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春翔くん、頑固眼鏡ですよ!
頑固眼鏡。赤マル眼鏡。占い師曰くラッキーカラーは、薄いピンク。Heavy smorker (‐.‐)y-~~
お久しぶりです。春翔です。
しばらくご無沙汰していました。
フェードアウトしちゃったから。

ヤフブロが終わるということでちょー衝撃笑
しんさんのブログ見に行ったら、最終更新してたから、俺もやるしかねえべと思って書いてます。

実はこのブログの前にriderというブログをやっていて、そのブログではHey!Say!JUMPの話とか書道の話とか、してましたねー。高校生の頃でした。

高校生の頃の僕は、今から思えば視野が狭い田舎の少年だったなと思います。あれから何年も経って色んなことが走り抜けるようにありました。

高校卒業→金沢のコメダでバイト→上京→埼玉のコメダで副店長→うつ期→書道学校行きながら原宿でパンケーキのバイト→そして金沢に帰ってきた

そして、今はIT関連のエンジニア!!
かっこよく言いましたけど…コピー機のサービスマンです笑

書道も相変わらず続けています。まだまだ走り抜けるぜーーー😜✌✌笑笑 そして相変わらずチャラいって言われてるっす。

実は今年ずっと付き合ってた優子と結婚することになりました。もう25歳になるっす。このブログから始まって8年、人生の墓場に行くことになりましたっ🤜墓石でも買ってやっか、なんて苦笑



それは冗談だけど、本当にみなさんありがとうございます。みんなのおかげです。😊



さて、令和も始まりますね。その令和の由来は

『初春の令月にして、風氣淑(きよ)く和(やわ)らぎ
梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす』

(意味)初春のよき月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女がよそおう、おしろいのように開き、蘭は身に飾った香水のように薫っている。


という萬葉集の序文ですけども、大伴家持のお父上であらせられる、大伴旅人が当時まだ珍しかった中国の梅を見ながら和やかな雰囲気で宴会をしたという。そういう意味らしい!

みんなどういう思いでブログをされていたのかは分からないけれども、旅人が開いた宴会のようにヤフブロで色んな人とこうやって和やかな雰囲気で関われたことが嬉しい。全てが良き思い出です。ありがとうございました。


…あーおわっちゃうね。


寂しい。


でもまた会えるよね!


元気でね!!🤗
日頃よりお世話になりまして、ありがとうございます。

さて、歌とともにシリーズの閲覧についてお知らせがございます。金沢編、東京編とここまでご覧いただきましたが、ここからが歌とともにシリーズの本線に入ってまいります。埼玉編です。

埼玉編に関しましては、つらく書き上げるものになってしまうかもしれません。
一応そういった予定になっております。僕なりの偏った見方を書く場合も出てまいります。閲覧数の少ないブログとはいえ他方にご迷惑をおかけするシーンもございます。誰が見ているか、わからないブログという媒体です。

どこからかほつれて、内容が漏れ伝わることを恐れております。

諸般の事情をかんがみまして、ファン限定記事とさせていただきます。

ファン管理のページを見ておりましたところ、普段からこの記事をご覧いただいている方、ありがたくも仲良くさせていただいているでファン登録(お気に入り登録)をされていらっしゃらない方も、いらっしゃいます。特に個別に、こちらからおよび立てするようなことは致しません。

ぜひ、お付き合いいただきたいと思っております。
そういった場合は、ファン登録、お気に入り登録をよろしくお願い申し上げます。

また、ファン登録していただいた方で「歌とともにー」をご覧いただくのにふさわしくない、と私が判断いたしました場合には、恐れ入りますが閲覧をお断り(ファン登録を拒否)させていただく場合もございます。あらかじめご了承くださいませ。(普段から訪問者履歴、コメントを残していただいたりしている場合は確実に拒否は致しません。)


ひきつづき、お楽しみくださいますよう、よろしくお願いいたします。


春翔
毎度、歌とともに・・・ご覧いただいてありがとうございます。現状金沢編と東京編が終了し、これからは深い闇に迫っていくことになる埼玉編へと突入していくこととなります。どうぞ是非お付き合いください。

さて、ここら辺で少し立ち止まって、わかりにくくなってきたかもしれませんので、時系列を整理させていただきたいと存じます。こちらも合わせてご覧いただけると、より分かりやすいかもしれません。


