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日本人が知らない、原爆の真実



今日は63年前広島に続いて長崎に原爆が落とされた日です。

いつもの能天気なハワイ記事から一変して、すこしシリアスな記事を書こうと思います。






今から63年前の1945年8月6日午前8時15分、広島にウラニウム型の新型爆弾が投下され

一瞬にして14万人もの尊い命が奪われました。

人類史上初めての、原子爆弾が市街地の上で炸裂した瞬間です。

そして同じ月の9日午前11時30分、今度は長崎にプルトニウム型の原爆が投下されました。

2個の殺戮兵器が20万人以上もの何の罪も無い一般人の命を紅蓮の炎で焼き尽くしたのです。



なぜアメリカは原爆を2個も日本に投下したのでしょうか。

なぜ日本は原爆という恐ろしいソドムの業火を受けなければならなかったのでしょうか。



原爆には2つの伝説があります。

一つは戦争を早く終らせるために使われた、ということ。

戦争が長引けば100万人のアメリカ兵の命が危険にさらされる可能性がある、これ以上の犠牲を

出さないために投下は必要だった、ということです。

そしてもう一つは日本側が連合軍が通達した降伏通牒であるポツダム宣言を無視し続けたため

堪忍袋の緒が切れたアメリカが遂に使わざるを得なくなった、という伝説です。

また、日本は戦争という悪い事をしたのだから厳罰を与えられたのだ、という考えを持っている

人もいると思います。



果たして、そうなのでしょうか?

本当に原爆の投下は必要だったのでしょうか。

その辺を考察してみたいと思います。



原爆の投下に踏み切ったのは第33代アメリカ合衆国大統領トルーマンでしたが、開発は前任の

ルーズベルトの時代から行われていました。

ルーズベルトは1945年2月、ヤルタ会議(イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンと

ドイツの割譲やポーランド問題を話し合ったと同時に、ソ連へ対日戦争参加を要請した。しかし

すでに日本とソ連は不可侵条約を締結していたにもかかわらずソ連は一方的に破棄することを密約した)

