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龍王山 一乗院 日蓮宗
撮影地:岐阜県瑞浪市明世町
本堂
日蓮聖人之像
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
この時期、中央高速の恵那〜瑞浪の間を走っていると何度かこの枝垂れ桜を目にしている。
今回、国道19号を走っていて思いだし立ち寄ってみた。
参道を登り中央高速の下をくぐりさらに急坂を登ると本堂の前にでた。
この寺の開基、開創等調べてもよく解らなかった。
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日蓮(日蓮宗)
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日蓮は徹底して反体制運動を展開した人物である。しかしその反体制精神は、玉砕する事を前提とした負けるための闘いを求めるものではなく、むしろ勝つことを求めた真っ当な闘いであり、そのためしたたかな戦略も立てていた。・・・・国の柱になるという途方もない意志に貫かれた生涯は、現代のわたしたちにも、生きるということについての重要な問題提起をもたらすのではないだろうか。
三田誠広 「日蓮」より
三田誠広 「日蓮」より
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身延山久遠寺 日蓮聖人御墓
撮影地:山梨県南巨摩郡身延町
祖廟拝殿
祖廟拝殿
祖廟を拝礼するための建物で、千鳥破風、御所向拝丸太建築桧皮葺きの造作です。
殿内の頭上中央に掲げる「立正」の大額は昭和天皇より賜った勅額で、大正天皇から聖人に賜った「立正大師」の贈り名にちなんだものです。 祖廟塔
拝殿の正面に厳然と聳立するのが、聖人の「墓をば身延」にというご遺命にしたがって立てられた御墓であります。
聖人の御墓は、祖師の御廟ですから祖廟、あるいはたんに御廟と呼び、これに架けられた塔を祖廟塔、御廟塔といいます。 この塔中にこそ、聖人の御舎利を安んじた創建当初の五輪塔の御墓がましましているのであります。五輪塔に刻まれた「妙法蓮華経」の5字は、聖人の本弟子・日昭上人あるいは日向上人の筆であると伝えられています。 直弟子直檀廟
祖廟に向かって左側の奥にあり、白蓮阿闍梨日興上人、南部(波木井)実長公、阿仏坊日得上人、富木常忍公の母・常日尼の4人の納骨塔・供養塔があります。
篤信廟
直弟子直檀廟の左側一帯にあり、篤信丹精者の供養墓碑が並んでいます。
徳川家康の側室で、篤信のほまれたかい養珠院、黄門の名で親しまれる水戸徳川光圀の母・久昌院、丹後宮津京極高国の母・寿光院、会津の保科正之の母・浄光院、加賀前田利家の室・寿福院、刈谷三浦共次の母・寿応院などで、その大きな墓碑に、権勢と身延山への丹精のほどが偲ばれます。 御草庵跡
石造の玉垣に囲まれた正方形の地面こそ、聖人9か年ご生活の御草庵跡であります。
聖人はここで、法華経の読誦と弟子・信徒教育のための法門の談義、さらには多くの曼荼羅本尊や、厖大な著述・消息の執筆などに明け暮れました。 聖人滅後、時代とともに発展を遂げた身延山久遠寺は、室町時代、身延山第11世日朝上人の時、将来のさらなる発展をおもんぱかって、もはや狭隘となったここより現在地へ移転をしましたが、聖人ご生活の御草庵跡、霊山浄土感得の霊域、身延山久遠寺発祥の聖地なればこそ、格護と守衛が続けられているのであります。 かたわらには、身延山第78世日良上人によって識された「御草庵旧跡修理の記」の碑石も立っています。 常唱殿
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
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身延山久遠寺 奥之院
撮影地:山梨県南巨摩郡身延町
奥之院の頂上は海抜1247メートルで標高1153メートル。
山頂は、日蓮聖人が身延御在山の折にしばしば登詣され、両親の追善を祈った場所といわれています。 日蓮聖人立像
仁王門
本院本堂前の仁王門(二天門)を移転したものです。
六浦平次郎入道の建立で、天和年間31世日脱上人代に本堂域から移転されました。 祖師堂
思親閣祖師堂は“親を思うお堂”という意味で名付けられており、身延町指定文化財です。現在3年任期の別当制が敷かれており、七面山敬慎院とともに久遠寺法主が任命します。
日蓮聖人お手植杉
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
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身延山久遠寺 日蓮宗総本山
撮影地:山梨県南巨摩郡身延町
祖師堂
日蓮聖人の神霊を祀る堂閣。「棲神閣」と称する。明治14年、江戸にあった寺院のお堂を移築、再建した。
祖師堂
仏殿 納牌堂
仏殿 納牌堂
大鐘 五重塔
枝垂れ桜 樹齢400年
枝垂れ桜
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
五重塔の附帯事業の一つとして、西谷せいしん駐車場から境内へと階段を使わずに登ることができる、斜行エレベーターもあり、バリアーフリーのカート道もありすっかり整備されていた。 |
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身延山久遠寺 日蓮宗総本山
撮影地:山梨県南巨摩郡身延町
鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。当時、身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長(さねなが)の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢(かいびゃく)の日としています。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名されました。
総門
28世日奠上人建立。36世日潮上人の書による「開会関」の扁額は全ての人々が法華経のもとに救われる関門という意味。
Nikon D800・AF-S Nikkor 50㎜ F1.4 G
Nikon D800・AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D
三門
「空」「無相」「無願」の三解脱をあらわす三門には、79世日慈上人の筆による「身延山」の扁額がかかる。
総門から三門まで2㎞ほど。
菩提梯
三門から本堂へと続く287段の石段。登り切れば涅槃に達するという意味の梯は、南無妙法蓮華経の7字になぞらえ、7区画に分けられている。
本堂
1985年、日蓮聖人700遠忌の主要記念事業として再建された。間口32メートル、奥行51メートル。一度に
2,500人の法要を奉行できる。 鎌倉を訪ねた後、鎌倉から室町時代の本を読んでいると、盛んに宗教の話が出てくる。歴史が苦手なのに宗教の話などお手上げです。
私は信仰心もなく、結婚式は神社で、両親の供養はお寺で、娘の結婚式はハワイの教会で全く節操のない人間ですが、日本古来の宗教も少しはと読み進めていますが基礎知識がないので行ったり来たりで、なかなか先に進めません。
当ブログでは政治と宗教について論ずるつもりはありませんが、今回は40数年ぶりで身延山久遠寺を訪ねてみました、枝垂れ桜が有名ですがなかなか訪れる機会がありませんでした。
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