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革命の国フランス。パリ音楽院の始まりは、18世紀の大革命で生まれた無料音楽学校です。1872年に10歳で院に入るドビュッシー少年の父は、世界初の労働者政府パリ・コミューンの元戦士でした▼少年は、のちの作曲家ドビュッシー。コミューンが弾圧され、父は牢獄(ろうごく)に1年つながれました。暗い体験で少年が負った心の傷は、長い間残ったといいます。のちに第1次大戦が起きると、彼は不安と恐怖にうちひしがれました▼やっと力をとり戻し作曲した2台ピアノ用の「白と黒で」は、戦争のむごさを告発するような曲です。戦争で家を失った子どものために、歌曲「もう家がない子どもたちのクリスマス」もつくっています▼「牧神の午後への前奏曲」や「海」。多くの名作で「20世紀のとびらを開いた」といわれるドビュッシー。8月22日で生誕150年です。「牧神」も「海」も、音楽の輪郭はぼやけ、形にとらわれていた昔の人々は、とらえどころがなく面食らったでしょう▼しかし、時間と光のうつろいを刻々と音符に移したような音の響きから、物事の実体のありさまが伝わってきます。「海」なら、うわべの風景でなく、海がもつ神秘、ゆたかさ、底知れないエネルギー…▼「きまり文句にでなく自由の中に、みずからを律する基準を求めなければならない。…吹きぬけながら世界を物語る、風にだけ耳を傾けよう」。ドビュッシーの言葉です。音楽を革新して時代のとびらを開けた、彼の自由の風は、いまも吹いています。 |
きょうの潮流
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黄色い皮をむくと、白い果実にほのかな甘い香り。なつかしい。先ごろ、近所の農家の庭先で買ったマクワウリをいただきました▼子どものころはとびきりのごちそうだった、と覚えています。プリンスメロンなどが出回るとともに、あまり見かけなくなって久しい。しかし、こだわって栽培する農家が近くにもありました▼マクワウリは、栽培用のメロンの一種です。メロンは、アフリカ・中近東あたりで生まれ、東西に枝分かれしたようです。ヨーロッパ系と、東洋系のマクワウリやシロウリ。東洋系が中国から日本列島に伝わったのは、縄文時代の終わりごろとみられます▼なかでも甘みにすぐれるマクワウリは、時が下るにつれ、たくさん栽培されます。「マクワウリ」の名は、室町時代についたそうです。おいしいウリがとれた、岐阜県の真桑にちなむ、といわれます▼ところで、はたと考えました。メロンは野菜か果物か。マクワウリは野菜のようですが、皮に網目、甘みもたっぷりのマスクメロンは果物と思えます。農水省の解説を読みました。な〜んだ。野菜と果物の違いを、はっきりとは説明できないというのですから▼野菜の一応の目安を記しています。栽培される。おかずである。コンニャクのような加工を前提としない。草である。なお、イチゴ、メロン、スイカなど野菜にあたるが、人が果実のように食べるので「果実的野菜」とみなす―。なんだかマクワウリに、“人間はなんでも区別したがる”と笑われているようで。 |
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暑い。「堪(た)ふることいまは暑のみや終戦忌」(及川貞)。1945年の8月15日を詠んだ句です▼日本の終戦記念日の8月15日、韓国では植民地支配からの解放を祝う光復節です。先の大戦中、中国にあった韓国の臨時政府の軍も、光復軍とよばれました。光復軍は、日本を中国と韓国の共通の敵とみなし、独立めざしてたたかいました▼中国は、日本に対する戦勝記念日を9月3日と定めています。日本が降伏文書に署名した9月2日の翌日です。しかし1980年代以来、日本にあわせて8月15日に催す戦勝記念の行事も目立ちます。中曽根首相が、8月15日に靖国神社に参拝したころからです▼さてことし、8・15の空気がはりつめました。