下記の見方・・・

○月 (出来事)
対象記事番号

という風に書いておりますのでご参照くださいませ。


<2013年>
3月 喫茶チェーン店入店
金沢編01

6月 誉のドコ行く?インタビュー
金沢編04

9月初めごろ 枚方・高知旅行
金沢編02・03

9月中旬 東洋大学入学決定
金沢編05・06付近

10月~12月 東京金沢スクーリング往復
金沢編07

<2014年>
1月 上京にあたっての部屋探し
 

2月 引っ越し作業

3月 完全上京、喫茶店退店、とんかつ屋入店
金沢編08、東京編01・02付近

7・8月 夏季スクーリング
東京編03・04付近

9月末 とんかつ屋退店
東京編05付近

10月 埼玉にて某喫茶チェーン店入店

<2015年>
3月 副店長として新店研修がスタート


ネタバレにもなってしまいますので、ここらへんにしておきたいと思います。
時系列の整理記事、更新した場合はこちらに追記させていただきます。その都度、歌とともにシリーズ記事の中でお知らせしていきますので、ぜひ合わせてご覧くださいね。

つづきますので、よろしくおねがいします!!
ふたつ思い出したことがあったので、書いておきたい。

それはバイトでも学校でもなく、プライベートなことなのであるが、東京に出た年の夏の初めごろ、彼女のおばあさんの病気が発覚した。もともと病気だったが、再発した形になり、お見舞いに行って差し上げようと、関西へ急に出向くこととなった。

せっかく関西に出向くのなら、と枚方にいる友達にも声をかけて会うことにした。お見舞いをして、大阪の京橋あたりで3人で落ち合って飲みでもしながら、カラオケでも・・・と考えた。

京阪京橋で待ち合わせをし、食事にカラオケ。それはそれは楽しい時間を過ごした。
意外だったのは、友達が彼女のことをかわいいといったことです。苦笑

さておき、もともと遊び予定ではないので、関西の彼女の実家へ直行、おばあさんと会う。久しぶりの再会で病気で元気がないものだと思っていたら、それはそれは、うるさいものだったよ(笑)
「清いおつきあいを!!!!」最後別れ際に、おばあさんに念押しされた。

不思議なことがある。それはおばあさんも、彼女も、みんな不思議がっていることがあるのだけど、彼女の実家には白いふわふわの犬がいる。外で飼っているのだが、僕には吠えないのだ。

普段は知らない人が来たり、彼女の友達でも吠えるらしいのだが、なぜか僕には吠えたり威嚇したりしたことが一度もない。それを毎度不思議がっていた。多分犬もわかっているのかもしれない。なんとなくお似合いですよと言ってくれているようなそんな気分だ。

おばあちゃんがそういうところを見て、やはりこの子はこの男の人と合ってるんかもしれんな、と少し安心して、なごんでくれると幸いだと思った。

もうひとつは、親父との融解であった。
それは、過去の記事を参照したいと思います。改めて書くよりも当時の新鮮な感想が書いてあった。

当ブログ「親父との融解」より

〜番外編・おわり〜


♪このころのBGM(2014年初夏頃)♪
やっぱ好きやねん/やしきたかじん
・・・大阪環状線全駅発車メロディー化にともなって、数駅にて、独自の発車メロディーが先行発表される中、大阪駅が先陣を切って、当曲を使用。このころ、この発車メロディーばかり聞きすぎて、原曲が1日中頭の中をループしてました。笑
東京編最後では、この出会いにも言及しておきたい。

とんかつ屋で働いている頃、キッチンにいるおばちゃんで夕方から勤務の時必ずと言っていいほど出会う人がいた。その人は、もとは韓国の人だったんだけど、帰化して日本の方になった方のようだった。なのでちょっと片言だった。でもこのおばちゃんが本当に優しかった。

いつも僕と出会うと「お盆金沢には帰らなかったの?」「お母さん心配してるだろうね、会いたいよね」「私も韓国から出てきたときは、さみしくて毎日国際電話してたわよ」と、共感してくれたのである。

あるとき僕がデシャップ(キッチンの前にあるカウンターに立って、ホールの人に「料理ができた」などと指示をしたり、お皿のセットをする係)をしていた時、僕は輪の中に入らなかったけど、キッチンの人たちは、軽い雑談をしていた。

