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中学3年生の段階で

「オールナイトニッポンはやっぱり2部だよな」

というかなり偏った考えになってしまった自分。

特に月曜日の上柳昌彦アナウンサー、木曜日の谷山浩子さん、自分の人生に恐ろしく影響を与えた金曜日の鴻上尚史さんの所謂「暗い同盟」のどれかは聴いていたかな????

主に土日の週末はFM静岡とラジオに関しての選択肢は恐ろしく広くなったこの頃。

深夜1時の放送を聴くために早く寝ていた時間にナイター中継を聴くようになったのもこの頃。

「ニッポン放送ショウアップナイター」からの流れで22時からの時間、面白いことが始まりました。

「三宅裕二のヤング・パラダイス」がスタート!

松尾清憲の「愛しのロージー」が流れると何かおもしろいことが始まるという期待感でいっぱいに。


三宅裕二とSETについては「高橋幸宏のオールナイトニッポン」でシュールなコントをやっていて知っていた中、新たにスタートした「ヤンパラ」は自分たちの世代に向けた感満載の放送だったと思います。

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後に映画にまでなった「ヤッちゃんのコーナー」よりも当時の中曽根康弘総理大臣の1日を読み上げるという

「中ちゃんのコーナー」

をよく覚えているのはなぜなんだろう???

※確か本人からメッセージもあったような気がする

あとは「ドカンクイズ」ですね。

wikiよりルールを転載

・1問だけ問題の代わりに「ドカン」が隠されており、それに当たると爆発音が鳴り失格、それまで積み立ていた賞金は没収となる。
・リスナーは各問題が読まれる前(三宅が「第1問」などと言った直後)に、問題に答えるなら「行く」とコール、この問題は「ドカン」だと予想して次の問題に行くなら「パス」とコールする。パスは2回のみコールできる。


その後も「ベースボールクイズ」だの「サッカークイズ」だのと名前を代えて存在し続けた王道のクイズ。

出場者は「パス」した次が「ドカン」だったりするとなんとも言えない寂しさを感じるわけですが、当時、「ドカンクイズに出たことがある」なんて言ったら一生自慢できるでしょうねえ。。。。

でも周りで「ヤンパラ」聴いてたのはいなかったようにも思う。いやいたけど、おいら友達少なかっただけか????

自分で勝手に4桁の数字を書いて送り、抽選で現金が当たる「ハンドメード宝くじ」とかもあったなあ。

放送期間は、1984年2月6日 - 1990年3月29日とのこと。でも「ヒランヤ」とか「ナゾダス」とかはわからない。聴いていたのは最初の2年間だったし、大学に入るとアルバイトだったり、映画に凝り始めたりとこの時間帯のラジオからは自然に卒業していったのかもしれません。

何年か経って、家で仕事を片付けているときにふとこの時間帯にラジオをつけてみると、もう当然尾ように「ヤンパラ」はなくなっていたのですが、

伊集院光という謎のパーソナリティがこの時間を仕切っていて面白かった

この怪人が同い年ということに衝撃を受けるのはまだもうちょっと先のお話です。

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