九州・日本味覚王国日記

タイトル変えました。九州と日本の行った先の旨い!を綴ります。

正しい就活のススメ

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就職活動仲間。

 昨日夜、残業していたら携帯電話が鳴った。
 何かな?と思って取ってみると、
 「しん○○さん、今、どこにいますか」
 というSさんの声。Sさんというのは、今まで述べてきている大学での講座のあとに、補講のようにしてやった就活のためのグループ活動の一員だった子だ。同じくメンバーだったMさんと東京で呑んでいるところだという。よく連絡を取っていたMさんにはボクが転勤したことを伝えていたが、そのころの子たち全員に伝えることはできなかった。今夏の暑中見舞いで挨拶がてら伝えようとしていたところだった。

 「いま、長崎で残業中」と答えると、うわーとか電話口で言っている。何事かと思っていると、現在は東京で働いているSさんが8月の中旬から長崎に転勤になったという。それを呑みながらMさんに話して、ボクの話が出て、盛り上がった勢いで電話してきたのだった。

 SさんもMさんも最初はマスコミ志望だった。だが決まったのはそれぞれ別の分野の会社。それで二人とも不本意な就職活動だったかというと、そうではない。二人とも一生懸命に日記を書き、作文を書き、グループ内で各種の討議をし、その中で自分の進むべき道をココロの底のレベルから考え抜き、選んだのだった。そしてそれぞれの分野では難関だった会社に二人とも内定獲得。その間のボクの役割は、いいものを持っているそれぞれの若者の、ともすれば安易に妥協したくなる気持ちを否定し、叱咤し、激励し、たまに誉めてあげることだった。それをきちんと毎週ごとにやる。参加する学生諸君だってバイトやらゼミやらで忙しい。ボクだってしごととか家庭のこととかで忙しい。でもよほど物理的に無理なことでない限り、みんな毎週集まって、とにかくそれぞれが置かれた状況を前に転がすように自分を磨く。考えて発言して否定されたり誉められたり。決して楽な時間ではなかったけれど、みんなよく頑張った。

 その結果が、SさんもMさんも満足感を持っている就職活動期間の経験であり、現在の境遇なんだと思う。
 そして、彼女たちは今の状況に満足はしないだろう。なぜならば就職活動中に「常に自分の現状に満足しない、状況をもっと良くする努力をする」ということの大事さに気づいてしまったからだ。
 就職活動をきちんと一生懸命やるということは、実は働く気持ちを育てる第一歩でもあると思う。

 昨晩は電話をもらって、二人の元気な前向きな声を聞いてからそういうことを考えた。
 8月からは長崎で呑む機会が少し増えそうだ。

就活と作文。

 その大学の講座では3人の講師で30コマを受け持つ。ゼミ形式の時間取りで1回あたり2コマぶっ続けだから、合計15回程度。そのうちボクが4日間、8コマくらいを担当した。

 ほかの講師の先生はジャーナリズム、事実を読み解く手法、放送などマスコミ概論、人事側から見た採用動向、そして社会人へ向かうヒトのための啓発などを講義されたようだ。
 ボクの出番では、学生を就活に向かわせるための実務的鍛錬をやらせてもらった。その3人の講師の中では一番若くて学生に近いということもあったのだろうね。

 ボクのコマでやったことの基本は「作文」である。
 作文といえば小学生の頃に書かされたという記憶を持つ人が多いだろう。ボクも学生時代、最初に書けといわれたときにそう思った。だがこれが意外なことに就活へ向けたすごい自己鍛錬になる。
 まず、ボクのコマに出る際に、学生のみんなは宿題作文を持ってこなくてはならない。それを提出してもらった後、いくつかの座学テーマでお話をする。テーマとは、「コミュニケーションとは」「コンセプトという言葉」「アイデンティティという言葉」「ボクがやったしごと」「就活に臨むキミたちをマーケティングする」「ボクの時代の読み取り方」「ボクがやった就職活動について」…その他いくつか。いずれも1コマ分くらいを費やす話になる。10分くらいの中休憩のあと、次は即興作文の時間。即興とはいえ、実際に作文が出題される就職試験の場合は同じようにぶっつけで書かされる。そこで実力が試されるわけだ。

