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清水エスパルスが無事に天皇杯初戦突破してホッとしました。

最近、自分のラジオ歴を振り返るネタを書いているのですがこれが結構楽しいです。

改めて自分が「ラジオ好きすぎだろ???」と思い返し、いろんな思い出があふれ出てきて、懐かしさと楽しさを改めて感じております。

そんな中、TBSラジオから封筒が届きました。

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しかも「たまむすび」って書いてある。

昼間13時からの「たまむすび」はリアルタイムでは聴くことができません。

それでも安東弘樹アナウンサーと玉袋筋太郎さんの金曜たまむすびはタイムフリーで絶対に聴いています。

なぜってこの2人が同い年だから。

なかなか「たまむすび」が聴けない中、木曜日のピエール瀧氏と金曜日の2人は同い年だからいつも気にしています。

金曜日はメールテーマもOPのトークで決まるからリアルタイムで聴けない自分には無理なんですが、前の週にお題がでる「のるかソングか」のコーナーは最大のチャンスなんです。

昨日の「ベスト南野陽子」もうれしかったなあ・・・

流石に濃いナンノ信者のみなさんが素晴らしすぎて驚きましたけれど。

それでも先週、思い入れの強い2人の金曜たまむすびのコーナーでメール読まれたのは幸せでした。

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ステッカーと東陽片岡先生のイラストポストカードにウェットティッシュ

このイラスト、最高過ぎですよね。。。。。

ちなみに、東陽片岡先生には「テリーとうえちゃんのってけラジオ」でやっていた恐怖川柳の単行本に自分の作品へイラストつけて頂いて感動したことがあります。

昨日のOPでは「50歳を迎えた玉ちゃん」のトークが楽しかったわけですが、同い年が頑張っている金曜日の「たまむすび」これからもしっかりと応援したいと思います。

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いよいよ、この番組について語るときが来た。。。。。

多分、自分の中で一番「ラジオの面白さ」を伝えてくれた番組であり、いろんな意味で自分のラジオとの関わり方を教わった番組であると思います。

それが「鴻上尚史のオールナイトニッポン」

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2部として1983年(昭和58年)10月15日から1985年(昭和60年)3月30日

1部として1987年(昭和62年)10月17日から1989年(平成元年)4月1日

特に、1部時代には「10回クイズちがうね」「究極の選択」といった流行が生まれ、当時流行っていた「ドラクエⅢ」とのコラボも思い出深いものです。

が、高校2年のある日、「こうかみしょうじって誰???」みたいな感じで金曜の夜3時に聞き始めた2部は恐るべき中毒性のある番組でした。

突然、番組中に放った一言「俺はジェンカが踊りたい。番組が終わったら日比谷公園で踊るけど、お前ら来るなよ」

行けませんけれど…という想いと「この人は何を考えてるんだろう?」という謎感

でも翌週の放送を聴くとリスナーが集まってジェンカを踊った話で盛り上がっており、

「何それ???参加したかったよ・・・」

と思いながら、今まで聴いたどの番組とも違う面白さを感じました。

その後も、東大受験生を募集して「合格したらリスナーと共にジェンカ」企画もあったのですが、肝心の東大受験リスナーが不合格でお通夜みたいな放送になったこともあったなあ。。。

当時、糸井重里氏の「週刊文春」での連載「萬流コピー講座」へ挑戦状を叩き付けた「裏コピーコーナー」
あっさり糸井さんの大人の対応でなかったことにされちゃいましたが・・・

ゲストにデビュー当時の斉藤由貴さんが出たのも覚えていますが、鴻上さんが冨田靖子のファンということでよく出てはいたものの(録音で)

冨田靖子さんは鴻上さんが嫌い

ということで、冨田ファンのおいらは心の底から「ざまあみろ」と思っていました。

鴻上さんのことをもっと知りたくて、修学旅行の駅でインタビューが載った「朝日ジャーナル」を買ったり、清水にはほぼ入ってこないエッセイを本屋を回って買ったり、そのうちに本来の仕事である戯曲を読み・・・
大学2年生のときに鴻上尚史作の「デ・ジャヴ」を演劇部で公演したこともあります。

2部は自分が高校3年生になる春に突然終了。

2年半待って1部が始まったときには本当にうれしかったのですが1988年12月17日の放送の次の日、自分が家で体調を崩してしまい、しばらく無理のできない体になってしまったことで翌年の最終回を聞くことはできなくなってしまいました。

