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記事は古いものでも興味がございましたらコメント下さい。よろしくぅ(^o^)/

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『日本橋浜町』7

○由来→昔は海浜の面影を残していたため、浜町の名が生じたといわれています。

○特徴→昔は大名屋敷などの連なる静かなところでしたが、今では、ビルと住宅、賑やかな商店街の入り混じつた町になっています。
広大な面積を占めている浜町公園があり、区民の散策や憩いの場所となっています。
ここには震災後「清洲橋通り」と呼ばれる清洲橋から浅草橋に至る幅33メートルの大通りが建設され、東京下町自慢の通りとなりました。

(b*^0)d (ノ*^▽)ノ オッハー♪。
日本橋歴史街道〜更新です。4月に入って一発目です〜☆
まだまだ第7弾。少し疲れが出てきましたが、日本橋歴史街道最後まで続けたいと思っていますので、ご声援の程、宜しくお願いします^^
※更にもう少し詳しく、知りたくなりましたら、「あとがき」(一番下段)をご参照ください。
また、歴史に興味のある閲覧者様は前の「営業散歩 日本橋シリーズ」過去ブログにもコメントを頂けると嬉しいです☆はい。相変わらず同じコメです(-。−;)
○日本橋       → http://blogs.yahoo.co.jp/shimushimu0402/9460122.html
○日本橋小伝馬町  → http://blogs.yahoo.co.jp/shimushimu0402/9670262.html
○日本橋大伝馬町  → http://blogs.yahoo.co.jp/shimushimu0402/10751373.html
○日本橋小網町  → http://blogs.yahoo.co.jp/shimushimu0402/11767229.html
○日本橋人形町(町並) → http://blogs.yahoo.co.jp/shimushimu0402/12085652.html
○日本橋人形町(神社) → http://blogs.yahoo.co.jp/shimushimu0402/12232972.html
○日本橋人形町(老舗) → http://blogs.yahoo.co.jp/shimushimu0402/12314996.html
○日本橋堀留町    → http://blogs.yahoo.co.jp/shimushimu0402/13509984.html

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『浜町の面影』
 他にも、重要文化財として有名な「清洲橋」ありますが、こちらは別に調べてブログ公開する予定です。
 
イメージ 2
「浜町」といえば、『明治座』です。
1873年(明治6年)に「喜昇座」開場。
明治・大正・昭和・平成にわたる130年以上の歴史と伝統を誇る。
1879年(明治12年) 大改築を行い、「久松座」と改称。
1885年(明治18年) 「千歳座」と改称して新築開業。
1893年(明治26年) 初代市川左團次が千歳座を買収して座元となり、明治座と改称。
 市川左團次が、歌舞伎座(銀座)を離れて独立した劇場をここに経営し、ここを根拠地にして活躍しようとしたのです。
 最近では、『モーニング娘。の公演』『渡る世間は鬼ばかり』『3年B組金八先生』の舞台公演、上川隆也主演『燃えよ剣』の上演など、バリエーション豊かです。

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現在では高層ビルです。

1880年(明治13年) 火災で焼失。
1890年(明治23年) 火災で焼失。
1923年(大正12年) 関東大震災で焼失。
1945年(昭和20年) 東京大空襲で焼失。
1958年(昭和33年) 漏電を原因とする火災が発生、再び焼失。
1990年(平成 2 年) 老朽化で興行休止。
1993年(平成 5 年) 浜町センタービル内に新明治座が開場。
実に7回目の立て直しなのですね。地元の愛する気持ちが存続させたのでしょうか。


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『清正公寺』

 この地は江戸時代には細川藩の下屋敷があったところで、文久元年(1861年)、細川斎護が熊本の日蓮宗本妙寺から勧請して創建した。
加藤清正を祭っており、現在の堂宇は昭和34年(1959年)に再建。
小さな寺で、清正公堂とも呼ばれる。

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『清正公寺2』

 この後に、紹介する「浜町公園」の直ぐ近くにあるのです。小さいお寺さんなのですが、これがけっこう貫禄があり、ついつい引き寄せられるものがありましたね。
きっと、今はいないどなたかが、歴史好きな私を呼び寄せたのでしょう・・( ̄Д ̄;;