 ヤフーの知恵袋で「就職試験で作文が出されるんですけどどうしたらいいでしょう」という質問があるのを先日見かけた。答えとして最良とされたものは「飾らなくていいので普段の自分を素直に出したらいい」というものだった。それは全く正しいのだが、普段の自分というのをコトバの形で自覚している子は少ない。さらにそれを「素直なコトバ」で表現できるほど整理できている子はもっと少ない。
 たとえば大都市圏では就職予備校が相当な作文の練習をやらせている。地方の子たちはそういう機会が少ない。よって技量の点で遅れをとっている。人間性や人間力の面ではそれほど差がないとしてもだ。ある意味地域間格差だといえる。
 そういえば昨年だったか、就活のエリート養成的私塾へ別用で行ったとき、東京にあるその私塾へ九州から毎週通っている学生がいると聞いてびっくりした。そこに通うには半年間で30万円以上の学費がいる。だが交通費および宿泊費を考えると、半年通えば150万円を超える費用となる。そうなればこれは経済格差的様相も見えてくる。

 さて話を講義に戻そう。1コマ目でいくつかの話をしたあと、2コマ目では作文の時間となる。
 この時間は基本作文と、あとはゲームのような作文とに分けて行った。
 基本作文は800字。書き方は400字詰め縦書き原稿用紙。サイズはB4.これは起承転結や序破急など、ストーリー化できる最低の文字数であること。実際の出題原稿用紙に近い大きさであることなどからである。
 800字の作文がきちんと書けるようになると、1200字や1500字のものも書けるようになる。なぜなら、作文は引き算だからだ。800字の作文を書くには2000字くらいの下文章を構想し、引き算で800字まで落とす。その分だけ文章に含みが出てきて、読み手のイメージが膨らむものとなる。2000字の構想ができれば、1500字、1200字には対応できる。
 その800字を50分で書かせる。できばえはハチャメチャ。しかし一応の形にしてみようと各人努力をする。その努力をしてみる体験が、大事だ。

 基本作文のお題はきわめて抽象的なもの。
「米」「水」「明日」「世界」「交差点」「空」…。
 米なんて殆どの日本人が毎日食べている。水もよく飲んでいる。明日はたいていの場合みんなにやってくる。世界はニュースやインターネットやいろんなもので日々実感しているはずだ。交差点も毎日いくつも通っている。空だって見上げればそこにある。
 各人に最も馴染んでいるはずのお題。けれどこれが書けない。

 これには種明かしがある。つまり自分のこれまでの人生の中で、最も心に残った「米」「水」…の情景と、その情景を心に残したところの経験を描写し、その描写の中で自分像を説明する。それがこの作文の出題意図である。

 抽象的なお題。
 きちんとした会社で作文の出題がある場合に意外に多い手法である。人間性を量るばかりか、国語力や読み手に分かってもらうためのサービス精神まで測れてしまう恐ろしい手法」だ。学生のみんなはそういう意図に応えてきちんと作文を書くことができるだろうか。
 それができるためには、実はオリエンテーションの最初に言った「日記を書く」「手で書く」ということが密接に結びついてくるのだ。。

 作文の時間になると、教室内にカリカリという鉛筆の音しかしなくなる。そうそう、集中することが大切だ。その音を聞きながらボクは皆が持ってきた作文の添削に集中するのである。

 前項では自己PRのため、自分を説明するコトバを獲得するために日記を書こうと書いた。その日記には書き方がある。

 書き方として大事なことは、ペンでノートに書くということだ。パソコンやワープロでは書かない。このようなブログにもしない。

 国語のテストのときとか、もう少しで思い出せそうな漢字を思い出すために、必死で手で宙に書いてみたりしなかったか。右手で左手に書いてみたり、腿あたりに書いてみたり。
 人間は、特に日本人は表意文字をここ数千年使ってきていることもあって、イメージを表意的カタチのイメージで脳裏に刻む習性がある。表音文字を使用する他国の人でさえ、記憶は単語の文字の連なりのカタチのイメージで覚えることも近年証明されている。
 つまり、書いたことを脳裏に刻むためには、自ら手を動かして文字として脳裏に刻むのが一番有効であるということだ。残念ながら日本のキーボード文化はまだそこまで練れても定着してもいない。つまりキーボードで入力したことは、自分で文字を刻む場合に比べて脳裏に残りにくいのだ。

