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甲子園最終戦と共に、22年タイガース一筋、桧山選手の引退試合に行ってきました。
タイガースファンにとって桧山選手というのは、特別な思いを抱いている方が多いのではないでしょうか?
私もその一人です。
桧山選手がタイガースに入団したのは、1991年のドラフトで4位。
私の第一印象は「おもろい奴やなあ」というのが第一印象でした。
当時の中村監督の印象は?と記者に質問されると・・・・
「愛人が居てそうですね」
と(笑)
普通の新人がこんなことは言いませんよね(^^)
ここからが、ひ〜やんのファンに対するリップサービスの原点だったと思われます。
冒頭で言った特別な思いというのは、良くも悪くもその時代の象徴だったからです。
入団1年目はタイガースは2位だったものの、その後4位、6位、6位・・・といわゆる『暗黒の時代』で、ひ〜やんは新庄選手と三振王を争うくらい、バットを振りまくりました。
99年野村監督が就任すると、ある試合から4番を任され内心「桧山で大丈夫か?」と思ったものでした。
この野村監督の就任がひ〜やんにとって一つ目のターニングポイントで、なんでもかんでも振っていたのが、選球眼を身に着けていきました。
2001年にはつい3年前までのひ〜やんからは想像がつかなった3割到達。
これは私も嬉しかったです。
第二のターニングポイントは2001年オフの星野監督の就任。
当時は選手会長で、名実共にタイガースの柱になってチームをけん引していました。
2003年のキャンプ初日。
当時の恒例だった、朝のかけ声でひ〜やんは
「77番のオヤジを胴上げしたい」と発しました。
この決意に「今年は本当に何かがあるかも」と思いましたね。
そして、18年ぶりの優勝!
2007年以降代打に専念し、本人の中にはかなり葛藤があったそうですが、持ち前の気力で代打の極意を身につけ、いつの日か「代打の神様」と呼ばれるようになりました。
ひ〜やんは、暗黒時代も強い時代も知るタイガースの象徴なのです。
タイガースを象徴する選手に与えられる「ミスタータイガース」という言葉がありますが、かつては藤村から始まり、村山、田淵、掛布が呼ばれましたが、成績のことを抜きにするとひ〜やんは充分「ミスタータイガース」でないでしょうか?
私事ですが、私には小学校4年生の息子がいます。2年生から野球もしています。
当然、タイガースファンなのですが、一番好きな選手はひ〜やんです。
ある日の甲子園の帰り道、息子が私にこんな質問をしていきました。
「どうして桧山が出てきたら、あんなにみんな喜ぶの?阪神負けているのに、桧山が出てきたらみんなそれだけで喜ぶ。どうして?」と。
私が答えたのは、「桧山は弱い時も強くなった阪神も知っている唯一の選手。ファンもそれは分かっていて、ファンにとったら仲間同然いや家族同然みたいな存在。だから、桧山が出てくるだけで甲子園の空気が一転するんや」
すると息子は「それってすごいね。僕もそんな選手になりたい」と言いました。
小学生の子供にそんな風に思わせる、ひ〜やんの存在って本当にすごいなと思わされました。
長々とすみません!
それでは、引退試合の画像をどうぞ!
一塁アルプス前のイベント広場にて、ファンの方がひ〜やんにメッセージを書き込んでいる風景です。
試合前のシートノックに定位置ライトに現れました!
私はこの時涙が止まらず、写真をおさめるのに精いっぱいでした。
5番ライト桧山がコールされると甲子園は大歓声!
新聞でスタメンとは知っていたものの、この瞬間は感動ものでした。
およそ1年4か月ぶりのライトの守備ですが、誰がここを守るより、やはり24番がいるのが様になります。
試合は4−3で勝利し、ひ〜やんの引退試合に花を添えました。
引退セレモニーについては次回に(^^)
会長 |

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