九州・日本味覚王国日記

タイトル変えました。九州と日本の行った先の旨い!を綴ります。

沖縄チョイわる旅

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那覇、なう。

しばらくこのブログお休み状態だったのですが、それというのも、ツイッターやってたらブログ書く欲求が減るという状況に陥っていたため。

 で久々の復活です。

 いま、那覇に着きました。

 昼前後に那覇に着くことが多いので、
 そういうときは百貨店リウボウの9階の美濃屋さんに行くことが多くあります。

 リウボウの9階のレストランフロア、どうしても屋外になるということもあってか店の出入りが激しいのですが、美濃屋さんはオープン時から頑張っておられます。

 ここのいいところは地元のヒトが客の殆どというところ。
 平和通りあたりの観光客が多いお店よりもよほど濃い沖縄度が味わえます。

 今日はそこでへちまの味噌煮定食を食べました。

 さて、ホテルに着いたら次の行動。

 今回はジーンズで来たので汗だくです。

 そこで短パンに着替えるのですが、足もとがスニーカーだとやはり気分が出ない。

 ということでシマサバ、いわゆるシマゾーリを買うというのが那覇での最初の仕事。

 ホテルで聞いたらファミマでも売ってるということだったのですが、ファミマの店内は見事に全国共通の雰囲気。
 それじゃツマランと思って、ちょいと足を伸ばして地元の雰囲気あふれる松山ストアでシマサバ購入です。

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 これでやっと短パンに着替えられる。

 これから那覇の夕景を楽しみに、ちょいと外出です。

 那覇は九州よりも涼しいのですがさすがに湿度は高い。一汗かくことになりそうです。

 では那覇ブラ、行ってきます。

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 昭和37年に熊本日日新聞のこども親善大使が訪れた沖縄の写真を一通り見て。
 前項の眺望の並びの後に、この海浜の写真があった。
 これも場所を特定できていない。

 岩場の雰囲気から南部の浜かなと思ったが。
 それか海洋博以降のシーサイドリゾート建設ですっかり姿を変えてしまった中部の海浜だろうか。

 もしご存知の方がおられたら、ぜひ教えてください。
 時の移り変わりと沖縄の移り変わりを体感するために、ぜひ行ってみたいのです。

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 父が昭和37年に沖縄を訪れたときのスクラップを一通り見て。
 ほぼ3年がかりで当時の熊本日日新聞の記事などを参考にして足跡を確認し、訪れることができた。日に焼けた解像度の甘い昔の写真と、現地に行って有り余るほどの陽光の下でくっきりと見る同じ場所の風景。同じ風景でも、時が流れて…というだけではない、時代の違いが風景に違いになっているということを実感した。

 さてその父のスクラップの中で、どうにも特定できない場所が2つある。そのうちのひとつがこの高台。
 米軍基地を見に行った前後にこの高台にのぼったらしい。ここに出した写真には入っていないが、沖縄のガールスカウトの方々と一緒に観光視察にまわったようである。その方々は父が代表であった熊本の使節団とともに米軍基地を見学している。彼女らは基地の見学でも一緒だった。基地は嘉手納か瑞慶覧だと思うのだが。その基地について「そこにはアイスクリーム工場があった」と記事のレポートは伝えている。また基地の中のバックナー中将の大きな肖像画の前で、米軍がいかに沖縄本島に侵攻したかというジオラマを熊本から行った父や中学生が見せられている記事や写真もある。

 この写真のころ。
 沖縄海洋博の前だから、沖縄の農村風景には草葺きの家も多かったはずだ。当然沖縄以外の日本でも農村部は同じようなもの。
 そんな現実の中で、米軍の基地内の住宅だけがアメリカンドリーム的に整然と清潔な感じで並んでいる。父と、同行した熊本の中学生はどのように思ったのだろうか。そのあたり、ご存命の方がおられたら一度お伺いしてみたいと思っているが、なかなか偶然に出会うことは無い。残念だ。

 ということで、沖縄のこの風景を眺められる高台をご存知の方。よければ教えて頂きたい。分かった暁には、ぜひ今度沖縄に行ったときに同じところに立ってみてみたいと思う。それで何が分かるということではないのだが、なにか彼我のシチュエーションの違い、47年の間に変わってしまったこと、それに変わらなかった何かは、分かるかも知れないと思うのだ。

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 沖縄は癒しのリゾートだといわれる。
 でもボクの旅をこのブログで見ていただいた方には、ボクの沖縄旅は癒しと関係のない体験の連続だということをわかっていただけたと思う。
 ボクにとって沖縄とは「友達が居る場所」であり「大事な人生の先達が居る場所」であり、その先達も「神代の時代から日本を覆う畏れ多きなにか」と「大東亜戦争の礎となることで今日のボクらの幸せに引導を渡してくれた父世代の先達」と「現実に自分にいろんなことを教えてくれた先達」がそれぞれ存在する。
 さらに沖縄は日本の最末端にあるがゆえに、そこに行くことでボクらが日々生活しているときには見えなくなっている様々な問題点が見えてくる。
 ボクが沖縄に行くということは、そういうポジションで生きており生かされている自分を感じ直す旅である。

 日本の中で見えなくなっているもの。
 その一つに貨幣に支配される前の姿というものがある。
 江戸時代には都市部を中心に貨幣経済が高度に発達した。だが当時人口の大方を占めた農民漁民には無縁といっていいものだった。そこでは物々交換が主な価値の交換手段だったろう。しかし何より貨幣の多寡によって物の価値がデジタルに決まる、そういう感覚がなかったはずだ。鷹揚というか、それこそテーゲー(大概)な感覚だったろう。
 これは何も日本だけのことではなく、産業革命により資本主義•貨幣主義を成し遂げたフランスやイギリスなどのプロテスタント国と、それに乗り遅れたスペインやアイルランドなどのカトリック国の当時の感覚差もそうであり、それぞれの国柄に現代でも何となく感じられるところだ。