イメージ 6
『浜町公園』

当公園は1923年に発生した関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環。
当地は江戸時代は熊本藩主・細川氏の下屋敷があり、明治期以降も細川家の邸宅があったが、公園として整備され、1929年に開園した。
現在では、先ほど紹介した「清正公寺」や「総合スポーツセンター」などもあり、沢山の人がこの公園に足を運んでいます。(余談ですが、私、スポーツセンター通う予定です。)

イメージ 7
『笠間稲荷神社』

当社は安政6年(1859)11月に、常陸の国(茨城県)にあります笠間稲荷神社より御分霊を受けて、笠間城主牧野家の下屋敷(現在の浜町公園の一部)に建てられ、お祀りされるようになったものです。
 もともと当地は徳川五代将軍綱吉の寵臣牧野成貞公の拝領地の一部で、邸内には稲荷社がありましたが、延享4年(1747)に牧野公が笠間城主となったことが縁で笠間稲荷神社を篤く信仰するようになり、貞直公のときに御分霊を受けてこの社に合祀したのが起源となりました。

イメージ 8
『笠間稲荷神社2』

日本橋七福神の一つ、寿老神を祀る神社です。
(昭和51年の9月に、七福神の一神である寿老人をお祀りするようになりました。)
寿老人は長寿の神にして、「お導きの神」、「幸運の神」として、人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神。
それにしても、色々なお狐さんがいらっしゃいますな〜^^

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『綱敷天満神社』

調べても出てきません。勉強不足ですな(T_T)

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『浜町神社』

浜町神社は天明年間(1781―89)島津家下屋敷に島津稲荷大神を祀ったのが始まり。
関東大震災で焼失するが昭和5年に再建され、戦災後の昭和27年にも再建されている。
歴史とは裏腹に新しすぎて、貫禄を感じませんでしたー。

イメージ 11
『新大橋』

最初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年(1693年)12月7日である、隅田川3番目の橋。
江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられている。

橋が完成していく様子を、当時東岸の深川に芭蕉庵を構えていた松尾芭蕉が句に詠んでいる。

「初雪やかけかかりたる橋の上」

「ありがたやいただいて踏むはしの霜」

人助け橋
新大橋は関東大震災や東京大空襲の際にも隅田川の橋がことごとく焼け落ちる中でも唯一被災せず、避難の道として多数の人命を救ったため、「人助け橋(お助け橋)」と称される。

【あとがき】

交通 : 都営新宿線「浜町駅」

1、『山伏の井戸』

 山伏の井戸は、浜町2丁目と久松町の間の路地にあったという話です。
家康入国後 、紀州根来の山伏百人にこの一帯を与え居宅を許したといわれ、根来同心と称したと いいます。山伏の飲用に使用した井戸があり「山伏の井戸」とよばれていたといいます。
江戸抄子に「山伏の井、はま町。堀淡路守殿うしろに有、此井名水なりしが、中 ごろ水あしく成しに、山伏祈り直しける。」とあります。


2、『浜町の事件 -「明治一代女」-』

 「明治一代女」で有名な花井お梅の峯吉殺しが明治の大きな事件でした。
明治20年6月9日夜九時すぎ、浜町2丁目の細川邸近くの横町といわれている場 所で、酔月楼の女将花井お梅が雇用人八杉峯三郎を刺殺するという事件がおきました 。
 これが当時新聞紙上大騒ぎになった「花井お梅の峯吉殺し」といわれた事件でした 。
お梅が美人だった事もあって、裁判の時などは傍聴人の行列が出来るほどだったといいます。
しかし殺した場所は当時の新聞をみても浜町2丁目13の酔月楼から車夫 に依頼して自分の店で雇用していた峯吉を呼び出し、浜町2丁目細川邸のわきで刺し 殺したというのですが、どうも明確ではありません。
一般には峯吉にいいよられて殺したという説が多いのですが、裁判所の判決によると、実父との間がうまく行かず、 峯吉(八杉峯三郎)が自分と父の仲をさいていると思い込み、峯吉を殺したというの が本当のようです。

