1556)大高城主水野大膳が父和泉守の菩提を祀るため、横須賀長源寺の4世峰庵玄祝(天正15年・1587寂)を開山として開いたものである。本堂は、棟札によれば文政13年(1830)18世越山叟代に竹中和泉正敏により建立されたものである。本堂は、桁行実長9間、梁間実長7間半、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付とする。江戸後期の典型的な曹洞宗本堂である。
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道元(曹洞宗)
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仏道をならふといふは
自己をならふ也
自己をならふといふは
自己をわするヽなり
自己をわするヽといふは
万法に証せらるヽなり
万法に証せらヽといふは
自己および他己の身心をして脱落せしむるなり
道元「正法眼蔵」
自己をならふ也
自己をならふといふは
自己をわするヽなり
自己をわするヽといふは
万法に証せらるヽなり
万法に証せらヽといふは
自己および他己の身心をして脱落せしむるなり
道元「正法眼蔵」
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大椿山 妙仙寺 曹洞宗
撮影地:愛知県日進市岩崎
山門は三間一戸の楼門という造り。
本堂
臥龍の松 樹齢400年を超える。
山門の天井には赤穂浪士四十七志の姿が描かれています。
幕末の頃に描かれた当初の絵は寺に保管され、現在の絵は昭和38年のものだそうです。 大石主税
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
妙仙寺は岩崎城下に在ります。
岩崎城初代城主の丹羽氏清をはじめ一族関係者の菩提寺です。 妙仙寺山門(楼門)は寛政5年(1793年)再建されました。 |
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正暾山 明徳寺 曹洞宗
撮影地:愛知県名古屋市名東区陸前町
本堂
十五堂
柴田勝家公誕生地の碑
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
『尾張徇行記』には、「創建ノ年暦ハ不知、寛政四子年高針村高田宗蓮教寺ノ末寺トナル、今正飩山ト号ス」とあり、『尾張志』には、「下社村にありて正眺山といふ。高針村蓮教寺の末也。慶長元年申三月、僧浄泉創建す。本堂に阿弥陀仏を安置す」とある。 南朝の臣で奥平という人物が、当村に来て閑居した。その後、出家して天光と名のり、貴船社南西の明徳寺の旧地(「浄泉安立の墓塔」が建っている位置)に、明徳二年(1391)、明見寺を建立した。 明見寺は慶長元年(1596)に明徳寺と改め、浄土真宗高田派に改宗した。 明徳寺の名前の由来は、「明徳(めいとく)年間に創建したから」と伝わるが、「みょうとく」の発音は、明見寺(妙見/みょうけん/北斗七星)からきていると思われる。 現在の明徳寺は、柴田勝家誕生の地と伝わる下社城址に建っている。 |
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天長山 久国寺 曹洞宗
撮影地:愛知県名古屋市北区大杉
本堂
利生殿 明王尊が祀られている
鐘楼
梵鐘 岡本太郎作「歓喜の鐘」
護国観音 浅野祥雲作
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
慶長年間(1596年〜1615年)に長国守養が、徳川家康の守護仏出世勝利開運聖観世音菩薩を三河法蔵寺から受け楠山久国寺を創建した。寛文3年(1662年)の時に安祥長盛和尚が現在の場所に移し、名古屋城の鬼門除けとし、本丸の天長峰の名を取って天長山と改めた。
この由緒ある寺に、岡本太郎が1965年に制作した梵鐘「歓喜の鐘」がある。独創的な形をした圧倒的な存在感がる鐘は、マンダラをイメージしており、上部には無数の角のように腕を突き出した人間、下部には瞑想する仏、動物や魚、妖怪など森羅万象が表現されている。
鐘をつけば、角が共鳴し複雑な余韻がいつまでも鳴り響くそう。除夜の鐘で鐘の音が聴ける。
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鷲嶺山 含笑寺 曹洞宗
撮影地:愛知県名古屋市東区東桜
寄席文字で書かれた寺標
本堂
含笑長屋
含笑院の墓(右)
Nikon D800・Ai AF-S Zoom-Nikkor 17-35mm F2.8 IF-ED
享禄元年(1528年)、織田信秀が生母含笑院の菩提を弔うため尾張国海東郡土田村(現・清須市)に建立した。開山は天台宗の僧侶・清岩法英と伝わり、山門は清洲城にあったものを移築したと云う
4世・助南源佐は信秀の甥で、大雲永瑞(萬松寺開山・信秀の叔父)の弟子・愚庵を法地開山としたことから、源佐と含笑院を開基ともしている。また、これに伴って萬松寺の末寺になったという。慶長15年(1610年)に現在地に移ったが、清洲越しによって旧松山町には48の寺院が集められ、名古屋東部の寺町として栄えた。15世・重澤大年は尾張藩8代藩主徳川宗勝の側室・仙宥院の帰依を受けてその霊廟を寺院内に建て、17世・俊芳密禅は大本山總持寺の輪番を務めたが、その後寺勢が衰え、21世・禅海密定によって中興された。
明治時代を迎えると、本堂や山門を除いた書院や鐘楼・庫裏・座禅堂などほとんどが売却され、境内も大幅に縮小。1945年(昭和20年)、名古屋大空襲によって山門を除いて焼失。戦後の都市計画によって墓地を平和公園に移すなどしたことから隣接していた周辺の寺とも離れ、現在ではビル街の中に位置している。
1967年(昭和42年)「含笑長屋・落語を聴く会」が結成され、年に10〜11回催される落語会には柳家小さんや桂米朝、三遊亭圓生、林家正蔵、春風亭柳橋、古今亭志ん朝、笑福亭松鶴、桂春団治、桂文枝、桂枝雀など東西の名人も数多く出演した。その活動に対して1983年(昭和58年)に愛知県芸術文化選奨の文化賞(団体)を受賞している。1987年(昭和62年)には含笑長屋20周年を記念して門前に寄席文字の寺標が建てられ、1992年(平成4年)には開創450年記念として「含笑長屋」が設立された。
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