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流光山 圓融寺 日蓮宗
撮影地:愛知県西尾市吉良町宮迫
Nikon D800・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)
本堂
大梛 市天然記念物
五本松 推定樹齢490年
吉良の五本松で知られる円融寺は1525年の開創と伝えられ、 五本松もその頃の植樹といわれている。
円融寺には、忠臣蔵で吉良邸討ち入りの際に、吉良の家臣で最も活躍したといわれる清水一学(清水一角)の分骨墓がある。 一学は吉良町宮迫の出で、若くして吉良上野介の用人となっている。 五本松は3本が枯死し、現在は2本が残されている。 |
日蓮(日蓮宗)
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日蓮は徹底して反体制運動を展開した人物である。しかしその反体制精神は、玉砕する事を前提とした負けるための闘いを求めるものではなく、むしろ勝つことを求めた真っ当な闘いであり、そのためしたたかな戦略も立てていた。・・・・国の柱になるという途方もない意志に貫かれた生涯は、現代のわたしたちにも、生きるということについての重要な問題提起をもたらすのではないだろうか。
三田誠広 「日蓮」より
三田誠広 「日蓮」より
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正悦山 妙行寺 日蓮宗
撮影地:愛知県名古屋市中村区中村町下屋敷
本堂
清正公大霊祇
鐘楼の近くにあった小さな堂宇です。『聚宝窟』の文字の扁額がありました。石造りの壁に、頑丈な金属製の扉がありますから、宝物殿のような建物かもしれません。
加藤清正像
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
妙行寺(日蓮宗)は正悦山と号し,創建は不詳ですが古くは真言宗正起山本行寺といい現在より100mほど東にあったといいます。その後天文年中(1532〜55)に現在の寺号に改称したといいます。その後,慶長10年(1615年)に加藤清正が自分の生誕地である現在地に名古屋城築城の余材を用いて再建したといいます。加藤清正は,永禄5年(1562年)にこの地に生まれたと伝わり,秀吉に仕えて数々の武功をあげのち肥後熊本54万石の大名となりました。
境内正面には昭和35年(1960年)に建てられた清正公像があり,境内の清正堂には本妙寺(現熊本市)から伝わる清正尊像を安置しています。また境内には文化7年(1810年)に建立され,元々中村公園内の八幡社にあり明治3年(1870年)に移された清正公誕生の地碑があります。戦で負け知らずの清正公の寺ということで賭け事や商売の神として信仰されています。清正公は熱心な法華経の信者で,各地に寺院を建立したことで知られます。寺宝には,清正公がかぶったという長鳥帽子兜や,慶長16年(1611年)筆と伝わる日遥上人の加藤清正公束帯姿画像[県文化]や天正9年(1582年)の銘のある紙本著色一尊四菩薩画像[県文化]などがあります。日遥上人は清正が朝鮮出兵から帰ってきた際に現地から伴ってきて,のちに身延山で僧になった人物です。
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太閤山 常泉寺 日蓮宗
撮影地:愛知県名古屋市中村区中村町下屋敷
境内には秀吉の銅像があるほか,秀吉産湯の井戸があります。秀吉が生まれた当時は清水があふれ,この寺の寺号もこの泉から常泉寺と名づけられたといいます。昭和40年代に市街地の開発などで井戸が枯れたため,平成になって泉が再現されました。滝の落下する石は秀吉の千成ひょうたんにちなんで萬成石が使用されているといいます。
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
常泉寺(日蓮宗)は、太閤山と号し、慶長11年(1606年)(創建は諸説あり)に加藤清正が円住院日誦上人とはかって秀吉をまつるために、秀吉の義父筑阿弥(ちくあみ)の邸宅で、秀吉誕生の地と言われた現在地に創建したものです。江戸時代は秀吉について語ることは良しとされず、「太閤山」の山号も取り上げられて檀家もいない状態だったのを、地元の人たちがお金を出し合って守ったという言い伝えがあります。
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富士山 本門寺(通称:西山本門寺) 法華宗興門派 「富士五山」
撮影地:静岡県富士宮市西山
織田信長首塚
柊 樹齢500年
御宝堂
日映上人墓所
塔中
Nikon D300・AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)
天正10年(1582)6月2日、織田信長が本能寺の変で自害すると、本因坊日海(碁打ち・将棋指しの頭領格、本能寺の変前夜に織田信長の御前で林利玄と対局をし「三コウ」と呼ばれる奇跡的な手であがった事から、不吉を感じ取り素早く対応出来たと伝えられています。)の機転により、原志摩守宗安が信長の首と同じく自害した父胤重と兄孫八郎清安の首を持ったまま炎上する本能寺(京都府京都市中京区)から脱出することに成功しました。そのまま駿河に逃れた宗安は西山本門寺の本堂裏に塚を築き信長の首を埋めると柊を植えたと伝えられています。柊は推定樹齢400〜500年、目通り3.6m、根元周囲4.6m、樹高17m、昭和31年(1956)に静岡県指定天然記念物に指定されています。
富士五山は、駿河国富士郡にある富士門流5本山の総称。古くは「富士五ヶ寺」「富士郡法華五ヶ寺」とも書かれた。いずれも日蓮の最高弟日興とその弟子たちによって鎌倉〜南北朝期に開かれ、爾来富士門流の中核を成してきた。
富士門流は、日蓮系諸門流のひとつ。日蓮の最高弟・六老僧日興の法脈を継承し、「日興門流」「興門派」などとも呼ばれる。
同門流には「興門八本山」と呼ばれる有力本山8か寺があり、そのうち富士山麓にある5か寺を富士五山とよぶ。上条大石寺、重須本門寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺、西山本門寺。
今回富士五山巡りでは一度も富士山が顔を見せる事はありませんでした。
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富士山 本門寺(通称:西山本門寺) 法華宗興門派 「富士五山」
撮影地:静岡県富士宮市西山
黒門
参道
本堂
鐘楼
Nikon D300・AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)
西山本門寺の創建は康永2年(1343)、日代上人が開いたのが始まりと伝えられています。日代上人は日蓮上人の高弟で六老僧の1人に数えられた日興上人の高弟で、日興死後は北山本門寺の貫主を務めていましたが領主(地頭)である石川実忠や宗徒達と対立し、現在地の領主である大内安清の招きで西山本門寺を開きました。北山本門寺とは同門であると同時に対立関係で天正9年(1581)には武田家出身とされる13世日春が武田家家臣である増山権右衛門と共に北山本門寺に侵攻し数多くの寺宝を奪っています。武田家が滅亡すると駿河を治めた徳川家康が庇護し、天正11年(1583)には寺内諸役などが免除され、幕府開府後も引き続き庇護され寺領21石6斗8升が安堵されています。18世日順上人は千葉原家から迎えたことで後水尾天皇の姫である常子内親王の帰依を受け、下馬下乗の禁礼を建てることを許され、親筆の法華経や祈祷経が奉納されています。さらに、20世日圓上人は水戸徳川家の出身だったことから水戸徳川家から帰依の対象となり水戸光圀の支援を受け境内が整備されています。
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