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昨年、AC長野パルセイロを契約満了となった伊東輝悦選手がブラウブリッツ秋田で新シーズンを迎えるという知らせはうれしいものでした。
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大ベテランとなった中でもチームの戦力としての評価は大きなものだったように感じます。
プレーをする機会、場所を与えて非常に嬉しく思っています。
ぜひとも、自分自身もまだプレーできるということを証明できればいいなと思いますし、さきほど社長が言ったように非常に若い選手が多いので、若い選手と刺激し合いながらぼくも成長したいし、若い選手も成長して、個々が成長できれば、またチーム力も上がると思うので、そういうところにも少しでも力になれればと思います。
あとは、やはり秋田県のサッカーをもっと盛り上げたいなという思いもありますし、それには更に上で、J2で戦えるようなスタジアムであったり、あとはやはり今言った選手のレベルといったこともありますし、いろいろな面でまだまだやらなければならないことはたくさんあると思うのですけれども、それを少しでも向上させていく力になれればと思っています。
秋田のサッカーの伝道師としての活躍にも期待
まだまだ元気いっぱいの姿、見たいですねえ・・・ |
オレンジ戦士列伝!
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エスパルスの背番号変更等につき、ブログのネーミングが「1」に変わっております。この「1」については「アン」と読みますのであしからず どーでもいい話ですが。。。。
マリノスを契約満了になっていた矢島卓郎選手が京都サンガFC入りというニュースが
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http://www.sanga-fc.jp/news/detail/31995/
矢島選手コメント
「このたび京都サンガF.C.に加入することになりました矢島卓郎です。J1昇格という目標を達成するため、全力を尽くします。応援よろしくお願いします。」 矢島選手はルーキーイヤーから3シーズンを清水で闘い、自分もその頃は矢島選手の旗をスタジアムで降らせてもらったこともありました。
地元の関西に戻ったこともあるし、不器用だけれど生粋のストライカー。怪我に気をつければまだまだ活躍できる選手だと思いますよ。
川崎へ旅立っていったときにはみんなで寄せ書きを渡したっけなあ・・・
すっごくいい人です。サッカー選手として「ずるさ」とかそういう面から遠い部分はありますが、基本、まっすぐな人。かなり天然ですがね・・・
あとヘディングが苦手っていうのは克服したのかな???スーパーゴールは決まるけど結構簡単なシュートは外しちゃうとか・・・
清水戦での恩返しゴールは川崎で決めれているので何とか阻止したいところ。
それでも矢島選手の活躍を今でも祈っております。
矢島選手のスパイクはまだ大事に持っています。。。。
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市川大祐選手加入のお知らせ
今シーズン、ヴァンラーレ八戸でプレーする市川大祐です。
ヴァンラーレ八戸でプレー出来る事を心から感謝しています。
チームの目標であるJ3昇格を叶えるために、プレーや経験をチームに伝えて行きたいと思います。
今シーズン、地域、チーム、サポーターが一体となって、青森初のJリーグチームを勝ち取るシーズンにしましょう!
応援宜しくお願いします。 市川選手が35歳にして八戸に移籍。
年末に清水の三保グラウンドで汗を流したことも報じられていましたが、新たな挑戦をこうして続けている姿には真面目に頭が下がります。
今年はひょっとしてJFLで市川大祐vs.ゴン中山が見られるのか????
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退院して家の片づけをしている中、たくさんのものを処分しなくてはいけなくなってしまいましたが、それでもどうしても捨てられない懐かしいものはいろいろあります。
そんな中、懐かしいサイン色紙が出てきたよ・・・
ラドンチッチ選手のサイン色紙
2013年シーズンの救世主、翌年大宮では「ダメ外人」呼ばわりされて大分へ行ったものの結局その年限りで退団しちゃった。。。。
正直、ラドンの移籍は本人にとっても清水にとってもお互い不幸だったんだよね・・・
ラドンとそのお子さんとも勝ちロコしたのはいい思い出
wikiでも大分以降の記録がないんですよね。。。。
ラドン、元気かなあ。。。。今何しているんだろう?????
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日曜日までのブログをまとめて書いたため、大事な当日に大事なことを触れられないで翌日になってしまいました。もうあれから4年経ったのですね・・・
2011年9月6日、眞田雅則氏逝去
9月2日、北朝鮮とのワールドカップ予選の日に体調不良により一時休養が発表された後、4日後の9月6日、静岡市内の自宅で亡くなっているのが発見されるという衝撃のニュースが走ったあの日のことは忘れられません
43歳没。同年9月7日、死因は急性心不全
清水エスパルスの守護神は決して平坦なものではなく、J1年目はシジマールにポジションを奪われ控えに甘んじなければいけない状態。
今だったら「移籍します」と簡単に言えるような状態の中、ポジションを奪い返すとナビスコカップ、ステージ優勝、アジアカップウィナーズカップと清水のタイトル奪取をもたらせた守護神に。
2004年の天皇杯、大宮戦で途中出場したゲームが公式戦最後の雄姿
「勇気の守護神」と呼ばれた背番号1番の魂を絶対に忘れないし、これからも語り継いでいきたいと思います。
決して大きくはない体であっても全力でゴールを守った守護神は243試合清水のゴールを守り続けました。
亡くなる半月ほど前に頂いたサインは本当に宝物だし、これからも清水エスパルスを見守ってくれることを信じて進んでいこうと思います。
勇気の守護神の魂は永遠に・・・
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