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2017/12/30(土) 午後 4:37
[ 歴史&環境&公徳心ツアー ]
2017/5/7(日) 午前 9:10
日独防共協定
1937年5月には軍事顧問団は100名を超えるまで膨れ上がり、ナチス政権発足前の1928年の30名から大きく増加していた。ヒトラーの外交政策が変更され日独防共協定が締結されると、中国とドイツの関係は弱められていった。
ヒトラーは、ソ連のボリシェヴィキ主義に対抗するには日本の方が頼りになると考え、同盟国に日本を選んだ。
さらに中国が1937年8月21日に結んだ中ソ不可侵条約によりヒトラーの態度は硬化し、以後新たな対中輸出が認められることはなかった。
1937年12月に南京が陥落
1938年前半に、ドイツは満州国を正式に承認した。その年の4月中国への軍需物資の輸出が禁止された。さらに同5月、ドイツは顧問団を中国から引き上げた。
ドイツが親交国を中国から日本に切り替えたことは、ドイツの経済界を失望させた。中国との交易に比べれば、日本と満洲国から得られる経済効果ははるかに小さかったためである。
ナチス幹部達は、日本を中国で勃興する共産主義に対する最後の防波堤と位置づけていた。
[ 弘法大師の孫 ]
2016/6/23(木) 午後 10:07
[ manga ]
2016/6/23(木) 午後 9:52
[ 弘法大師の孫 ]
2015/10/29(木) 午前 0:00
[ sekiya ]
2015/10/11(日) 午後 0:58
[ 弘法大師の孫 ]
2015/10/2(金) 午前 0:07