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今日のとこは、、僕にはよくわかりません。
東京に加藤清正を祭る神社があるんですね。
『真田太平記』で清正公は、大阪城でひそんでいた徳川がたの調理人が砒素をひそかに料理にまぜて、、殺されたと知りました。

2009/4/18(土) 午前 8:15 ファルコン(狩猟用のはやぶさ) 返信する

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歴史を感じさせますね〜。明治座が高層ビルってのは知りませんでした。
新大橋、松尾芭蕉に「人助け橋」、なんだか素敵です。

それにしても、アバターの髪がかっこよくなってるww 以前のオールバック(でしたっけ?)も似合いましたが☆

2009/4/18(土) 午前 8:53 [ - ] 返信する

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東京も時代と共に街並みもすっかり風変わりしましたねぇ。
明治座と云う名前は知っていましたけど何処にあるのか
今まで知りませんでしたからぉ勉強になりました。
日本橋浜町はまだ行ったことがありませんから写真で
楽しませて頂きました。
(〃'▽'〃)oわぁー♪

2009/4/18(土) 午前 11:31 もん 返信する

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ファルコン様。

ほうほう、なるほどですね。そうだったのですか〜^^
昔の人は、よく、毒殺とか暗殺をしていましたね。
坂本龍馬は暗殺でしたよね。
普通に食事が出来ないのはストレスが溜まりますよね☆

2009/4/18(土) 午前 11:32 [ 伊織 ] 返信する

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もりもり様。

明治座、今では新しすぎて( ̄Д ̄;;歴史を感じられる場所が少なくなりましたね。
そうそう、私も調べて勉強しました!清洲橋があまりにも有名なので^^;
素敵ですよね☆
はい。気づいてくれてありがとうです^^
ヤフーさんから、プレゼントを頂いて、こちらに決めました☆

2009/4/18(土) 午前 11:37 [ 伊織 ] 返信する

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もんちぃな様。

はい。有難うございます☆
私も、ブログ公開するたびに、日本橋の歴史の細かいところまで勉強してるんですよ〜♪
本当に歴史って、その場にたつとなにか「感じる」んですよね^^
浜町に限らず、日本橋は良いところなので、気にいったところへ足を運ぶのも面白いかもしれませんネ☆

2009/4/18(土) 午前 11:40 [ 伊織 ] 返信する

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歌舞伎座の建て替えを巡るニュースが賑わってましたが、明治座は既に高層ビル化されていたんですね。
時代の流れで仕方の無い事なのでしょうが、少々寂しい気がしますね。
加藤家が改易された後に熊本入りした細川家が、清正公を祀っているというのも面白いですね。
やはり、祟りが怖かったのでしょうかw

2009/4/18(土) 午後 3:02 [ - ] 返信する

アバター

清正公を祀った神社があるんですね〜!
↑さすが熊本城主、お詳しいですな(笑)
ほ〜この辺りが震災の跡地なのですね。昭和33年とは貴重な画像です!

2009/4/21(火) 午前 0:27 puni 返信する

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スルメン様。

歌舞伎座も建て替える計画あるのですかぁ・・ってあれ!?
ヽ(´o`; オイオイ東京人伊織〜知らないみたいです(T_T)
ま、でも日本橋地区はそう簡単に建替えることはないとは思いますがね。
清正公の位碑は東京で他にも何カ所かあるみたいですね。
熊本にも加藤神社があるのですね☆

2009/4/21(火) 午前 0:45 [ 伊織 ] 返信する

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puni様。

よ!熊本城主様〜(笑)
東京中心部はほぼ、震災と大空襲でむちゃくちゃだったのですね^^;
なので、そのまま残っているのは、なかなか無いみたいですね〜☆

2009/4/21(火) 午前 0:50 [ 伊織 ] 返信する

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初めまして。浜町の歴史を調べる必要に迫られ、このサイトにたどり着きました。とても詳しく調べておられて、感謝です。

2012/4/28(土) 午後 8:20 [ qbc*n43* ] 返信する

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