楽園への扉★ヒロ・タウン

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楽園への扉★ホレホレ節にこめた思い







ハワイ、 ハワイと夢見てきたが

流す涙は甘庶(きび)の中

行こか メリケン 帰ろか 日本

ここが試案の ハワイ国



今日のホレホレ 辛くはないよ

昨日届いた 里便り

横浜出るときゃ 涙ででたが

今は子もある 孫もある



条約切れても 帰れぬやつは

末はハワイの ポイの肥



ハワイ ハワイと 来てみりゃ地獄

ボースは悪魔で ルナは鬼



カネはカチケン ワヒネはハッパイコウ

夫婦仲良く 共稼ぎ



条約切れるし 未練は残る

ダンブロウのワヒネにゃ 気が残る




その昔、美しくまた寂しくもある、悲哀に溢れたメロディにのせて

ハワイで歌われた歌があります。

それがこれ、ホレホレ節です。

1868年、明治元年のこの年、日本の横浜港を出発した「元年者」と呼ばれる人々は

ハワイでの入植生活をスタートさせました。

その生活ぶりはみなさんもご存知の通り、楽園ハワイとは程遠い毎日でした。

毎日の辛い農作業、爪に火をともすような思いで続けた貧困生活と、元年者のハワイ移住は

苦労の連続だったといいます。

そんな中で生まれたのが、このホレホレ節です。

農作業中の辛さを紛らわすために誰からともなく歌われだし、ながく継承されてきたそうです。

ですから作曲家も作詞家もいません。

農民が自分達で作り、自分達で歌った、自分達のための民謡なのです。



写真は現代のヒロの街並みです。

時代は移り変わっても、この唄がどこからか聞こえてきそうな

そんな雰囲気を持っている街です。



<言葉の意味>

ホレホレ・・・サトウキビの枯葉を落とす作業

メリケン・・・アメリカのこと

ポイ・・・・・タロイモで作ったハワイアンの伝統的な食べ物

ボース・・・・BOSSのこと。農園の経営者。

ルナ・・・・・農園の監督者

カネ・・・・・男

カチケン・・・cut cane つまりサトウキビの茎を切る作業

ワヒネ・・・・女

ハッパイコウ・・切り取ったサトウキビを運搬する作業の事

ダンブロウ・・・down below 下の方の農園のワヒネ(女性)に後ろ髪を引かれる




<Shimtyの独り言>

いやぁ〜久しぶりにきっちりとした更新をしたなあ、と思います。

ここんところ忙しくって簡単な更新ばかりでしたもんで、久しぶりに気合が入ってます。

昨日は更新さぼっちゃったし!