 面接のとっさの場合に、エピソードをアタマの引き出しから出すためには面倒でも日記を自分の手で書いて行かなくてはならない。そのときに書いた文字が、後々生きてくるのだ。

 また、ブログにはブログ文体のようなものがある場合がある。その文体で書いてしまうと、何か書いたような気になる。またブログ仲間では通じる定型化されたコンテンツができてしまう場合がある。就活は他の人と違う自分を説明し、年齢層も生い立ちも違う方々に納得してもらう必要がある。それにはブログ文体は全く合わないのだ。

 一日にわずか三行でもいい。きちんと自分の手で自分のコトバで自分の喜んだこと、幸せだったことをノートに記す。これを毎日やることがまさに自分探しのすべてである。

 オリエンテーションの日から学生の皆に始めるようにいう重大なコトがある。だが見たところ、大抵の子たちはやらんな。でもそれをやった人間はきちんと結果を出して行く。やらなかった人間は向上しない。如実に差ができてくる。

 面接のときに必ず面接者が求める内容のひとつが「自己PR」。ボクも面接をするときに一生懸命学生のいうことを汲み取ろうとするのだけど、なかなか難しい。それというのも皆が同じような自己紹介をするからだ。
 「リーダーシップがあります」
 多くは続けて「正式な部ではないのですが、体育会のように厳しい○×サークルで副幹事長をして皆を引っ張っていました」という説明があったりする。
 「協調性があります」
 「誰とでもすぐに仲良くなります」
 「頑張り抜く根気強さがあります」
 「柔軟性があります」
 …最後の二つは本来なら並び立たないはずだが、たまに続けて説明されたりするからこちらは面食らう。
 これは学生さんが自分をよく見せようと思って、そういう抽象的なコトバで自分を語ろうとするから起こる現象だ。
 面接官は少なくとも大人だ。大人は完璧にいい人間などほとんどいないことを知っている。だからこのようにいいことづくめの抽象的な説明をされても信じられない。
 それよりも、目の前の学生がどんなときに喜び、どんなときに泣き、どんなときに力を発揮する若者かを知りたい。
 その説明は抽象的なコトバでは無理だ。具体的な体験と、そのときの自分の気持ちを語るコトバでないと、うまく説明できない。それを聞き手にも分かるようなスキルでもって話してくれればいい。

 だがいきなりそれをうまくやるのは無理だ。まずは今までのどのような経験が語るに足るものかが分からないだろう。それよりも今の自分自身が何者なのか分からないのかも知れない。

 そこで皆に勧めるのが「日記を書く」こと。
 講座のオリエンテーションで「日記を書こう」というと、大学生の皆は「ええー?」という反応をする。そんなもの、小学生がやることだと思っているのかな。

 ここでやる日記は何でも書けばいいのではない。就職のための日記だ。自分を捜し出すためのものだ。だからボクは一つのテーマで書くことを勧めている。例えば「今日幸せだったこと」「今日見た一番美しいもの」など。ポジティブなものがいいだろう。
 これを毎日3ヶ月も続けて行くと、自分が何を見たときに、何を経験したときに感動する人間であるか分かってくる。そうすれば、過去を掘り起こすときだ。その感動を幼稚園の頃、小学生の頃、中学生の頃、高校や大学生の生活の中で、同じように味わったことがなかったか。

 ここまでくれば、あとはその具体的体験とそのときの自分の心象を、相手にあますことなく共感性をもって伝えるスキルを身につければ、立派な自己紹介や自己PRの完成だ。

 これは8割のフツーの学生さんがやるときちんと成果が出る手法だと思う。中には天才的な1割の人もいて、その方々は日記なんか書かなくても自然と自己PRができたりする。あるいは相当まずい1割の人もいて、その方々の場合は別のカウンセリングが必要だったりする。つまりはフツーの方々がステップアップするための積み重ねの手法なんだが、あまりにも手段そのものがフツーのように思えるせいだろうか、小馬鹿にしてやらない学生が多い。一日ごとの差はほとんどない。けれど3ヶ月後に、気がつけばものすごい差ができてしまっている。そういうことなんだけどなあ。

