|
済美の史上初かつ異次元の挑戦はセンバツV程度では留まりません。その実力がフロックではないことを証明するかのように2004(平成16)年の第86回選手権大会には野球王国であり激戦の愛媛を制して見事な春夏連続出場を果たします。春とは異なり夏は大会前から東北(宮城)横浜(神奈川)明徳義塾(高知)らと並んで優勝候補として名を連ねました。しかも創部3年目の済美は夏も当然初出場、いやがおうでも上甲スマイルのミラクルに期待が集まります。 |
高校野球【名勝負編】
[ リスト | 詳細 ]
|
創部間もなく1期生と2期生しかいない済美はそれまで一度も勝ったことのない公式戦で初勝利を挙げると秋の地区大会・県大会で初優勝。勢いそのままに臨んだ四国大会を初出場初優勝を果たしたうえ、明治神宮大会では東北(宮城)と対戦、注目度No.1投手ダルビッシュを打ち崩してコールド勝ちするなど充実した戦力で乗り込んで来ました。しかしながら大会前の下馬評では優勝候補は東北・大阪桐蔭(大阪)や明徳義塾(高知)であって、それらと比較しても格は下に見られていました。 |
|
南予地方と呼ばれる愛媛県南西部に位置する宇和島市は、県の中心地・松山とは気質も文化もかなり異なります。明治政府による廃藩置県の当初は別途に宇和島県の案も実際にあったくらいですし。1982年に宇和島東を率いた上甲正典監督(現済美監督)は、守り重視、セオリー重視の松山商業に対抗するため、パワー野球を推し進めました。同じ土俵でやっていたのでは相手は全国に冠たる松山商業ですから、乗り越えなければいけないハードルは果てしなく高い訳です。 |
|
それは松山商業マウンド上の渡部が熊本工業3番打者・本多に投じた初球でした。内角低めの変化球を捉えた打球は右翼へ高々と舞い上がります。打球の角度、速度、打者の持つ飛距離の能力…全て計算すると打った瞬間に右翼席に飛び込むのではないか、少なくとも犠飛は確実だと万人が感じたとしても仕方がない状況でした。実際テレビ実況のアナウンサーでさえ「これは文句なし」と言った程の打球だったのです。熊本工業の劇的初優勝のホームを目指して3塁走者の俊足の星子がタッチアップに備えます。 |
|
春夏連続出場は12年ぶり、夏の2年連続出場は4回目の全国制覇を成し遂げた「あの夏」以来27年ぶり、夏春夏の3季連続となると60年ぶりとなる強豪松山商業高校野球部史上でも稀有の快挙となる記念すべき1996(平成8)年の第78回大会。ただし直前の2季連続初戦敗退が響き、弱くもないが強くもないと、上位進出については疑問視する向きもありました。しかしチームは夏に向けてぐんぐん成長、その代表格はセンバツでは解説者にさえ酷評されていた2年生投手新田でしょう。 確かに春にリリーフ登板した時には直球・変化球とも特にコメントするレベルになかったのですが、夏将軍の息づく伝統のなせる業なのか、直球には伸びが、変化球にはキレが出てきたのです。そして、春に制球難で自滅した背番号1の渡部が上手から横手投げに変更して復活、完投能力のある2枚看板を武器に大会に臨めることになりました。初戦の東海大三(長野)戦では好調を持続している新田が先発し、想定外の完封勝利。中盤までにじわじわ点差を広げた打線は8回に爆発、4番渡部の3点本塁打などで8−0と圧勝発進します。 東海大菅生(西東京)戦でも打線が好調で渡部の2試合連続本塁打などで終始リードを保ち、突き放しても食い下がる相手の終盤の追い上げを、渡部−新田の絶妙の継投で6−5と凌ぎ切ります。左投手3人の継投が武器の新野(徳島)との四国対決でも、序盤から打線が活発で大量リードを奪う危なげない試合運びで8−2と完勝し、準々決勝ではセンバツ優勝校の鹿児島実業(鹿児島)と対戦することになりました。 初回3番今井の本塁打が飛び出し先制すると、その後も序盤からリードを広げる展開で5−2と堂々の勝利を挙げ、春の王者から夏将軍が主役の座を自力で奪い取ったのです。鹿児島実業には6年前に接戦の末に逆転で敗れており、リベンジを果たした恰好となりました。準決勝では福井商業(福井)に5−3で競り勝ち、ついに10年ぶり、そして夏の選手権では単独で全国最多となる8回目の決勝進出を果たすのです。 決勝の相手は熊本工業(熊本)、松山商業が四国最強なら熊本工業は九州最強戦績を持つ伝統校。私学全盛期の時代にあって永い伝統を持ち、かつ地域を代表する公立校対決の実現は、玄人目に楽しみの尽きない頂上決戦となりました。試合は初回に松山商業が星加・今井の連打から渡部の適時打と熊本工業先発左腕園村の制球難による押し出し等で3点を先制します。 熊本工業は2回に境の適時打、8回には坂田の犠飛で1点ずつ返し、3−2のスコアで9回を迎えます。9回に入って優勝に向かう最後の魂を込めた投球を続ける新田は4番の西本を変化球で、代打松村を速球で連続三振に打ち取り2死無走者、勝利を完全に手中に収めたかに見えました。しかしシナリオでも存在するのではないかと勘違いしそうなくらいのドラマチックな展開は、この土壇場から始まるのです。 むしろこの試合はここまでは凡戦であり、正直ミラクルとは縁遠いと思われていたことでしょう。迎えた打者は1年生の沢村、バッテリーは連続三振の余韻に浸るかのように直球で勝負に行きます。次の瞬間、沢村が思い切り振り抜いた打球は、左翼ポール際に飛び込むのです。起死回生の大仕事!満面の笑みで両手の拳を握りしめてダイヤモンドを一周する1年生と、悔恨の投球に思わずマウンド上でしゃがみ込んだ2年生エース。 たった1球で試合が振り出しに戻ってしまう残酷さ…大歓声の出所が一気に逆転した瞬間でもありました。夏8回決勝進出を果たした伝統の松山商業が経験する4試合目の決勝延長は、「奇跡」がキーワードとなるのです。試合の流れは完全に熊本工業のものとなりました。10回先頭の星子が二塁打を放ったところで新田は背番号1渡部と交代し右翼に下がります。犠打で1死3塁の場面で松山商業ベンチは敬遠策をとって塁を埋めます。 一人歩かせたところで再び選択肢がありました。3番の本多は安打こそ出ていませんでしたが直前の打席では一塁手今井の好守に阻まれたものの痛烈な打球を放っており、飛距離も出る好打者なのです。しかも代わった渡部は横手投げで本多は左打者…可能性として誰と勝負するのか…結局松山商業ベンチの選択は満塁策でした。27年前の延長18回の三沢(青森)との死闘のハイライトともなった15回・16回と連続して訪れた絶体絶命のピンチはいずれも1死からの満塁策だったことを考えれば何と言う因縁、何と言う偶然でしょうか。 1死満塁…それは名門松山商業の避けては通れない優勝への階段の一部なのかも知れません。騒然とした中で、松山商業の沢田監督は降板した新田から本職の外野手矢野へ、右翼守備の交代を命じたのです。右手を回しながら風向きを目視し「その時が来たら」に備えつつ守備位置につく矢野。「代わったところに打球は飛ぶ」その通説がここで現実になろうとは。
|