このホレホレ節を聞きたい方はこちらからどうぞ。

HP内の「ホレホレ節」の文字の上でクリックすると唄が聴けますよ。

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楽園への扉★ハワイと日本の意外な接点









ハワイ島の東海岸に位置するヒロの街に残る日本人の足跡をお話ししましたが、

ここでハワイと日本の意外な接点のお話をしたいと思います。



その昔、ハワイは群雄割拠の戦国時代でした。

それぞれの島に王がいて覇権を争う時代だったんですね。

そこに現れたのがカメハメハ大王!彼は当時たまたまハワイ諸島を訪れたキャプテンクック達異国人から

近代兵器と戦術を学び、瞬く間にハワイ諸島の統一を成し遂げました。

しかしカメハメハ1世がこの世を去ると王族間での争いが再燃し、それを機会にアメリカやイギリス、

ロシア、スペイン等の欧米列強が貿易やキリスト教の伝道を名目にハワイに近づいてきました。

そのなかでも特に強い影響力を持ってたのが、アメリカです。ハワイ王朝に併合案を提示

し、協力に内政干渉してきます。



そして時は1860年、ハワイにある国の船が寄港します。

日本の咸臨丸(かいりんまる)です。

幕末の日本がアメリカに派遣した軍艦(といってもオランダ製ですが)がサンフランシスコからの帰途に

ホノルルに寄港したのです。

その時乗船していた勝海舟や福沢諭吉は、時の皇帝カメハメハ4世に謁見しますが皇帝は日本の軍艦の来

訪に大変喜んだといいます。欧米列強と肩を並べるような大きな船を操って太平洋を航海してきたアジア

人に大変興味を持ったからなのでした。

その後、1868年には日本は明治維新を達成し近代化を推し進めます。欧米列強の植民地支配がすすむ

アジアの中で唯一近代独立国家の誕生となりました。欧米列強に翻弄されていたハワイ王朝もその日本に

尊敬の念を持ちます。

このことが日本人の移民を受け入れるバックグラウンドになったようです。



そしてのちの皇帝、カラカウア皇帝は列強包囲の中にハワイの生きる道を模索すべく、アジアへの旅に出

ます。そして遂に1881年(明治14年)日本を訪問し、明治天皇と対談しています。

その時カラカウア皇帝は「欧米列強は連合して東洋に利権を求めているがアジアは孤立して助け合う事を

しない。その中にあって日本は驚くべき発展を遂げられた。陛下が盟主となられアジア諸国の連盟を作っ

ていただければ私は陛下に臣事します。」と述べています。

それに対し明治天皇は「貴説はもっともですが、わが国の進歩もまだ外見ほどではありません。」とお答

えになったそうです。



そしてカラカウア皇帝は姪のカピオラニ王女と日本の皇族の婚姻を強く希望されました。

しかしこれは血を重んじる立場から丁寧にお断りしたそうです。



失意のうちに日本を離れた皇帝はその後病気で亡くなり、その後を継いだリリウオカラニ女王の時代にハ

ワイはアメリカに強引に併合されてしまいます。時に1898年のことでした。



あの時日本がカラカウア皇帝の申し出を受け入れていたら・・・ハワイの歴史は大きく変わっていたかも

知れませんね。

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楽園への扉★ノスタルジック・タウン ヒロ



心の回帰線







この街には残されている

それは、私たちが忘れてきたもの



今もこの街に息づいている

それは

日本人の心



なつかしさ

あたたかさ

やさしさ



忘れてはいけないもの

この街には、

それがある





ハワイ島の東に位置するここ、ヒロはハワイでも第二の都市です。

ここはどちらかというと観光地ではありません。

同じハワイ島でも西海岸のカイルア・コナとは趣きが違います。

なつかしさ、あたたかさ、やさしさを感じる事ができます。



それはここに歴史があるからです。

ここに物語があるからです。



日系人の物語があるから、

この街にはなつかしさを感じるんだと思います。

ここでは書きませんが、新天地を求めて日系移民としてこの地を訪れた人々の

血と汗のにじむようなご苦労、

その礎(いしずえ)があるからこそ今のハワイがあるのです。



聞いた話によると、ハワイ島の学校の校長先生には日系の方が多いそうです。

また教育者としても日系人が多いそうです。

日本から来た移民は辛い農作業にも耐えコツコツと積み上げた実績と財産で

このハワイ島で確固たる地位を確立しました。

勤勉実直な彼らは次第に尊敬をも受ける立場になっていったそうです。



ハワイの人々が私たち日本人の観光客にまで優しいのは

彼ら先人の苦労と努力があったわけです。



この写真はヒロの街のKTAというスーパーです。

日本人の谷口さんが始めたお店で、ハワイ島各地にあるお店のなかでも第1号店です。

店内には日本人の香りがする商品があちらこちらに。

この店にも語るべき歴史があるのだなぁ。

そんな事を思い巡らしながら買い物をすると趣きが違ってきます。




<Shimtyの独り言>

私は歴史が好きです。

とくに近代史が興味の的です。

今度機会があれば日本とハワイの意外な接点をお話します。

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今日の1枚★雨上がりのヒロ (ハワイ島・ヒロ)






ハワイ島のヒロ・サイドはやっぱり雨が多いんですよね。

この日も何度雨に降られた事か・・・。

でも雨上がりのヒロの街はステキな表情を見せてくれるのも事実です。

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