 大学の最初のオリエンテーション。ボクを含めて3人の講師が学生と顔合わせをする。主催者の教授、学生部の就職担当の方々も一緒だ。その最初にボクから学生の方々に最初に話すこと。本ブログのずっと前に書いたことと一部重なるのだけれど、改めて書こう。

 学生の皆さんは、就活という状況に直面するのは初めてのことだと思う。今まで、学校のテスト、進学のためのテスト、そういう振り分けのための機会を何回も経てきただろう。ボクだって進学のテストだけでも、幼稚園の頃から大学まで5回、いや、大学入試は2回受けたし予備校の入学テストまで受けたから7回も受けてきた。そういうボクがいうのだけれど、この就活という局面は、いままで学生の方々が乗り越えてきた「試験による選抜」とは全く違う。

 学科や体育の試験による選抜だったら、ある一定のバーをクリアするかしないかで選別される。きわめて公平なシステムだ。選ばれれば嬉しい。選ばれなければ大変悲しい思いをするし、場合によっては友達と別れることになるから寂しい思いをする。自分の能力が足りなかったことに悲しみを覚えたり、それを棚に上げて不機嫌になったりもする。でもあとからでも自分で納得できるのは一定のバーを超えられなかったということだ。

 就活は、根本的に違う。ある程度の客観的なバーはある。だがそれを超えたからと言って必ず内定をもらえる訳じゃない。
 例えばA君は内定をもらえたとしよう。そのA君と全く同じ能力、全く同じスキル、全く同じような人間力を持ったB君がいたとする。そのB君が同じ会社を受けたとしても多分採用されない。数百名採用するような大きな会社であれば採用されるだろうが、数十名あるいは数名採用という会社だったら、あるいはB君がよほど能力もスキルも高ければ別だが、内定はもらえないかもしれない。
 なぜなら、ポスト近代型の会社であれば同じ能力・スキル・人格の社員を複数人も必要としていないからだ。企業はある程度バリエーションある人間力の持ち主を組み合わせることで、強靭な企業体を創り上げるというのが理想だ。
 つまりそこには受験のときのような公平なバーではなく、企業が欲しい人間像という、場合によっては変動する相手側基準があるだけなのだ。

 就活とは、相手に認めてもらう、そういう自分を表現する、学生の皆にとっては人生で初めて直面する状況だ。
 今まで仲良く机を並べてきた友達がいろんな企業に内定をもらう。その友達と今まで同じ土俵でおしゃべりしたり笑ったり泣いたりしてきた。決してその友達と比べて自分が能力が劣っているとは思えない。けれど自分は内定をひとつもとっていない。そういう気持ちになると、なぜか自分は友達と同じ土俵になっていないような気持ちになってくる。

 そのときに孤独がすり寄ってくる。

 その孤独に負けて、十分に就活の時期を活かしきらないうちに、会社を決めるという人生の選択をしてしまう場合が多い。これは(実は)不本意な会社に就職した本人が不幸だし、そういう若者を採用してしまった会社も大きな負担を負うことになったりして不幸なことになる。

 孤独に打ち勝つには、そのようなことで土俵を外れることのない仲間をつくることだ。
 携帯メールが来たときに、すぐ返さないと壊れてしまうような人間関係の友達を仲間と思っているのであれば、そのような仲間は就活の仲間としては向いてないと思う。苦楽をともにするのだ。それもそれぞれに孤独を味わいながら、それでも励まし合う仲間だ。
 講座に集まった学生の皆のほとんどは初めて会う間柄だと思う。この新しい相手を、厳しい局面をともに歩きながら新たな目標を目指す同期の仲間として、新しい人間関係を結んでほしい。

 まずはそこから初めようというのが、ボクが最初に話したことだった。

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