ただ、鴻上さんは常々言っていたのが

「大学生くらいのやつが高校の頃から聞いてましたっていうけど、もっと面白いことあるぞ。深夜放送はいつか卒業するものなんだよ」

事実上、「強制リセット」のような形で、この日を最後に深夜放送をリアルタイムで聴くことはなくなりました。

自分自身、大学4年生になり就職の関係の試験もあり、この時期は本当に一部の番組くらいしか聴かないくらいラジオからも離れていくことになったのは鴻上さんの言ってることが正しかったっていうことかもしれない。

※NHK FMの「JOYFUL POP」とか「ジャズクラブ」くらいしか聴いてなかったと思うくらいこの当時のラジオ事情は抜けております。

その後の鴻上さん、TBSラジオで「博愛ラジオ」という番組をやったり、「オールナイトニッポンGOLD」になってから復活していたこともありました。

「いい夢をみるんだよ」

というエンディングの一言を思い出すたびに、この頃が自分にとって「ラジオ青春時代」だったなあと心から思います。

2部時代のROXY MUSICの「MORE THAN THIS」のOP




















1部時代のECHOESの「 Oneway Radio」のED




















今でもこの曲を聴くたびに懐かしく思い出す最高の時間だったと思います。

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中学3年生の段階で

「オールナイトニッポンはやっぱり2部だよな」

というかなり偏った考えになってしまった自分。

特に月曜日の上柳昌彦アナウンサー、木曜日の谷山浩子さん、自分の人生に恐ろしく影響を与えた金曜日の鴻上尚史さんの所謂「暗い同盟」のどれかは聴いていたかな????

主に土日の週末はFM静岡とラジオに関しての選択肢は恐ろしく広くなったこの頃。

深夜1時の放送を聴くために早く寝ていた時間にナイター中継を聴くようになったのもこの頃。

「ニッポン放送ショウアップナイター」からの流れで22時からの時間、面白いことが始まりました。

「三宅裕二のヤング・パラダイス」がスタート!

松尾清憲の「愛しのロージー」が流れると何かおもしろいことが始まるという期待感でいっぱいに。


三宅裕二とSETについては「高橋幸宏のオールナイトニッポン」でシュールなコントをやっていて知っていた中、新たにスタートした「ヤンパラ」は自分たちの世代に向けた感満載の放送だったと思います。

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後に映画にまでなった「ヤッちゃんのコーナー」よりも当時の中曽根康弘総理大臣の1日を読み上げるという

「中ちゃんのコーナー」

をよく覚えているのはなぜなんだろう???

※確か本人からメッセージもあったような気がする

あとは「ドカンクイズ」ですね。

wikiよりルールを転載

・1問だけ問題の代わりに「ドカン」が隠されており、それに当たると爆発音が鳴り失格、それまで積み立ていた賞金は没収となる。
・リスナーは各問題が読まれる前(三宅が「第1問」などと言った直後)に、問題に答えるなら「行く」とコール、この問題は「ドカン」だと予想して次の問題に行くなら「パス」とコールする。パスは2回のみコールできる。


その後も「ベースボールクイズ」だの「サッカークイズ」だのと名前を代えて存在し続けた王道のクイズ。

出場者は「パス」した次が「ドカン」だったりするとなんとも言えない寂しさを感じるわけですが、当時、「ドカンクイズに出たことがある」なんて言ったら一生自慢できるでしょうねえ。。。。

でも周りで「ヤンパラ」聴いてたのはいなかったようにも思う。いやいたけど、おいら友達少なかっただけか????

自分で勝手に4桁の数字を書いて送り、抽選で現金が当たる「ハンドメード宝くじ」とかもあったなあ。

放送期間は、1984年2月6日 - 1990年3月29日とのこと。でも「ヒランヤ」とか「ナゾダス」とかはわからない。聴いていたのは最初の2年間だったし、大学に入るとアルバイトだったり、映画に凝り始めたりとこの時間帯のラジオからは自然に卒業していったのかもしれません。

何年か経って、家で仕事を片付けているときにふとこの時間帯にラジオをつけてみると、もう当然尾ように「ヤンパラ」はなくなっていたのですが、

伊集院光という謎のパーソナリティがこの時間を仕切っていて面白かった

この怪人が同い年ということに衝撃を受けるのはまだもうちょっと先のお話です。

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FMに狂い始めた頃、FM雑誌に「絶対に受信できないのに載っている番組表」それがFM東京でした。

静岡ではNHK FMしか受信できなかったのです。

それが中3の頃から噂が飛び交いました。

「静岡にも新しくFM局ができるらしいぞ???」

そして高校受験真っ只中、FM静岡の試験放送がスタート。4月1日の開局を迎え、NHKの第1、第2、FMそしてSBSしかなかったラジオに現在のK-mixであるFM静岡がとうとう加わりました。

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父親はよく、

「試験放送だとつまらないおしゃべりがなくて音楽だけだからいい」

と言っていました。が、FM静岡で何より感動したのが、そういったDJのおしゃべりと音楽がドッキングした番組が聴けることが自分ではうれしくくてたまりませんでした。

FM静岡が開局してから土曜日や日曜費の昼間にラジオを聴くことが多くなりました。

なぜってそれまで昼間のNHK FMはクラシック音楽ばかり。1日中、ポップスが聴けるFM静岡がどのくらい素晴らしい存在だったか????