香港の民間人が、中国の領土だといって日本の尖閣諸島・魚釣島に上陸する。韓国の歌手や学生が、韓国領だと叫び水泳リレーで竹島へ行く。韓国の李明博(イミョンバク)大統領が、旧日本軍の性奴隷の悲劇で日本の責任を問う。日本の閣僚2人が、民主党政権で初めて靖国に参拝し、中国・韓国の反発にあう…▼領土をめぐる対立も、8・15にからまって表れました。領土。「慰安婦」。靖国。もつれる糸をどう解きほぐす。同じ日本領でも、尖閣と竹島では歴史や事情が違います。領土をめぐるわが国の正当な主張をつらぬくためにも、もっと8・15と向きあわなくてはいけないのでしょう。戦争責任から逃げないように▼戦争はまだ終わっていない。終わらせる国は戦争を始めた日本だ。そう痛感した8・15です。 |
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ことしは、国連が定めた「国際協同組合年」です。合言葉は「協同組合はよりよい世界をつくる」。いま世界で10億人ほどが、農協や生協などに入っています▼協同組合は、利益をめあてにせず、人々の自治で成り立ちます。貧困をなくし、経済・社会をゆたかに発展させるため、協同組合の役割をもっと大きくしよう―。国際年が設けられた、わけのあらましです▼東京の城南信用金庫の理事長・吉原毅さんは、「脱原発」を協同組合の使命から説き起こします。信用金庫は、お金より人を大切にする協同組合の一つだから。『城南信用金庫の「脱原発」宣言』(クレヨンハウス)にくわしい▼福島の事故が起こり、最初は手も足も出なかったという吉原さん。しかし20日後、城南信金は宣言します。「原発に頼らない安心できる社会へ」。もし東京で原発事故が起きたら…。と考えると、ごく当たり前の結論でした▼矢継ぎ早に実行します。もっていた東京電力の株・社債をすべて売り払う。社内の電気の消費を4分の1減らす。節電を促す貸付や預金の開発…。省エネ設備を入れる会社向けローンは1年間金利0で、「原発をなくすためには、多少の赤字を覚悟してでも」と決意を示しました▼吉原さんは、お金の魔力を語ります。人の心を惑わせ、暴走させ、大切なことを忘れさせる金。政府や電力会社は、その魔力で政治家や学者を「原子力村」に囲って「安全神話」をふりまき、なにより大切な「命」「人間」を忘れさせようとしました。 |
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近所の女性が散歩していたときです。神社に入って、“おや?”と思いました。境内の歩道の脇に、石碑がたっていました▼東京郊外の、神社から歩いて数分の家に住んで40年近く。“どうして今まで気づかなかったのだろう?”。高さ1メートル半を超すだろう碑の表に、「平和記念碑」と彫られていました▼裏に、太平洋戦争の戦没者23人、従軍者93人の名前が記されています。東京五輪の年、「昭和三九年四月」の建立。が、戦没者がどこの人なのか、誰がどんないきさつで碑を建てたのかも分かりません▼記者も行ってみました。簡単なつくりから、「平和」への願いがまっすぐ伝わってくるようでした。みなさんの身近にも戦争を記憶する記念物がありませんか。そのいわれを知り、地域の次の世代とともに「戦争と平和」について考えられるといいのですが▼「東京の高校生平和のつどい」は17年前から、戦争体験を聞いています。地上で7日しか生きられないセミさえうらやんだ元特攻隊員。中国で古参兵が犯そうとして抵抗された女性を井戸に投げ込み、彼女の幼子も後を追い飛び込むありさまをみた元兵士。元「慰安婦」の韓国人…▼先ごろ、『高校生が心に刻んだ戦争と平和の証言』にまとめました。「目をそむけません。過去の苦しさ、今の世界から」「走り続けます。世界の平和を願う歴史のリレーランナーとして。未来へ」。「つどい」を開いてきた高校生の決意です。老いも若きも、私たち一人一人が歴史のリレーランナーです。 |



