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私は安倍政権で推進される安保法制を「戦争法」とは呼びません。ただし、「戦争法」反対の方々の主張には賛同しています。
何故「戦争法」と呼ばないのかというと、「即戦争」とはならないからです。平和憲法の下、70余年の平和は数多くの戦争抑止の留め金によって維持されてきました。その留め金の多くが外されてきた歴史があります。今回の安保法制によって外された留め金=安全装置はかなり大きなものです。しかも、憲法無視の暴挙であったことは、法の支配を掲げる我が国の国際的な信頼を損なうものでもありました。しかしなお、まだまだ留め金はあります。天皇・皇后両陛下が平和憲法を体現されていることをはじめ、一足飛びに戦争ということにはならない各種の「障壁」があります。
与党の公明党の思考が不透明ですが、この党の立脚点からすると、自民党の暴走を抑止する力はあると思われます。公明党に見限られたら、自民党は終わってしまいます。一見すると公明党が自民党に依存しているように見えますが、選挙協力が進み過ぎた結果、自民党議員の中で公明党に離反されて衆議院小選挙区や参議院1人区で当選できる者は、合計20名程度になってしまいました。
それはともかく、「戦争」を語る場合、我が国には戦争を企画し遂行する能力があるのか、という面の考察も必要です。
「勝てる戦争」「負けない戦争」を行うためには幾つもの要件があります。
(1) 有能な政府(特に外交面で)
(2) 頼りになる外国(友好国)
(3) 有能な将軍
(4) 優秀な兵士
(5) 戦費に耐える国富
(6) 国民の耐える力
等
(4)はクリアできるでしょう。(2)については、私は疑いますが、取り敢えずアメリカ。(5)はクリアしていると言いたいところですが、財政の状態が大問題です。戦費に耐える財政状態かどうか。少子高齢社会における福祉の問題は深刻です。
(3)は不明。かつてノモンハンで帝国陸軍と戦ったソ連のジューコフ将軍が日本軍について語った言葉が有名です。「兵は優秀、指揮官は無能」。我が国の官僚組織を見ると(一般の大企業も)、戦前の軍隊組織のマイナス要素を温存したままになっています。上に行くほど無能。
人事について。
アメリカは真珠湾を攻撃されたのち、27人抜きの抜擢人事でチェスター・ニミッツを太平洋艦隊司令長官に任命。猛反撃が始まりました。これに対して日本軍は、戦時であるにもかかわらず、平時の人事でバランスを取っていました(戦時に平和な人事)。非常時を闘える組織ではなかったのです。現在、文の官僚組織の在り方を見ると、自衛隊の人事も似たようなものにしかならないと思われます。そもそも、負けると分かっている対米戦争に踏み切った国家要人たちの動機は、自己保身です。組織内での地位保全と暗殺からの自己防衛。現在の官僚機構が個々の官僚の自己保身の論理で貫徹されていると言ったら、彼らは怒るでしょうか。
(6)の国民の耐える力については、ちょっときついかなと思われます。
問題だと思われるのは、政府が有能かどうかということです。本気で有事を想定するのなら、外務大臣と防衛大臣は適任者を任命し、長くその地位に留め置く必要があります。また、その分野でのエキスパートを長期的視野で養成すべきです。防衛大臣および防衛省幹部は、幹部自衛官(戦時の将軍)の特性、とくに作戦立案、作戦遂行、人心掌握などの軍事的能力を把握する必要があります。
これまでの内閣が本気でこういうことを考えていたとは思えません。どうしてこんな人が防衛大臣(防衛庁長官)なのか。あるいは、名ばかり外務大臣。これまでは平和主義で来たのですから、それでよかった(平和な人事)とも言えます。しかし、集団的自衛権を認めるに至った現時点では、甘い発想は許されません。しかるに、安倍氏をはじめとする世襲議員は戦争をゲーム同然にしか考えていないように思われてなりません(ただの火遊び)。世襲議員の親や祖父世代は戦争体験があり、戦争の悲惨さが身に染みていたので、戦争には否定的なスタンスでした。長い平和ののち「戦争を知らない子供たち」が権力を握るに至って、戦争観は抽象的、観念的なものになってしまいました。苦労知らずの権力者は危険です。
集団的自衛権について、私は賛成でも反対でもありません(立憲主義の問題は別論)。賛成する場合は応分の覚悟が必要であるという立場です。
覚悟の内容の一部。
専守防衛なら、中国、北朝鮮、ロシアについて研究しておけばよかったのですが、「他国を守るための防衛」となると、結果として世界中のどの国を敵に回すか不明です。テロを用いる国家や組織が敵に回った場合、どんな攻撃手段を用いるのか分かりませんし、外国旅行者や海外におけるビジネス等の諸活動への影響も懸念されます。
政府のグダグダ答弁を聞いていると、そうした多面的考察があるようにも、それに相応する覚悟があるようにも見受けられません。せいぜい、集団的自衛権を行使するためと称して、外国の業者から高額の兵器を買わされるのがオチです。
戦争というのは超巨大プロジェクトです。大変な力量と作業量を伴います。我が国がそうした戦争を遂行する力量と覚悟を持った国ではないことを自覚すべきだと思います。
狭い国土に過剰な原発がある以上、全面戦争は無理(国会審議で、政府が北朝鮮からの原発へのミサイル攻撃を「想定外」としていることが明らかになりました)。局地的な武力行使が限度。どうやって戦後の和平に持ち込むかを考えながらの駆け引きの一環としての武力行使しか想定できません。それだったら、当初から平和的解決を志向する方が有効ではないかという意見が出てもおかしくありません。
「○○国の脅威」での立論を眉唾だと見抜ける知識を国民が持つべきです。
当たり前に平和を満喫している人に「平和」「平和」を連呼しても鬱陶しく感じられる可能性があります。平和を語るには戦争のリアリティーから出発すべきであるというのが私の立場です。「空気はありがたい」と連呼しても空気を意識しない人は無反応です。空気のない世界を想像するところが出発点です。戦争体験者が少数派になった現在、平和主義の唱え方は難しいと思います。
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