当時好きだった番組は、「神谷明のベストリクエスト」:神谷明さんのおしゃべりと洋楽が楽しめた。

「AIWA サタデーアドベンチャー」(後の「松任谷由実 サウンドアドベンチャー」):初めてユーミンの声を聴いたなあ。。。。。

「DIATONE ポップスベスト10」(後の「コスモ ポップスベスト10」)

それまで本当に限られた情報しかなかった静岡にやって来た民法FMの波。自由になった気持ちがしたのは決して大げさな表現ではありません。

FM静岡の自社番組、「ミッドナイト・リクエスト」には随分お世話になりました。

それまでの静岡のラジオの兄貴分といえば、「SBSポピュラーベスト10」のくんちゃんこと國本良博アナウンサー、自分も初めて友人と連名で出した葉書が読まれたのはくんちゃんです。

そこに「ミッドナイト・リクエスト」で伊藤浩司アナウンサーが登場し、リクエスト以外の相談葉書、ネタ葉書、様々なものがくっついてきて、キー局にはない暖かさがあったと思います。

自分も2回くらい葉書読まれたもんなあ・・・

ちなみに「ミッドナイト・リクエスト」「ミッドナイト・フリーダム」(こっちは速く終わったかな???)は普通に(オールナイトニッポン」の裏番組。

しかも「桑田佳祐からとんねるず」クラスの1軍的な連中が「とんねるずのオールナイトニッポン」話で盛り上がる中、葉書を読まれた「ミッドナイト・リクエスト」の次の日は笑顔が止まらなかったですよ。

開局当初は珍しかったFM静岡 K-mixになり、聴く番組もかなり少なくはなったものの、初めての地元FM局が高校入学と同時に開局してくれたことはタイミング的にも最高にしあわせだったんだろうと思っています。

We Believe in radio magic

これを教えてくれたのはFM静岡ができてこそだったんだろうなあ・・・

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ビートたけし、中島みゆきという2大巨匠のオールナイトニッポンの洗礼を受けてしまった自分は、他の曜日も聴いてみたくなる訳です。

火曜日には所ジョージがいて、水曜日にはタモリがいて、金曜日には吉田拓郎、そして土曜日には笑福亭鶴光がいて・・・

テレビでは知っている大物がラジオではなんだか面白いことをやっている。

タモリのオールナイトニッポンで手えびニュースを継ぎ足して変なニュースにしちゃったり、久米明の物まねで朴訥な朗読をしたり、まだ「笑っていいとも」が始まる前の話。

そして「鶴光の土曜日」の下ネタの洗礼

後で聴いた話ですが、中学の同級生が葉書を必死に出していたことをある日自慢げに話していて感動したのを覚えております。

他にも、欽ドンでおなじみだった山口良一さんのプロレス話が楽しみだった山口良一のオールナイトニッポン

景山民夫とのコンビが怪しくて、後にヤンパラで天下をとる三宅裕二も出ていた「高橋幸弘のオールナイトニッポン」

「この人はコメディアンじゃないのか???」と真面目に思った「坂崎幸之助のオールナイトニッポン」

いやあ、面白い大人いっぱいいたんだな・・・

で、自分はある日気がつきます。3時にラジオを消して寝ようとする後にも何か番組がやっている。

「オールナイトニッポン2部の存在」に気がついてしまいました。

※ちなみに地元SBSでは「歌うヘッドライト」当時から自分はニッポン放送で聴いていたのです。

ここでは初めて聴く名前が多かったなあ・・・

永井龍雲、阿呆鳥、伊丹哲也・・・その中で一つだけ異色の番組がありました。

ただ、洋楽がずっと流れている不思議な番組。「オールナイトニッポン」=「トーク番組」という先入観があっただけに、その番組の存在感はよく覚えています。

そう、伝説のDJ、糸居五郎さんです。

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そのことがわかったのはもう亡くなってから随分経ってからの話。

糸居五郎さんのドキュメント番組で改めてその人柄を知ったのは、亡くなられて15年近くたったときのこと。

さて、ここまで来て思ったのがこの話の続きは、前に谷山浩子さんオールナイトニッポンのことを書いたときに直結します。 

順番間違えたっぽい感がありますが、よかったらこちらも見ていただけると喜びます。
                ↓

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