その時にキッチンにいつものおばちゃんと、大学生のバイト、他にもう一人大学生のボンボンみたいなやつがいて、そいつはちょっとイケイケな感じのやんちゃ盛りのやつだった。なんか苦手でしゃべったことがなかった。そいつが、よく旅行に行くという話をしていて、今度イギリスに行くという話になったのである。

僕からしてみると、僻み根性でそんなことしたくたってできないし、金沢帰りたくても帰れない・・・なんだこいつと思っていた。今振り返ってみると僕だって、そういうことがしたかったのにできなかったから、うらやましいなという気持ちをひねくれた気持ちで受け取っていただけなんだと思う。

そんなことをふっと考えていると、いつものおばちゃんが「本当にまた、○○君(イケイケの大学生のこと)イギリス旅行行っちゃうんだって、行きすぎだよ」と僕に言った。僕は適当に「いいですよね」と返しておいたが、しばらく経ってからおばちゃんも何か気づいたのかな。「大丈夫、大丈夫いつかよくなるから、絶対」と声をかけてくれた。

あのころ、鬱になるほどではないけどバイトをするたびにうまくいかなくて、面白くなかったんだけど、あのおばちゃんがいてくれたおかげで、バイトに行くことが少しでも気が楽になっていた気がする。

最後、とんかつ屋をやめる時、店長はほぼ僕と重要な業務連絡以外しゃべらなかったけど、みんなとあいさつを交わした。夜いる韓国出身のおばちゃんも、体に気を付けてと最後まで気を使ってくださって、短い付き合いだったけど本当に出会えてよかったと思う。

他にも、トップ2のおばちゃんが、家が近所なのでまた飲みに行ける時、飲みに行こうと約束をしてくれた。その後、僕が副店長をやめる時になるまで交流は途絶えてしまうのだが、この間、本当にラーメンを一緒に食べに行った。

とんかつ屋、僕の3年間の中では振り返るといい勉強になったというか、学んだことも少しはあって、今後続く埼玉編のいいステップになってくれたし、なにより今の生活の中にアクセントになっている。


〜つづく〜

★★★東京編終了!・埼玉編へと続きます!★★★


♪あのころのBGM(2014年春〜夏に通して)♪
Passenger(東武池袋1・2番ホーム)、City‐メモリア-(東武池袋3・4番ホーム)/東武鉄道発車メロディー
・・・毎日この発車メロディーを出勤のたびに聞いていた。僕は朝霞で帰るのに準急に乗るため主に前者のほうをよく聞いていたし、これも好きなのであるが、後者のほうは、これがまた感動的な旋律で、ゆっくり座って帰りたいときは各駅停車に乗るので、この音楽をよく聞いていた。終電の時に流れる、無限ループはこれまた発車メロディーオタクとしてはオツなものだった。
前記述の、願っていたことが起きたというのは、新しいバイト先が見つかったことである。とんかつ屋は働けば働くほど、合わなくてつなぎ程度にしか考えておらず、できることならば本当に早くやめたかった。

そのころより少し前、埼玉の某所に来春大型商業施設ができ、その中に金沢にいたころ通っていた喫茶チェーン店が出来るのではないかという噂があった。しかし、噂はあくまでも噂だったので、時期もまだ尚早だったのだろう、求人は出ていなかった。

チェーン店求人探しは難航していた。本当に何度タウンワーク、an、リクナビ・・・見ていたことだろうか。喫茶店あきらめて、他の業種で学生も両立させてくれて生活が成り立つような仕事がないだろうか・・・と、事務や飲食で無いのか、ハローワークに通った時期もあったが結局お探しの仕事はみつかりませんでした、の状態は続いた。

夏も終わりに近づいたころ、金沢に帰ろうかとも考えていた。
鳴り物入りで金沢から東京に出てきたものの、学校に行く回数もそんなにないし、友達もいない。バイトもうまくいかず、新しい就職先も見つからない。何か現状打破できるものはないのかと思いつつも、少し弱気になっていて、もうあきらめて帰ろうかな・・・と思っていた矢先の出来事であった。

奇跡が起きたのである。

なんと、金沢にいたころ働いた喫茶チェーン店、東上線沿線で求人が見つかったのである!!これには驚いて、見つけた瞬間メモを取れる体制を作り、すぐに電話した。すぐ面接しましょうとなり、翌日くらいには面接をした。それがのちのち大変な目に合わされることとなる、オーナー(おばちゃんです)だ。

