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鞆の浦日記
鞆の浦に関する情報を伝え続けて8年、全て鞆ネタのご当地ブログ

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鞆町への感謝日

この資料は森下仁丹㈱より頂いた大変貴重な資料です。
ぜひ鞆の皆様、そして福山市民の皆様に見てもらいたく掲載させて頂きました。
 
資料には「鞆町への感謝日」赴鞆当番記録 とあります。
 
イメージ 1
 
この次の写真を見るときっと驚かれると思います。
 
 
イメージ 2
 
なんと戦時供出でなくなってしまった森下博の寿像の台座前で、森下仁丹の社員の方が記念撮影をしています。
 
森下仁丹では昭和13年5月8日の創業者 森下博寿像建立以後、毎年5月8日を「鞆町への感謝日」として社員2〜3名を鞆に送り、町役場を訪問、また森下家の菩提寺であった圓福寺、かつて森下博の父が養子に入っていた祇園宮宮司の大宮家の菩提寺である靜観寺、そして寿像のある沼名前神社を参詣していたそうです。
また大正10年の法要の際の帰郷や、寿像建立に深く関わった吉本三良兵衛宅にも伺っていたそうです。
 
この写真はその際に撮られたものです。
 
赴鞆は昭和14年から昭和33年まで(昭和20年は戦局悪化で中止)継続したそうです。
 また赴鞆最後の年には、鞆町の様々な団体へと、金100万円を福山市に寄附をした上で赴鞆事業を終了していることも調査から分かりました。

鞆に多大な貢献をしながらも、感謝の気持ちを忘れず、町に誠意を尽くす。
それは博氏が亡くなった後も、そして寿像が戦時供出された後も森下仁丹の社員によって続けられていたのです。
 
その誠意があったからこそ、昭和27年に再び寿像は再建の運びとなったのではないでしょうか。
 
誰よりも鞆を愛し続けた男 森下博。
しかしその心は博氏だけのものではなく、森下仁丹の社員の方々にも共有されていたのです。
 
その後、鞆と森下仁丹の間にはしばらくブランクがありましたが、昨年より再び温情に満ちた交流をさせて頂いております。
 
秋の資料館での森下博展に向けて、今一度、森下博と森下仁丹が持ち続けてきた鞆の町に対しての感謝の気持ちの大きさを知って頂けたらと思っております。
 
 
 
 
 

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