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明治安田生命J1リーグ 第11節 2018.04.28 Sat 14:03 IAIスタジアム日本平
清水エスパルスvs.柏レイソル
2 1
鄭 大世(38分) クリスティアーノ(40分)
北川 航也(41分)
正直、1週間前の東京戦で自分の心は完全にポキッと折れてしまい、
「もう2度と勝ちゲームを見ることができないんじゃないか???」
という気持ちで、水曜日はびくびくしながら名古屋戦の結果に安堵しておりました。
その分、冷静になって見ていたのは確かで、テセのヘッドが決まって先制した直後のクリスティアーノのミラクル同点弾を目の前で見たら思いましたよ。
あれは仕方がない!
その直後の見事すぎる航也の勝ち越し弾は冷静な気持ちを吹っ飛ばしてくれましたよ!
レイソルは確かに個の突破はすごいけれど、スタートから飛ばして、どちらも疲れてはいるものの、レイソルの選手たちの方が明らかに疲れている。
それに今日はなんたって六反が大当たり!!!
クリスティアーノの決定機をその後決めさせなかった守護神は東京戦のミスを切り替えている。
長い長〜いトンネルから抜けた勝利!!!
今日、スタジアムに行って本当に本当に良かったです。
ヒーローはテセさん。ヒーローに聴くのは鬼頭さん♪♪♪
自分にとっては2015年の川崎戦以来のホームでのトップチームの勝利な訳で、正直、長いこと歌っていなかった「王者の旗」を歌っている内に涙がボロボロと流れてきて。。。。。。。。。
自分も入院があったり、なかなか体調が戻らずにシーズン通して参戦できなかったこともあったんだけれど、自分の中の時計も動き出したのかもしれない。
たくさん待ったけれど、やっぱり清水エスパルス、最高です。。。。
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明治安田生命J1リーグ 第9節 2018.04.21 Sat 13:03 IAIスタジアム日本平
清水エスパルスvs.FC東京
0 1
永井謙佑(59分)
1か月ぶりの現地参戦。
試合前にフォン・ソッコのJ1、100試合出場のセレモニー
前半のワクワクする展開と失点してからの焦りの対照的なこと・・・
前半飛ばし過ぎていた分、東京が後半スパートかけてくるのはわかってたし。
ここまで手も足も出ないと何にも言えませんわ・・・ まだ「発展途上のチーム」なのだから、課題を出せるうちに出すことは必要だけれど、ちょっと今は重症みたい。
ただ、やっぱり下を向いている選手を見るのはつらいなあ。。。。
来週は、前半の元気が90分間続くといいんだけれど・・・
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月曜日の朝から騒がれていたハリルホジッチ監督の更迭が発表されて、昨日はずっと気持ちはブルーでございました。
「選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきたこと」
という何年か前にどっかのチームでも聞いたことがあるフレーズが飛び出して、
「協会幹部は選手たちの爆発寸前の不満を再確認」
というのもまあ聞いたことある話。
んでもって、その某チームがどういう運命になったのかは、まあ言わないでおく。
最近の日本代表が不調なのは仕方がないとは思っていて、
「選手起用も含めて今は徹底的に試す時期」なのは間違いなく、それがうまくいかなかったとしても、本戦までにピークに持っていくだけのプランはできていたと思うし、それがなければプロの監督じゃあない。
ここで西野監督で「勝つプランはあるのか?」というのが最大の不安。
一番恐れているのは、「サポーターが好むようなメンバー」で「規律も緩く」して、「選手の自主性を尊重」した結果、チームが空中分解することかな???
後は選考される代表選手の意地しかないよな・・・
「負けろ、日本 未来のために」とか言ったク○みたいな自称「スポーツライター」がいたけれど、
日本の未来のために負けるな!
とだけは言っておかねば。ロシアは日本代表の未来を決める闘いになる気がする。
余談:マスコミの印象操作ってこわいなあと思いましたわ。森友とか加計、舛添知事もそうだけれど、今の世の中はマスコミが気に入らない人間を炙り出して、石を投げて追い出すことを「良」としている感がありあり。
マスコミの「ハリルではだめだ」のネガティブキャンペーン、岡田さんの時には守れたものが今はもう守れなくなってるっていうのも感じます、はい。
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山田 泰寛(やまだ やすひろ、1968年2月13日 - 2013年4月8日)は、広島県広島市南区出身のサッカー選手、サッカー指導者、常葉大学サッカー部監督。
来歴
広島市の少年サッカークラブ・大河FCから、静岡県の東海大学第一高校(現・東海大学付属翔洋高校)へ進学。 1986年に早稲田大学に進学し、同大学ア式蹴球部に入部。同年に日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権1次予選に出場した。1990年にJSL1部のヤンマーに入団[2]するも、Jリーグ創設に伴い発足した清水エスパルスへ移籍し、左サイドバックとしてプレー。オーバーラップを武器として[2]、1992年から1995年までの間にJリーグ通算31試合に出場した。
引退後、清水スタッフとなり、1996年から1997年まで、清水ジュニアユースのコーチを務めた。 2000年、富士常葉大学開学の際にサッカー部総監督に就任した長谷川健太の元で、同大のサッカー部監督に就任。大学でも非常勤講師として授業を受け持っていた。
2013年、肝臓がんにより死去。
所属クラブ
早稲田大学 ヤンマー 清水エスパルス 山田さんが何も言わずに突然旅立ってしまって、6回目の4月8日。
存命だったら今年50歳。サッカーが、指導していたチームや部員たちが大好きな人でした。
あらためてこの日を忘れない。。。。。
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