安楽平城

安楽平(あらひら)城は荒平山頂付近にありました。大友氏に属する小田部氏が城主をしていましたが、1573年頃、龍造寺勢に攻められ、落城してしまいました。

イメージ 1

この頃の龍造寺氏は、隆信の下、日の出の勢いです。しかし、この10年ほど後、龍造寺隆信は島原半島で島津勢と戦い、討死してしまいます。強い主を亡くした龍造寺氏は、家臣の鍋島氏にとって代わられます。諸行無常です。

広島城

友人の結婚式へ出席するため、久しぶりに広島を訪ねました。前日入りしたこともあって時間に余裕があったので、広島城を見に行くことにしました。


広島には過去に数年間暮らしていたことがありましたが、恥ずかしながら城を訪れるのは初めてです。

広島城は大坂城に倣って築城されました。日本の三大平城に数えられています。

現天守の外壁は下見板張りになっていて、古風な趣があります。旧天守が原爆により破壊された後、一九五八年に再建されました。倒壊した旧天守の建材は復興に利用されたといいます。
イメージ 1


最近の研究では、原爆による旧天守の崩壊は爆風や火災などが直接の原因ではないようです。爆風により損傷を受けた下部二層が上部の重さに耐えられなくなり自壊に至ったということです。メイドインジャパンの強靭さを物語っています。そういえば、戦艦・長門も数回の水爆実験に耐えたといいます。


迷った末でしたが、前日入りして正解でした。でも、結婚式が楽しかったので二泊できたらもっと良かったなあ。

飫肥城

久しぶりに仕事で日南を訪ねました。
仕事が早く終わり、車をゆったりと走らせていると、『飫肥城址』の表示板。そういえばここは飫肥藩か。飫肥の藩主は誰だったかなと思いつつ、ゆったりと飫肥城址を目指しました。


城下の通りは静かでした。平日であるということを抜きにしても落ち着いた雰囲気です。資料を見ると、『九州の小京都』と呼ばれているようです。
イメージ 1

戦国期、飫肥城をめぐっては、伊東氏と島津氏が百年余り争奪戦を繰り広げたということです。最終的には伊東祐兵が豊臣秀吉に飫肥城を与えられ、以降明治まで伊東氏が代々当地を治めたのでした。島津勢は戦国随一の強さを誇ったといいます。その島津勢を相手に戦った伊東氏の執念には恐れ入るばかりです。

飫肥城の旧本丸は飫肥杉の木立になっていました。地表は苔むし、蝉の声が静かさを一層際立たせています。背筋がすっと伸びて、清々しい気分です。
イメージ 2


後になって聞いたことですが、城下の名物は卵焼きなのだそうです。厚焼きで、洋菓子を思わせる風味であるそうです。残念ながら今回は食べることができませんでしたが、次回は必ず食べようと思います。

[ すべて表示 ]


.
またべえ
またべえ
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

最新の画像つき記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

登録されていません

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事