直後、急死します。

その後を受けたトルーマンは開発中の原爆の存在を知り、この超兵器の殺傷能力とそれがもたらす政治的

パワーを見抜きます。

コレだけの強力な武器を手に入れたことの意味をトルーマンは理解したのです。

それは歴代大統領に比べ、家系も学歴も低い彼にとっては自分を見下している列強の指導者や部下を

見返すチャンスと思ったに違いありません。

合衆国の頂点に立った彼が思わず手に入れた超兵器、彼は右腕である国務長官のバーンズと

これをどのような形で世界にデビューさせるのがいいのか、計画を練ります。



一方、日本は度重なる敗戦にすっかり疲弊してしまい、戦争の終結を模索していました。

日本が恐れていたのはむやみに降伏すると無条件降伏という条件を飲まされ、天皇制を解体させられる

ことでした。それは1次大戦後のドイツが無条件降伏をした時、王政が崩壊したという生々しい記憶が

、当時の日本政府から降伏という選択肢を奪っていたのでした。

そう、当時の日本政府の最大関心事は天皇制という国体の護持でした。

そのために必要なのは連合国側に一矢を報いる事、もう一度敵国に甚大なる被害を与え、有利な条件で

休戦に持ち込むことが必須と考えていました。

しかしながら特攻などの非人間的な攻撃を展開するも戦局は好転する事はありませんでした。



そんな時に日本が考えていたのは、不可侵条約を締結していたソ連に和平の仲介を依頼する事でした。

しかし、実はソ連は先のヤルタ会議で米英とともに対日戦争に参加することを決めていたのですから

相手を見誤っていたのもいいところでした。

なんとも愚かなり、日本。



実はアメリカもこの日本の動きを手に取るように察知していました。

なんと、開戦当初から日本の暗号はアメリカに筒抜けだったそうです。

そんなアメリカにも知日派といわれる人もおり、極東問題局長グルーもその1人でした。

彼は日本が天皇制の護持を保証されれば休戦に応じる事を知っていました。

日本に天皇制の存続を保証した降伏勧告をすればこの戦争は終結することがわかっていたのです。

しかし彼の意見は採用される事無く、天皇の処遇にいっさい触れない状態でポツダム宣言が発せられたの

でした。



アメリカ内にも日本の状態をわかっている人がいたのに、天皇制の護持という条件を付ければ日本は

すぐさま降伏するということが判っていたにもかかわらず、なぜポツダム宣言はそのことに一切触れず

発せられたのでしょうか。



そこにこそトルーマンの意思が働いていたのでした。

トルーマンの非情な計画が隠されていたのでした。

まだ日本を降伏させるわけにはいかない。

あの、原爆の威力を確認し、世界に知らしめるまでは降伏させるわけにはいかない・・・・。

原爆を投下するまで、日本を降伏させるわけにはいかない、との思いがあるのでした。

しかもポツダム宣言には連合国として連ねた国名の中からソ連をわざと削除しています。

日本が和平の頼みの綱としていたソ連の名前が宣言書に挙がっていれば、望みを断ち切られた日本は

すぐにでも降伏することが判っていたからでした。



周到な準備をすすめるトルーマン大統領はソ連のスターリンの下へ特使を派遣します。

かれの目的はソ連の日本攻撃の日程を聞き出すことでした。

ソ連から得たスケジュールでは8月8日には全ての準備が整うとの事でした。

トルーマンはもちろん知っています。ソ連が参戦したならば日本はすぐさま降伏してしまう状況に

あることを。

となると原爆の投下は8月8日以前でないといけません。



そして全ての準備が整った日、それが8月6日なのでした。



1945年8月6日、ウラニウム型原爆「リトル・ボーイ」を積んだB−29爆撃機「エノラ・ゲイ」は

静かに広島上空に迫りました。

そして格納庫から、その悪魔は落とされたのです。

何も知らない普通の人々が、普通の日々の生活を営んでいる大都市の上に・・・・。



8月9日朝、ソ連は日本との不可侵条約を一方的に破棄し、満州へ怒涛の進撃を開始します。

スターリンにとっては、原爆により日本が降伏する前に宣戦布告しておかなければなりません。

戦後の領土の分割に有利な立場になっておかなければなりませんから、どうしても連合国の一員に

名を連ねる必要があったからです。先のポツダム宣言にはソ連のソの字も出していなかったのにも

かかわらず・・・。



日本にとってはまさに寝耳に水でした。

そして同じ8月9日に長崎でプルトニウム型原爆が炸裂します。

2つの原爆と、和平の仲介役として期待していた中立国だったはずのソ連の突然の参戦により

全ての望みを絶たれた日本は遂にポツダム宣言を受け入れ、休戦をすることに同意しました。



なお、日本は無条件降伏をした、といわれますがそれは正しくありません。

ポツダム宣言には連合国から国際法に沿ったいろんな条件が盛り込まれていましたが

それに批准する形での降伏ですから、無条件降伏のわけがないのです。

逆に降伏後にその条件をことごとく破ったのは連合国側だったのですから、国際法を無視したのは

むしろ連合国側なのですが・・・。





このように、原爆が太平洋戦争を終結へと向かわせたことは事実ではあります。

しかし、原爆が無くたって戦争は終わらせる事ができたのです。



トルーマン大統領は今後対峙することになるだろうソ連への威嚇のために

戦後のアメリカの絶対的地位を保つために原爆使用を決定しました。



しかし戦後まもなく原爆の開発技術はソ連に筒抜けになり、ソ連も多数の原爆を保有する事になります。

冷戦時代の始まりです。

また核兵器は拡散を続け、中国や北朝鮮などのやっかいな国々に広がり続け現在に至ります。

核兵器を持つということは、カードの「切り札」、まさに「スペードのエース」を持つということ

に他ならないことに気づいた各国は我先に開発を進めた結果でした。



トルーマンが行った世紀の人体実験、原爆は

最悪のホロコーストとして歴史に刻まなければなりません。


そして核の拡散を導き出したことを歴史に刻まなければなりません。

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