面接は快調に進み、即座に採用となったのである。本部の人の話や、チェーン内部の話にまでおよび、面接にしてはロングランの最長1時間に至った。いくらくらいほしいの?と聞かれ、15くらいはほしいですかね・・・と言っておいた。

最初はバイトのつもりで入った。最初はバイトのつもりで入った。最初はバイトのつもりで入った・・・ここが今後キーワードになっていく言葉なのである。
よく覚えておくように。


〜つづく〜


♪このころのBGM(2014年夏終わりごろ)♪
ドラマ「HERO」のオープニングテーマ
・・・このころ、自炊の度合いが今よりも全然すごくて家でお好み焼きとかも一からつくって、弁当に入れたりしていた。月9をみながら、なんとなくお好み焼きを作っていたようなイメージがあるので。
今日はエイプリルフールですが、全部本当のお話です。(笑)

夏がやってくる頃、うれしいお知らせが舞い込んできた。
そう、本当にうれしかったのは、金田一少年の事件簿に涼介が出演すると決まった時である。あの頃、日テレをつけるといつもウィークエンダーとともに流れる番宣の涼介がカッコよくて、本当に毎日金田一のCMを見るのが楽しみだった。

水木金じゃまだ早い。この歌が何の歌なのかさっぱりわからなかったけど、JUMPにしては珍しくはまる歌だなと思って聞いていた覚えがある。

そのくらいのころであろうか、夏も暑くてたまらないころ、一般の大学生は夏休みとなり、東洋大学通信課程は、夏のスクーリング時期が始まったのである。1科目朝から夕方まで、3日連続で修了という講義を受けるのはしんどかった。(そのあと単位認定レポート試験をクリアしないと単位が認定されず、レポートも書きまくった。)

7月の終わりから8月の最初のほうと最後のほう、ずっと白山キャンパスで講義が終了してから池袋のとんかつ屋へ向かう。教職もとっていたため、体育の単位もとらねばならず、東洋大学の体育館のある板橋のほうにも向かったが、あれは本当に東上線ユーザーとしては不便な場所であった。

毎日暑い中、朝7時に家を出て、夜中帰る。頭がおかしくなりそうで気が滅入っていたが、東洋大学で出会った人たちがスクーリングの合間に飲みに誘ってくれたりしていたのであれは本当に助かった。途中息抜きしないと、楽しいことがないと続かなかったと思う。

そんななか、今も忘れられない事件が起きる。大寝坊事件である。

朝、その日は日本語概説のスクーリング2日目ということもあり、かなりスクーリングとしては重要な日であった。前日も特に飲んでいたわけではないが、朝から晩までバイトをしてかなり体が疲れ切っていた。

2日目、朝7時に起きて学校へ向かわなければならなかったのだが、起きたのはなんと、11時半!!!周りの人たちも心配してくれて、「大丈夫?!」「起きてる?!」「先生心配してるよ」と一斉にラインが来て、かなり焦った。

一人、学友の頼れるおじさんがいて、そのおじさんが先生に掛け合ってくださったらしく、午後の講義を受けてレポート課題を提出してもらえれば、特別措置で何とか考えましょうということだったので、とにかくおいでと言われて、急いで学校へ向かった。

昼、学校へついて先生にもかなり謝ると「しょうがないよね、頑張ってください」と言って、分厚い資料を渡してくださって、レポートを翌日のスクーリング最終日までに提出するように言われた。

これは掛け合ってくださった人もいるのだから、やらないわけにはいかないと、その日はバイトが休みだったのですぐに家に帰って、レポートに取り掛かった。そのほかにもみんな統一の「役割語について考える」宿題が出てそれもやったので、結局徹夜して朝を迎えた。レポートは原稿用紙400字詰めに12枚ほど書いたと思う。

朝学校について先生に、再度謝罪をしてレポートを提出したときには「一晩でよくこんなに書けましたね!」と爆笑された。無事、後日スクーリングを終了したのである。

そんなこんなで、スクーリングの日々が終わり、1年目、東京での夏が終わったのである。そのころ、願っていたことが起きるのである。


〜つづく〜

♪このころのBGM(2014年夏ごろ)♪
ウィークエンダー/Hey! Say! JUMP
肝心の学校は、講義もなく行く機会がなかなかなかった。レポートを書いてみるもののなかなかいいものが書けず思い悩んでいた。