 貨幣に高度に支配された感覚からすれば、皮肉なことに、そうではないモノやサービスに出会ったときに思わず財布のひもが緩んでしまうということがある。

 さて、沖縄滞在最終日。
 朝6時に目を覚ます。メールチェックなどをしていたら、もう7時半。荷造りをしていたら8時。もうワンコイン食堂などで浅めを市を食う時間はない。8時半にホテルを出て、空港へ。交通手段はモノレールだ。
 ボクが初めて沖縄に来た20年くらい前はモノレールは計画だけだった。那覇市の担当の方は来年にも工事が始まり2年後には走り始めるような口ぶりだったが、できあがったのはそれから15年以上もたってからだった。
 朝日の中を那覇の町並みを眺めながら空港へ。
 9時半にチェックイン。飛行機の出発時間は10時半過ぎ。ゲートに入るまで30分ほどの時間がある。なら、エンダーだ。

 昔の那覇空港の、あまり観光客に知られていなかった3階の食堂。地元の人しか居なかったそこは沖縄滞在の最後の時間を過ごす最高の場所だった。
 そしていま。
 那覇空港の3階になるんだろうか、ファストフードのカウンターの列にボクは並ぶ。
 自分の番になって、カウンターの上のメニューを見ながら頼むのはハンバーガーのセットメニュー。
 「お飲物はどうされますか?」
 迷わず「ルートビアで!」である。

 席に座って、まずルートビアをグーッツと飲む。子供の頃筋肉痛になったときに貼った湿布の薬臭い匂いのような独特の香りが口の中に広がり鼻孔から抜ける。あ〜これこれっという感じだ。明らかに日本人の感覚と違う飲み物。これもひとつの戦争遺跡といえるかも知れん。
 そしてカールした独特のカタチのポテトをつまむ。

 さて、上の2枚の写真。一枚目と2枚目の違いはわかるだろうか。

 ポテトが減っている。

 だが、ルートビアは増えている!

 この体験がまた奇妙で面白いのだ。

 エンダーではルートビア飲み放題。この日払っているのはわずか数百円のセットメニュー代。たとえルートビアを単品で頼んでも、やはりおかわり自由。というかピッチャーでわざわざ注ぎにきてくれるのだ。
 だから2枚目の写真は注ぎ足してもらった2杯目。
 この経済原則を無視したような価値観。
 これを沖縄の最後に確認しながら、薬臭いルートビアを飲み干しハンバーガーを食う。

 さて、飛行機の時間が迫ってきた。
 ボーディングブリッジを渡る瞬間からいつもの風景となり、ボクは日常へと戻るのである。


〔お店メモ〕
沖縄県那覇市鏡水150 那覇空港ターミナル内
ここでお客さんを見ていると、お客には沖縄マニアとウチナンチューの利用が多いようだ。リゾート&修学旅行系一般観光客は少ないように見える。

イメージ 1

 地域のコトバでしか伝わらないことがある。
 だがそれ以外の地域の人々には極めてわかりにくいコトバもある。

 「ありひゃー」。
 なんとなく驚いているというか、その光景を見ている側が驚くという感情をコトバに出すことで、その光景の人物に注意喚起する…というところだろうか。
 コトバ的には「あれぇ!」に近い感じだ。

 「うかーさんどぅ!」
 これは難解だなぁ。
 標準語の5音は「あいうえお」であるが、沖縄の5音は「あいういう」となる。「え」音は「い」音になり、「お」音は「う」音になる。これは沖縄独特ではなく、九州南部あたりからその傾向が出てくる。
 ちなみに平安時代の5音は「あいういう」に近く、沖縄にはこの時代の発音が残っているという見方が有力だ。熊本のあたりには室町時代の日本語が残っており、鹿児島はもう少し上る時代のものといわれている。
 ちなみに沖縄で「はひふへほ」音を「ファフィフフェフォ」や「パピプペポ」と発音するのも、日本の古語に近い。
 古代には南西諸島から東北辺りまで発音の同質性があったということかもしれない。
 弥生時代から古墳時代を経て畿内に中央政権ができ、文化が地域間交易に乗って伝播されることによって、中央ではコトバが変化を続け、古いコトバは周縁部に残るという文化のドーナツ型伝播とそれぞれの地域への定着という現象が続いた。だから室町時代の日本語は熊本辺りだけではなく、新潟辺りにも残っている。

 さて「うかーさんどぅ」だが。
 「う」を「お」にしてみよう。
 「おかす」という他動詞が元になっているようだ。これを自動詞にすると「おく」。
 これは古語や現代語にある「捨て置く」の「おく」ではないだろうか。
 「その状態を見ていたら、こちらの心理状態として捨て置けない」という気持ちのことばが「おかさん」、つまり「うかーさん」となるように思える。
 だから「あぶないよー」と声をかけるという意味になる。

 どうだろうか、こういう解釈は。

 泡盛のアルコールとステーキの脂質がゴッチャリと混じった血液で活性化(疲弊化)した脳みそで考えてみたんだが。

 沖縄のコトバは、このような古語を使ったパズルというか、推理が出来るから面白い。
 そういえば高校生のときにボクがなついていた先生に大学で何を勉強すべきかと尋ねたところ「これからは比較文化が面白いぞ」とアドバイスを受けた。
 その後ボクはそれを守らずア法学部に進んだのだが、いま思えば確かに比較文化というのは面白い。そういうことまで思い出す那覇の夜である。

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