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いつの間に政党がこんなにふえた? このところの与野党の攻防を報道で知り、数の多さにあらためて驚いた人もいます▼「オレはいま何党なのかと秘書に聞き」。かつてはやった川柳です。しかし、政党を渡り歩く“政界渡り鳥”のよしあしをいま問うつもりはありません。「二大政党制」が唱えられる時代の多党化に、注目したい▼野党は11党。90年の歴史をもつ日本共産党のような党もありますが、ここ数年のうちに民主・自民の二大政党から離れた人の党が多い。二大政党化のゆきづまりを物語ります▼ところが、政党・議員選びの土俵づくりにあたる選挙制度の改革をめぐり、与党の民主が暴走します。野党との話し合いを打ち切り、ひとり自分の案を衆院で通してしまう。一大事に、11の野党そろって抗議しました。「憲政史上、これほどの暴挙はない」▼多様な人々の考えを映す、比例代表の議席を削る民主案。しかし、早くも日本に国会ができる前の1884年、山田一郎という学者が説いています。「反対党の地位を安全に」して、「民権」が縮まらないようにするべきだ、と。なるほど、反対党や少数党の意見が議会で多数を占めたり、いつか彼らが国民の支持をえて政権をとったりするかもしれないですから▼実際、きのう参院で少数党の意見が多数を占めました。7党・会派の提案する野田内閣への問責決議案に、なんと自民党もついに賛成し、可決。二大政党の談合や民主の暴走に憤る民意が、政界を突き動かしました。 |
きょうの潮流
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「人間は、本来ごうまんにつくられており、高い地位につくと必然のように専制に向かってゆく」。18世紀フランス大革命期の指導者の一人、バルレーという人が残した言葉です▼人民の人権を保障するとともに、専制に向かいがちな権力の乱用を防ぐ。君主が権力をほしいままにして人の権利を押しつぶしてきた過去を顧み、後戻りしないよう自戒し、近代の民主政治は始まりました▼国民の代表が集まる議会は、民主政治のかなめです。三権分立など、乱用を防ぐしくみが編み出されました。しかし、新たな専制や独裁への誘惑はたえません。議会を利用して独裁をめざす者も現れます▼「われわれは、議会という民主主義の兵器廠(しょう)の中に入り込み、われわれを民主主義そのものの兵器で武装するのだ」。ドイツ・ナチ党の宣伝局長ゲッベルスの言葉です。ナチ党は、国民の不満を巧みにとりこみ、選挙で勝って独裁へまっしぐら。民主主義を、民主主義自身の助けを借りて「まひさせる」(ゲッベルス)▼さて、いまの日本。国会は、法律をつくったり権力を監視し乱用を防いだりする役目をもち、首相を選び、憲法の改正も提案できる「国権の最高機関」です。議員の数をばっさり減らせば、「最高機関」の独自の力をそぎ落とします▼国政への進出をめざし、衆院の定数を半分に削るという大阪維新の会。代表の橋下大阪市長はいいます。「強制的に物事が決まるルールをつくらないと…」。バルレーやゲッベルスの言葉を思い起こします。 |

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「私にこの嫌疑をかけるなどということは不当でありましょう―あるいは過分の名誉と言ってもよいでしょう。共産主義者になるにしては、私には足りないことが多すぎます」。60年前、ドイツ文学の巨匠トーマス・マンが述べた言葉です▼マンはナチスとたたかうため米国に亡命し、戦後もとどまりました。しかし、1950年ごろから吹き荒れたマッカーシー上院議員らの「赤狩り」がマンの身にも及びます。東独を訪問したことで迫害を受け、米国を去りました▼紹介したのはオーストリアのザルツブルクで52年8月に行った講演の一節です。スターリン主義を批判する一方、共産主義の理念を純粋に実現することは「繰り返し人類に迫られるだろう」と共感を寄せました▼マッカーシズムの名で知られる反共主義はごく単純なデマで米国を席巻します。「国務省に205人の共産主義者がいる」。しかし、その人数は次々に変わり、名前も明らかにされません▼『マッカーシズム』の著者リチャード・ローピアは「多重虚偽」がまかり通ったのはマッカーシーの一言一句に反応する新聞記者がいたからだと書いています。「記者たちはベルの音にこたえるパブロフの犬のようにマッカーシーの召集に反応しはじめていた」と▼暴走する権力の陰には迎合するメディアがいます。消費税増税や環太平洋連携協定(TPP)参加で政府をけしかける。権力者の言葉をそのまま伝える。これではマッカーシズムを支えた新聞から進歩がありません。 |

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シリア北部アレッポで命を落としたジャーナリストの山本美香さんが無言の帰宅をしました。同じ報道に携わる者として、深い哀悼の意を表したいと思います。同時に、最前線に出て戦場の真相を伝えようとした記者魂に敬意を表したい▼中東の圧政が次々に転覆された「アラブの春」では、インターネットを通じた情報が大きな力になりました。シリアのアサド政権はこれを恐れ、徹底的な情報統制を敷き、報道関係者を物理的に排除していると見られます▼シリアではこれまでに、外国人を含めて60人を超えるジャーナリストやブロガーなどの情報発信者が死亡。至近距離から撃たれるなど、最初から標的になって殺された者も少なくありません▼反政府勢力の取材ツアーに参加していた山本さんも政府側に狙い撃ちされた可能性があります。警視庁は刑法の「国外犯規定」に基づいて殺人容疑で捜査を始めました▼みずからが危険にさらされる戦場に足を踏み入れるか否かの判断は難しい。それでも、多くのジャーナリストが行きたいと考えるのは、非人道的な状況に置かれる人々の実情を伝えたいからです▼山本さんも、きっとそうだったのでしょう。最後に撮影したビデオには、アレッポで暮らす普通の人々の、そのままの表情が映っていました。犠牲者何人、生存者何人、といった統計上の数字のなかから一人ひとりの表情を映し出し、実情を伝える。まっとうすぎるぐらいまっとうな思いを貫いたのかもしれません。 |
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東京・大田区の「昭和のくらし博物館」で特別展「梅ちゃん先生時代の診察室」が開催されています▼大田区の開業医・蔵方宏昌さんが収集した昭和30〜40年代の医療道具を展示し、当時の診察室を再現しています。診察台、白衣、注射器、聴診器、薬瓶、壁に貼られた衛生紙芝居…▼NHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」は敗戦後の焼け野原から立ち上がっていく大田区蒲田が舞台。優秀な姉や兄と比べて劣等感を持つ梅子が、戦災孤児の命を救った父の姿を見て医師を志し、地域の人たちと涙も笑いも分かち合う町のお医者さんとして成長していく物語です▼ドラマの魅力の一つは、昭和の暮らしぶり。時にはおせっかいと思えるほど、家族や隣近所のつながりが親密で温かく、限られたものを工夫して大切に使う日々には、つつましくも、ゆったりとした時間が流れています▼同展を企画した「昭和のくらし博物館」は、昭和26(1951)年に建てられた木造住宅を家財道具とともに保存して公開しています。ちゃぶ台、火鉢、お釜、おひつ、たらい、洗濯板、蚊帳、綿入れ、湯たんぽ、吸入器…。「相次ぐ戦争と、戦後の社会・文化・生活の大変動が起こった昭和という時代を、庶民の暮らしの面から考え直してもらえたらと思います」(学芸担当・松田純子さん)▼あの頃はあったのに、いま失われたものは何なのか。そう考えることで、昔に戻るのではなく、新しい暮らしや地域社会を創造していくヒントが見つかるかもしれません。 |