言い訳になってしまうのであるが、東京に来てから約半年くらいは本当に家計が火の車だった。ただでさえ、食べていくのにもやっとだというのに、借金の返済は残っているし…毎月毎月ぎりぎりで、生活していた。とてもじゃないが、働かなければと必死だった。

とんかつ屋、働き始めた僕であったが、一緒にお食事に行こうが何しようが、溝は深くて、なかなかやはり関東人の難しさを感じていた。一番嫌で困ったことは、方言である。方言コンプレックスという言葉を聞いたことがあるだろうか。まさしくそれ、といった感じであった。

こちらの被害者意識みたいなもあるのかもしれないけれど、嫌な顔されるのである。
何とも言えない、不快な顔をされてしまう。

加えて、ちょっと違った視点で、僕は金沢弁をしゃべるので、金沢弁という言語は関西弁に非常によく似ていて、つい金沢弁が会話の節々に出てしまうと(というよりかは当時はもろ出し)、「お前関西人じゃねーのに、関西弁なんか使うんじゃねーよ」と言われたこともあった。関西人じゃないけど・・・金沢弁なんや・・・と思いながら、そんなことスルーしてくれやと、思いながら仕事していた。

郷に入れば郷に従え、なのかとなるべく矯正するように頑張った。それは今も実は続いていて、割と最近はきれいになってきているようだ。

どうでもいいように聞こえるかもしれないけれど、関東に引っ越してきた田舎者からしてみると意外と大事で、言葉は本当に人の印象を変えるし、対人関係においても重要なんだということをとんかつ屋で、東京に出てきて学んだ気がする。

でも、東京の人だって、独特の表現されますよ。(笑)
片づけることを「片す」とか、電車に乗っかるとか。東京出てきて、わからない言葉結構ありましたからね。

全部が日本の中心になっている。それを関東の人は正しいと思っている。地方を下に見ている傾向があるので、そこらへんはいけすかねえなと思うのであるが、そこを乗り越えてこそ、普通にここで安住できるのであろうと、当時は思っていた。


〜つづく〜


♪このころのBGM(2014年春ごろ)♪
エーデルワイス/サウンド・オブ・ミュージック挿入歌
・・・このオルゴールが毎日デパートの始業時間、朝になると必ず流れていてすごく印象的だ。

歌とともにシリーズ、長文であるにもかかわらずご覧頂きましてありがとうございます。今日から東京編をご覧頂きます。時間関係を説明しますと、東京編は上京した後になります。2014年3月末からのスタートとなります。



上京してまず最初に行ったバイト先は、Sデパートのレストラン街にある個人のとんかつ屋であった。

まず初日、パートの怖いおばさんに挨拶の仕方から教わったのである。とんかつ屋は基本的にどこもそうなのかもしれないが、僕とはまるで違う体育会系の職場ということである。飲食関係は基本的に体育会系が多いと思うが、居酒屋などは特にそうだと思う。

「おはようございます、今日も1日よろしくお願いします!!」

「今日も1日ありがとうございました、お先に失礼します!!」

これを言って、出退勤をしろというのである。カフェでゆるい店でしか働いたことがないし、こんな挨拶聞いたことねえと思いながら、毎日この挨拶をしていた。しかしこの挨拶が、今後埼玉編で登場してくる僕が副店長になる、お店の公式挨拶となることは言うまでもない。高校生から、主婦のパートの方までこの挨拶をするように指導することになるのだ。

そんな話はさておいて、とんかつ屋は最初から最後までなんとなく人が合わなかった。東京の人の冷たさというか、関東人気質が今となっては慣れたけど、当時は難しいな・・・と感じていた。

挨拶を教えてくれた怖いパートのおばさんが、僕は一番苦手であちらもなんとなく僕を苦手としているようだった。このおばさんは普通に喋っていても冷たい感じのする人で、僕の中のドストライク関東人って感じの人。それで仕事の早い人で結構なんでも自分でやってしまう人だった。配膳も早いし、下げ(テーブルの片づけ)とかも豪速球で片付ける人で、隙いる余地もない感じだった。完璧すぎるが故に、逆にこっちは何をして良いのかわからず、僕のいる意味さえ考えてしまうほどで、この人と一緒の時は困るくらい怖かった。

ある時、店長と店で2番目にえらいおばさん(契約社員みたいな人。以下トップ2と呼ぶ。この人実は僕の家の近所ということがわかり、後々今に至るまで飲みに行くなどお付き合いしていくことになる)と、もう1人若奥さんって感じの優しい主婦さんが、食事に一緒にみんなで行こうと誘ってくださった。

