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火曜日のガンバ大阪戦、当日は堀池巧氏が解説で三羽烏揃い踏み、更にピッチレポーターとして藤枝MYFCの市川大祐選手が活躍するなど清水のレジェンドが集結しました。
試合前にキックインセレモニーを行った(株)トップ取締役社長、杉本雅央氏
この日のマッチデースポンサーの社長である杉本さん、1993年から1996年までエスパルスで活躍したOB。先日の青嶋文明氏に続いて創成期のOBがこうして出てくれることには感謝です。
自分もこのピッチで杉本さんを見るのは1996年のサテライトのゲーム以来だったような・・・
リーグ戦31試合出場、(ほとんどがレオン監督時代のはず)東海大第一出身の小兵は清水にとって重要な役者だったと思います。
杉本さんというとどうしても思い出してしまうのが昨年亡くなった山田泰寛氏
通夜の席で友人代表として中学校3年生のときの出会いから全国を目指しながらも叶わなかった高校時代、エスパルス時代と続く物語を大粒の涙を流しながら語った姿が目に残っています。
杉本さん、山田さんが3年生だった昭和60年度の東海大第一はアデミール・サントスという当時としては反則と言ってもいいブラジルからの留学生を擁して優勝が義務付けられた年であったと。。。
PKで散った東海の前に立ち塞がったのが清水商業の眞田雅則選手であったという物語も運命ですね。
翌年、東海大第一はベレーザ旋風で全国制覇っていうのもちょっと間が悪いんですが・・・
杉本さんと同学年の清水エスパルスOB、眞田さんも山田さんももう故人です。
現役時代と体型はぽっちゃりされて、サッカーとは違うフィールドで活躍している杉本さんがこれからも元気な姿で活躍しつづけることを祈らずにはいられませんでした。
余りにも生き急いでしまった同い年のエスパルスOBの分もと・・・
※杉本雅央さんは指導者として鈴与清水ラブリーレディース最後の監督としてチームを看取ってくださった方であることもまた歴史として刻んでおきたいです。
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オレンジ戦士列伝!
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2011年9月6日、眞田雅則氏は突然去ってしまいました・・・
あれから3年が過ぎ4回目のこの日を迎えることになり、未だにそのことが信じられないし、少し他のチームに行っているだけのような気がします。
亡くなるほんの少し前に普通に三保で書いていただいたサイン
真面目にあれが最後になるなんて考えもしなかったし、その後のコーチ辞任から急逝までが余りにもあっという間のことだったし。。。。
「勇気の守護神」は永遠に清水の誇りです。
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昨年の4月8日、元清水エスパルスの山田泰寛氏は45歳で突然旅立ってしまいました
肝臓癌ということ。けれど亡くなる数日前に普通にお会いしていたし、話していただけに訃報を聞いたときにはまったく現実を受け入れることができずに唖然としたことは覚えています。
東海大一高、早稲田大を経てヤンマーから1992年に清水エスパルス入団。
1995年までリーグ戦31試合、カップ戦9試合出場は決して多いとは言えないかもしれないですが、初期の全く何もなかった状態のエスパルスの一員として活躍した功績者の1人だと思います。
自分は指導者として、山田監督としてのイメージが強いです。
一度、雨の中を大学生と共に走っていた姿を見たことがあります。東海大一で望月保次監督、更にエスパルスでレオン監督に鍛え抜かれたサッカー人の凄みを見たような気がしました。
監督として、東海リーグ2部に降格してしまったチームを再び1部に復帰させることを願っていた中の急死、今でも本当に無念だっただろうなと。。。。。。
自分はたまたま仕事で山田監督と関わる機会があった中、4月8日の日が来る度に思い出し、感謝しようと思います。これからもずっと清水エスパルスを、指導したチームを見守っていて欲しいと思っています。
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突然のニュースで動揺した火曜日の午後。。。。。。ツイッターの文字に一瞬呆然・・・
オズワルド・アルディレスはフォークランド諸島で自動車事故がありました。今は入院して、重体です。
オジーが交通事故に遭って重体だって?????
