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2010年2月14日
於:新国立劇場(12列中央ブロック)

ワーグナー楽劇「ジークフリート」

指揮:ダン・エッティンガー
演出:キース・ウォーナー

ジークフリート:クリスティアン・フランツ
ミーメ:ヴォルフガング・シュミット
さすらい人:ユッカ・ラジカイネン
アルベリヒ:ユルゲン・リン
ファフナー:妻屋秀和
エルダ:シモーネ・シュレーダー
ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン
森の小鳥:安井陽子

演奏:東京フィルハーモニー管弦楽団

キース・ウォーナー/ダン・エッティンガーのコンビによる新国立劇場プロダクション「トウキョウリング」の第二夜「ジークフリート」である。ウォーナー演出は2004年の再演である。結論的にいえばこのような水準の演奏に東京で接することができるのを心から喜びたい。特に歌手陣は充実しており決して海外の演奏に比べても優るとも劣らない演奏だと思う。バイロイトと比べてもホールの違いもあるためかわずかにオーケストラで差が出るように思われたが装置や歌手陣など総合的にひけをとらないのではないだろうか?

エッティンガーの演奏``は相変わらずゆったりしたテンポである。ワルキューレでは一部弛緩した感があったが、今夜の演奏はそのようなことはなかったと思う。1幕ではミーメがジークフリートに出生の秘密を説明するシーンや、謎解きのシーンでミーメがウエルズングと答えるところは、ものすごく遅いが緩みは感じられなかった。案外だったのは熔鋼歌や鍛造歌ではテンポは速かったこと。ここはティーレマンみたいに豪快にやるかと思ったがちょっと肩すかしにあった感じ。演出に合わせたのだろうか?
2幕ではジークフリートが母を偲び伴侶を求めるシーンはとても遅いが感動的。また劇的な場面でのオーケストラのたたみかけるような演奏は素晴らしかった。たとえばアルベリヒとさすらい人とのやりとり、アルベリヒとミーメとの兄弟げんかの場面など。ジークフリートの角笛(ホルン)の演奏はちょっと締まらなかったのは残念。
3幕は全体としてゆったり(約90分)としたテンポでスケールが大きい。特に最大の聴かせどころであるブリュンヒルデの目覚めの場面から終幕までの音楽はよくこのテンポで歌もオケももつなあと思ったくらい。

歌手陣はおおむね満足。クリスティアン・フランツは全幕ほとんど出ずっぱりだったが、流石実力者だけあって立派な歌唱。ただ3幕の幕切れでは少々疲れたか粗っぽくなったように聴こえた。イレーヌ・テオリンは姿も美しく声もきれいではあるが、その癖のある声(ヴィブラートがかかり過ぎではないか?)は好みではない。ラジカイネンは3回目だが演出にあった人間臭いウオータンで安定していた。ミーメ(シュミット)は熱演で立派すぎるくらいのミーメだった。アルベリヒはもう少し明るい声のほうが好きだが熱唱だった。森の小鳥も演技を含めて可愛かった。ということで歌唱についてほとんど傷がないように感じた。

演出もだいぶ慣れてきたのか(自分の目が)以前のような拒否反応はあまりなかった。とは言え決して好きになったわけではない。1幕はマンションの1室のような設定。舞台右には冷蔵庫などの台所、中央には柱があってその横にロフトに通ずる階段がある。ロフトがジークフリートの部屋らしい。舞台左には応接セットとミーメのクロゼット。どういうわけかミーメは凄い衣装もちで7−8回衣装を替えた。たとえば謎解きの場面では、クイズショーの司会者みたいなジャケットだし、ジークフリートに怖れを教える場面では、大学の先生風のガウンに帽子と言った具合。とにかく手が込んでいる。細かく言うときりがない。ひとつだけバカバカしい演出を紹介しよう。ノートゥンクを鋳直す音楽の間の演出である。なんと刀の破片を包丁で切り刻みそれを牛乳と一緒にミキサーにかけ、更にそれを電子レンジにかけて完了という次第。まあすさまじいというか呆れてしまう。ト書きでは、最後は金床をノートゥンクでたたき切るシーンで幕となるが、今夜は電気をショートさせて冷蔵庫やレンジが爆発して終わりという。こういう演出だからエッティンガーの指揮も速くなるのでしょう。20世紀に読み替えてどういう意味があるんでしょうな?パトリス・シェローが読み替えの先駆者の一人と思うが彼は19世紀の産業革命のころに時代をおいていた。彼の演出にはDVDを見る限り一貫性があるように思うのだが、ウォーナーのは思いつきとしか思えない。だれか解説本書いてくれまいか?

2幕はメルヘンティックな演出。ここもあげつらうときりがない。さすらい人とアルベリヒとがモーテル風の「欲望の洞窟」という名前の宿屋で同宿するという場面からスタート。舞台中央には大木がありそれにはファフナーの餌食になった人間がぶら下がっている。この大木がファフナーが化けた大蛇を兼ねる。そして後でこの死体はゾンビみたいに生き返りジークフリートと戦う。森のざわめきの場面では森の動物たちがぬいぐるみで現れる。ファフナーはジークフリートの剣で重傷を負うが死ぬのはミーメの作った毒入りジュースをジークフリートが気つけに飲ませることによる。ここはおそらくジークフリートに毒入りジュースだと教える演出だと思うがこんな手の混んだことをしなくてもファフナーや森の小鳥が歌詞のなかで示している。ジークフリートはパルシファルみたいに純粋だが馬鹿ではない。彼らの示唆がわからないはずがないではないか!こういう演出は蛇足としか思えないし聴衆を馬鹿にしてはいないだろうか? 森の小鳥は可愛いぬいぐるみだが2幕の最後でブリュンヒルデのいる魔の山へジークフリートを案内する段になると、突然鳥のぬいぐるみを脱いですっぽんぽん(実際は違うが)になってしまう。まだまだあるがこれらはほとんど本筋とは関係ないお遊びとしか思えない、私には!

3幕はエルダとさすらい人とのやり取りのシーンのセットが凄い。巨大ないびつな箱のなかに回り舞台がありその上にエルダが横たわっている。そしてその巨大な箱は舞台後方から前面に突出してくる。この箱はラインの黄金の最終場面やワルキューレ第3幕のワルキューレ騎行の場面と同じ。まあ凄いセットです。エルダの横たわる舞台の周りには古いフィルムが無数に転がっている。天井には3台の梯子が伸びていて得体のしれない人間が登ったり降りたりしているといった具合。最終場面はワルキューレの第3幕と同じ。この幕もいろいろやっているがきりがないので止める。

この演出、目先が変わって面白いことは面白いが逆にそっちに熱中すると、音楽がおろそかになるような気がして仕方がない。しかしこれは自分のオペラの見方(聴き方)としては本末転倒である。
                              終わり
                              

閉じる コメント(1)

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キース・ウォーナーのトーキョー・リングは
「ラインの黄金」「ワルキューレ」の二本を見ただけで、あとは未見です。
だから今回の再演はどうしても見に行きたかったのですが、
かないませんでした。
来月は「神々の黄昏」もあるのに...。
今回も高水準の公演だったようで、本当に残念です。
演出もなかなか面白そうですが、クリスティアン・フランツを聴いてみたかったです。

2010/2/15(月) 午後 3:45 [ 鉄平ちゃん ] 返信する

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