|
4月8日に亡くなられた山田泰寛さんのお別れの会へ行って来ました。
自分の職場からのお香典を預かっていたこともあり18時の開式には間に合わなかったのですが、末席に参列させていただきました。
そのときには既に会場が満席。その上の階に通されて、モニターから会の様子を見ることになりました。これだけの人が集まるって本当に「人徳」としか言いようがないと感じました。
ちょうど東海大第一高校監督であった望月保次さんの弔辞。。。。。
山田さんが卒業したあとに東海大第一はノボリ、ベレーザの活躍で全国制覇をするのですが、その前2年連続で全国を逃していたんですよね・・・
その後の友人代表の杉本雅央さんの弔辞にも当時の思い出が語られていました。
久しぶりに見た杉本さんの姿…高校時代からの盟友を失ったことは何よりも辛いと思いますし、友として、ライバルとして過ごした30年近い時間は2人だけの絆があったんだろうと。。。。。
ほんの1ヶ月ほど前、ヤンマー時代の先輩にある一言を残したそうです。。。。。
「しっかり生きる」と…
ひょっとするとそのときには覚悟をしていたのかもしれない…と思うけれど、残された自分たちは余計にこの言葉を刻んでしっかり生きていかなくちゃいけない。
サッカーに対しての情熱と勉強熱心な姿勢、子煩悩で繊細、優しさを持った姿。自分が「山田監督」としか知らなかった「人間、山田泰寛」の素晴らしさを改めて感じたような気がします。
カラオケの十八番だったという河島英五の「 野風増」
何だかものすごくイメージ的にぴったりくるような気がしたし、山田泰寛そのもののような歌です…
帰ってから川崎とのナビスコカップで喪章をつけて闘う清水の選手たちの姿にじんときました。
ダービーも選手たちは喪章をつけて闘うとのこと。清水エスパルスの歴史を作ったオレンジ戦士のためにも静岡ダービーは素晴らしいゲームをしたいものです。
|
オレンジ戦士列伝!
[ リスト | 詳細 ]
|
「なんでだよ???どうして???」
今朝、この一報を聞かされたときには意味がわからなかったし、そんなことがあるなんて欠片も思っていなかったのですから…
4月8日、元清水エスパルス、山田泰寛氏、急逝
エスパルス立ち上げメンバーであり、現在、常葉大学富士の監督として指揮を執り、開幕したばかりの東海大学リーグで1部復帰を目指していたはずなのに…
自分は富士に転勤してから仕事で「監督」(いつもこう呼んでいたので…)とお会いすることもあったし、先週も一言二言言葉ですが話していただけに本当に信じることはできませんでした。
初めてお会いした頃にサインをして頂いたのですが、苦笑しながらも丁寧すぎるサインを頂きました。
それがきっかけで東海のサッカーリーグを観に行くようにもなったのですが、自分が観に行くとなぜか勝てないことが多かったんですよね…
「応援に来ると勝てないんですよね(笑)」
こんなことを苦笑しながら言われたこともあります。
確かに「あと45分で全国だったのに後半逆転負けしたゲーム」や「2部降格が決まってしまった入替戦」「天皇杯での敗戦」その他、悔しい試合が多かったのは逆に申し訳なかったような気がします。
本当は同じ常葉大学浜松のノボリ監督との対決が見たかった
東海大一高校の、そして指導者としても先輩の山田監督も今シーズン1部にあがっての対決を望んでいたと思うんです。
サッカー歴: 東海第一高 − 早稲田大学 − ヤンマ − 清水エスパルス(1992〜1995)
出場歴: リーグ戦(31試合/0得点)、カップ戦(9試合/0得点) 記録的にはわずかな時間だったかもしれませんが、エスパルスの創世記を支えたメンバーとして、大学サッカーの指導者としての山田さんの功績は大きかったと思いますし、同い年としてこんな形で亡くなられたことが自分には悔しくてたまりません… 清水のエスパルス通り、ドリームハウスの近くのセブンイレブンの前には山田さんの足型が残っています。
※その数メートル先に同い年で先に亡くなった眞田さんの手形があるんですよね…
もしもふと思い出したら、「山田泰寛というフットボーラーがいたこと」を思い出して欲しいです。
ナビスコの川崎戦と静岡ダービーではエスパルスの選手が喪章をつけてくれることも決まったことには感謝です。
余りにも早すぎるし、まだこの現実を受け入れられませんがエスパルスの選手、そして残された常葉大富士の選手たちに山田さんの意志が引き継がれることを祈っています。。。。。。合掌…
|
|
今日は1日恐ろしくバタバタしていたのですが、朝から気になっていたのは、
静岡新聞に必見の記事が載っているという清水サポのつぶやき
夕方にようやくチェックをすることができました。「NEWS交差点」の中での1面記事
Jリーガー 第二の人生
Jリーガーのセカンドキャリアについての特集に元清水エスパルスとして登場したのはこの人。
佐野克彦選手
京都へレンタル中の長沢駿選手とユース同期として入団してきた2007年のルーキー。
ユース時代の活躍から清水の未来を背負うDFになることを期待されていた存在がたった3年間でチームを去らなくてはいけなくなってしまったのはやっぱり入団直後の大怪我。
右膝前十字靭帯 損傷 及び 右外側半月板 損傷 全治までは7ヶ月程度を要する見込み
この大怪我が事実上、Jリーガー佐野克彦の選手生命を奪ってしまったのは確か…
21歳で戦力外通知っていう現実、当時既に結婚し、子どももいただけに決断は難しかったんだろうな。
そして現在は警察官として新たな道を歩んでいるとのこと
噂は聞いていたのですが、公務員試験を一発で合格したのは彼の並々ならぬ努力の成果だし、「独身なら現役にこだわっていたかもしれない」っていう一言はすごく重い。
家族を守らなくちゃいけないっていう強い気持ちが新たなスタートを決意させたんだなあ・・・と。
ホームタウン、清水で警察官として活躍する元オレンジ戦士の人生を応援し続けたいですね。
|
|
ザックJANANのゲームがあった日も家に帰ったら試合が終わっているという何とも言えない1日でした…
何が嫌って、今自分の生活の中からサッカーが外れてしまっていることがね…
9月は様々なことが続くことがわかっていたので8月は相当頑張ったのですが、やっぱり何だか気持ちがすっきりしません。
そして9月6日を迎えて、嗚呼、あれから1年経ってしまったんだなあと改めて感じます。
眞田雅則さんが旅立ってしまったのは去年の9月6日のことでした…
9月に入ってすぐにコーチを辞され、その直後の訃報には呆然としました。
エスパルスの誕生からチームを支えてきた功績者の死
更に自分にとっては「同い年」ということもショックが大きくしたし、サッカーを観る状態でなくなってしまったのも確かでした。
チームからは、一周忌ということで「メモリアルフラッグ」の記帳が行われるとの発表…
でも申し訳ないことにこの期間はメッセージを書きに行くことができない。。。。。。。
眞田さんがいなくなった後、本当にエスパルスにはいろんなことが起こりすぎました。
けれど、今でも時々「絶体絶命のピンチ」をミラクルに乗り切る場面を観るとふと思います。
あ、ひょっとして今、眞田さんが助けてくれたのかな????
眞田さんは旅立ってしまったけれど、いつもチームを見守っていてくれているはず。
眞田さんに奉げるタイトルを…そのためにもチームと共に闘っていくサポーターでありたいと思っています。 |