次第に続報で状態がわかってくる。。。。。
サッカー元アルゼンチン代表で、J1清水、横浜、東京Vなどを指揮したオズワルド・アルディレス氏(61)が、英領フォークランド諸島で自動車事故に遭い、負傷したことが分かった。複数の海外メディアが伝えている。
報道によると、アルディレス氏はアルゼンチン代表、イングランドのトットナムでともにプレーしたリカルド・ビジャ氏(61)らとドキュメンタリー番組の撮影で同地を訪問していた。豪州版のFOXスポーツは現地からの報道として、アルディレス氏らは同島の首都スタンリーの病院に搬送されたと伝えている。
まずは無事であって欲しいと言う気持ちで胸が張り裂けそうになった
オジーと共に清水を支えてくれた恩人、スティーブ・ぺリマンが倒れ何とか一命を取りとめたのはついこの間の話。
清水にとってオズワルド・アルディレスという人は恩人と言ってもいい存在。
1996年に混迷の清水エスパルスの監督に就任し、ナビスコカップ優勝という初タイトル獲得!!!
トニーニョ、マッサーロといった選手を斬りながらも行った改革はあったものの、確実にチームが変わったこととようやくJの中で「タイトルという結果」をもたらせたのはオジーの手腕でした。
1997年のチーム消滅の危機の際、チーム存続のために大幅な減棒という条件の下チーム残留。。。
今ならこんなことはないでしょうね。オジーの著書に当時のことを振り返った箇所があります。
「清水は私に監督としての自信を再び与えてくれました。そのことで私はとても大きな恩を清水に感じていました。」
「我々がチームの消滅を阻止した」という一言がその後、1999年のステージ優勝、2000年のアジア制覇の基礎となるチームを築き上げるきっかけとなったのは確かで、もしあの時オジーが契約書にサインをしなかったら清水エスパルスの歴史も終わっていたでしょうね。。。。。。
夕方に入った「幸いにも命に別条はなかったが、頭部を21針縫うケガだった」という一報に感謝・・・
今日は改めて、オズワルド・アルディレスという存在が清水にとってどれだけ大きいものかを感じさせられる1日でした。
もう一度「清水のレジェンド」としてあなたを日本平のピッチに迎えたい!!!
オジーの回復と今後の活躍を祈りながら…その日を待ちたいと思います。そのときには飛び切りのジョークを聞かせて欲しいものです。あ、通訳はぜひ、マフィア羽生氏で(爆)
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今年は寂しいニュースが続くなあ・・・
キタジが熊本で、戸田和幸がシンガポールで引退。。。。。。更にまさかと思った齊藤俊秀監督が藤枝MYFCで引退+退団・・・
次は甲府方面から契約満了の発表が・・・
↓
伊東輝悦選手と来期の契約を結ばないとのこと・・・
今年、甲府との対戦ではベンチにすら入っていなかった状態を寂しく思っていたものの、J通算542試合出場の鉄人の凄み、当たり前にそこにいてくれる偉大な選手へのリスペクトの気持ちは清水から離れてからも3年経った今も消えることなく持っていたし。。。。。。。
それでも決してこれは終わりじゃないはず。
お金では買うことができないテルの経験値を必要とするクラブは必ずある。清水が生んだサッカーの申し子は甲府を経由してまた新たな地でサッカーの伝道師として旅立つんだと思う。
コメント:「まず、プレーする機会を与えてくれたクラブに感謝しています。そして、声援を送ってくれたサポーターにも感謝したいです。
今後は、プロサッカー選手として、もう少しプレー出来ればと思っています。本当に3年間、楽しかったです。
唯一の心残りと言えば、もっと山梨の山を登りたかったことです。(笑)」
こんなすっとぼけたコメントを残すテルは引退なんて欠片も考えてないんだろうな(笑)
自分は清水からその姿を応援していきたいな。その前に甲府はテルと国立、願ってます。
伝説のグッズ「照る輝ボウズ」テルの明日も晴れるといいな。。。。。
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