店長とかトップ2も、割と僕から見ると当たり前に話なんだけど、関東人気質でどこか突つきにくい印象があったのだが、食事の席では話を聞いてくれた。地元から遠いところから出てきて大変だろうけど頑張れとか、あの怖いおばさんは、本当は良い人なんだけど仕事してるとスイッチ入っちゃって強くなるだけなんだと、こういう風に励ましてくれたことが意外でなんとなく気が楽になったのである。

あの出来事は意外と心がスッとした。


〜つづく〜


♪あの頃のBGM(2014年春ごろ)♪
ジャクソン5/I want you back
・・・東京へ出てきたばかりの頃、夕方バイトが終わって家に帰ると必ずと言って良いほど、5時に夢中というテレビ番組を見ていた。金沢ではやってなかったので、物珍しいのとやっぱ面白いので、癒しになってました(笑)
かくして、埼玉への引っ越しを終え、一度金沢に戻ってきた僕であった。
金沢を離れるとあり、しばらく会えなくなる友人たちとしばし別れの宴を楽しんだ。

お店のみんなも食事に誘ってくれて、みんな「がんばっていってこい」とか、「選手はみんなから可愛がられるし、東京行っても誰かきっと可愛がってくれるわい、大丈夫や」と言ってくれた。最後の出勤日、「また顔出しなさいや」と言われてみんなと別れた。


そして親父は実はこの少し前の時期、旅行でタイに行ってしまった。

お金がないからと僕の約束を破ったにもかかわらず、自分はタイに行く。この所業がどうしても許せなかった。帰ってきてから、

「東京行くから」

一言だけ言った。「いつまで行くんや」と問われたので、「もう帰ってこない」と返事した。「自分だけタイに行って、約束も破って、もうこの家にはおられんから。さよなら。」こう吐き捨てるように言って、外に出た。親父は黙ったまんまだった。

この次の日、事件が起きた。ちょうど金曜日ということで、母が休日、僕は出勤という日だったのである。家にいた母と親父が僕がいきなり東京に行くと言ってしまったことでけんかになってしまったらしく、もともと暴力的な親父なので、テレビを壊してしまったのだという。

しかし、母は僕に何も言ってこなかった。僕の携帯に出勤時間中、母の友達から電話が何度もかかってきていた。何事かと思い、かけなおすと
「あんた、東京行くのやめれんのか!!」
と言われた。そんなことを言われても、行くことは決まっているので、ものすごく謝って、無理だと断った。

帰ってきてから、母に話を聞くと、何も言わずに
「別にいい。行って来い。心配すんな。」
これだけ言って、あとは何も言わなかった。母の本気を感じた。

今から考えると、こんなことがあったのだから、東京での生活を成功させなければ・・・罰が当たるだろうなと思う。

そして、車の話。せっかく車を購入したのであるが、車は埼玉のほうへ持っていくことができず、石川県の祖父の家に預けることとなった。のちのちこの車は、調子が悪くなり、売ってしまうことになるのであるが・・・

車を預けに金沢から離れた能登の祖父の家に向かう途中、海沿いの道を走っていた。あの日は横風が強く、車ごと飛ばされるようなそんな悪天候であった。天気が大荒れする北陸の本気を最後に感じた。

そんなこんなで、祖父母の家につき最後の時を過ごす。
祖父はこんなことを言った。
「誠実には誠実で返しなさい。」
祖父は、都会に出るにあたってこんな言葉をよこした。

一番最後、金沢を旅立つ日、枚方の親友と母がバス乗り場まで来てくれた。
こうして、皆に見送られて、上京していったのであった。


〜つづく〜

★★★金沢編終了・東京編へつづきます!!★★★


♪このころのBGM(2014年3月ごろ)♪
恋するフォーチュンクッキー/AKB48
・・・昔はAKBのこと、本当に敵視していたというか嫌いだったのですが、もうこのころになるとどうでもよくなっていました。笑
お店のバイトリーダーが当時、この歌が好きでよく歌っていたので、耳に残るなと思って、この曲を選びました。歌詞もそれっぽくて「未来はそんな悪くないよ」って、埼玉に飛び立つ僕にとってはうれしかったなー。

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春翔
春翔
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