きらめくスプラッシュを巻きあげて
前へ進もう
明日へむかって
夢へむかって
キミの勇気は
青い空に光となって弧を描く
キミの勇気は
青い海に軌跡となって刻まれる
オアフ島コ・オリナ・マリーナの風景です。
船のスクリューのように
力強く勇気をもって
前に進んで行きたい、そう思います。
なんとも悲惨な事件が、また、起きましたね。
東京・秋葉原の無差別殺傷事件。
生きるのがイヤになったから、誰でもいいから人をぶっ殺して自分の人生を終わりにしたい。
同じような事件を起こした彼らに共通する動機のようです。
だったら自分で勝手に自殺でもすりゃいいものを、わざわざ他人を巻き添えにして
人生に終止符を打とうとする。唖然とするしかない思考回路です。
彼らはたまたま居合わせただけで殺されたり怪我をさせられた人のことを考えた事があるのでしょうか。
自分のつまらない人生を終らせるために、光り輝いているかもしれない他人の人生を
勝手に、本人の意思に反して終わらせられる被害者の無念さが少しでも解かるでしょうか。
突然の、理不尽な悲報を受ける被害者の家族の悲しみや無念さを考えた事があるでしょうか。
また、お腹を痛めて生んだ息子が引き起こした凶悪な犯行を知った時、自分の親はどう思うだろう。
いたたまれなくなった兄弟はどういう人生を以後過ごすのだろうか。
自分の親戚はどうだろう。
自分の人生は終ってしまえばそれまでだが、周りの人の人生はこれからどう歪んでいくのだろう。
なぜそういうことを考えられないのか・・・。
想像力がないのか、思考停止しているのか・・・・。
今回の犯人は携帯から掲示板に移動しながら犯行予告を書き込んでいました。
普通なら、怒りに燃え上がった時は頭に血が上り殺人を考えても時間が経つにしたがって
テンションも下がってくるはずです。
親の顔が浮かんできて、思いとどまる事もあると思います。おれ、なにやってんだろって。
でも、それはなかったようです。
家族関係が希薄、ということをよく聞きます。
核家族化が進み親戚やご先祖様のことにも興味をいだかない環境となっているようです。
墓参りも行かない、仏壇に手を合わすこともない、そんな家庭も多いのではないかと思います。
昔は家族が、親戚が、ご先祖様がすぐそこにあった。
悪い事をしたら親にあわせる顔がない、ご先祖様に申し訳ない、昔はそんなことを
みーんな考えていたもんです。
それが実は抑止力になっていた、と私は思うんですよ。
学校の授業で命の大切さや道徳を学ぶより、ずっとずっと心の教育になっていた。
仏壇に手を合わせ、はたまた神棚に手を合わせ、目に見えないご先祖様に声を掛けてきた。
ご先祖様がいたから、おじいちゃん、おばあちゃんがいて、そのおかげで両親がいて、
そして今、ここに自分がある。
最初から自分はここにいたんじゃない、みんなみんなずーっと繋がってきたんだ。
綿々と継続してきた家族と言う絆があったからその結果として自分がいるのだ、ということを
理解した時、人はアイデンティティを心に刻むのです。
そして自分も伝えなきゃ、この家族と言う絆を・・・と思うものです。
その結果、家族や親戚、ご先祖様の存在が自分の行動に抑止力を発揮する事になるのだと思います。
きっとこういう犯人には人の家族の事はもちろん、
自分の家族のことを気に掛けることもなかったのでしょう。
犯人は自分の人生を破壊しただけでなく、自分の家族や親戚やご先祖様の存在も崩壊せしめたのです。
いわんや被害者の人生をも。
きっと犯人は獄中で自分の行ったことの罪深さを、
被害者とその家族の悲しみと無念さを、
そして自分の家族や親戚との絆がぷっつりと切れた事に気が付くと思います。
でも、全てが遅いのです。
彼は死刑になります。ならなければなりません。
命が軽んじられてきたこの現代。
ご先祖の前で手を合わせ、
家族と言う血の繋がった絆を大事に思うことが今の時代重要になってきた、
と思うshimtyです。
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