ギリシャ生まれのヴァイオリニスト、レオニダス・カヴェコス。
彼が、イタリア生まれの名ピアニスト、エンリコ・パーチェと録音した、
ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全集。 昨年末の発売以来ずっと愛聴してます!
これ、ほんとすばらしいです! 歴史に長く残る見事な全集。
ここのところ、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ録音が相次いでいますが、
その中でも特筆に値する芸術性の高さと演奏のクオリティです。
みその、大切なコレクションのひとつになりました!
ブックレットには、カヴァコスがベートーヴェンへの想いを寄せた一文がありますが、
そこで彼は、ベートーヴェンを故郷ギリシャのパルテノン神殿になぞらえています。
神殿の前に立つとき、それは単なる大理石の建造物以上のもの、
まさに知識と叡智の箱であると感じられるように、ベートーヴェンの音楽に向き合い、
それに近づいていくとき、彼は同じような感覚を受けるというのです。
このメッセージには、彼と名手パーチェとの究極のデュオを存分に味わう鍵があります。
彼らギリシャ・ローマ組、ビザンチン・ラテン組のベートーヴェンには、地中海世界の暖かい
陽光に包まれながら、静謐なテオーリア(観想)を無上の歓びとし、またそこに使命を見出した、
古代の賢人たちの息吹が感じられる、そんな爽やかさが伝わってくるんです。
賢慮によってベートーヴェンのテクストを観取し、均整と中庸を旨としながら、音楽を彫琢していく。
その姿は、ヘレニズムの彫刻家のようであり、アテネの学堂に集う哲学者のようであり、
ローマの都市設計に携わる古の建築家のようです。
第1番から第10番の全10曲は、ベートーヴェンの作曲年代、作風の変化、成熟に即して、
的確にキャラクターが捉えられ、各個性をしっかりと生かす形で、描き分けられています。
基本的にはオーソドックスに、1・2・3/4・5/6・7・8/9/10 という、5つのまとまりを意識し、
それぞれのグループの中で、ある程度、内的に一貫した音楽的理解が与えられています。
もちろん、グループの垣根を越えた相互の関係性や類似性、発展や革新、飛躍なども、
きちんと聴き取ることができ、このへんの周到さも素晴らしいです。
(なお3枚のCDには、楽曲順に収録されていないのですが、けっこう納得できる並びです。)
【収録情報】
CD1
ベートーヴェン:
・ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ長調 作品12の1
・ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 作品12の2
・ヴァイオリン・ソナタ第3番 変ホ長調 作品12の3
・ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 作品24《春》
CD2
・ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 作品23
・ヴァイオリン・ソナタ第8番 ト長調 作品30の3
・ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 作品47『クロイツェル』
CD3
・ヴァイオリン・ソナタ第6番 イ長調 作品30の1
・ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 作品30の2
・ヴァイオリン・ソナタ第10番 ト長調 作品96
レオニダス・カヴァコス(ヴァイオリン)
エンリコ・パーチェ(ピアノ)
録音:2012年
簡単に、各曲について感想を。
①まず、作品12の三連作である、第1番、第2番、第3番。
モーツァルトなど、古典派ヴァイオリン・ソナタの流れを汲む、いずれも3楽章形式の佳曲。
どれもクリアな透明感と明晰なアーティキュレーション、ソノリティの高さに驚かされます。
研ぎ澄まされた音程感覚には舌を巻き、放射する倍音に耳を奪われます。
アーティキュレーションには様式的な反映もあり、ピアノも含めて、音の響きの処理に
細やかな配慮が払われています。
ただし、彼のモーツァルト録音と比較すると良く分かりますが、ただ明澄な透明感だけが
強調されているのではなく、音の濁りや擦れも厭わぬ、厳しいアクセントの打ち込みもあり、
またリズムや音型についても、ときに妥協を許さぬ強調が、音楽に強い構築性をもたらします。
音楽は隅々までよく考え抜かれ、テンションの増減、デュナーミクの調整、
テンポの基本設定と音楽的で理にkなったテンポ変化など、神経がいきわたっています。
しかも、どの要素も、少しも突出したりせず、あざとく聴こえてしまうこともありません。
音楽の流れと全体的なプロポーションの中に、各部分がきちんと収まっています。
エキセントリックなはみ出しはありません。では、音楽が窮屈なのかというと、
そうではなく、聴き手にイマジネーションの自由を与えてくれます。
これらの印象は、残るすべての曲にも言えることで、今回の全集に貫かれた
最も大切な美質だといえるでしょう。
そして、どれも素晴らしいのが緩徐楽章。4番以降の作品も含めて言うと、
変奏曲形式の楽章が特に素晴らしいのです。 変奏曲はこうやって弾くのよ!
②作品23と作品24、見事な対を成している、第4番と第5番《スプリング》
このころになると、ベートーヴェンは、ピアノとヴァイオリンのバランスに苦慮しながらも、
より対等な対話のソナタへと歩み出していきますが、そのあたりの作曲者の挑戦を、
カヴァコスとパーチェは、比較的ゆっくり目のテンポ設定で受け止めます。
ヴァイオリンとピアノは丁寧に、ときには念を押すように、じっくりと対話しながら、
より長大で複雑になった第1楽章のソナタ形式を、緻密に構築していきます。
その際、注目すべきは、冒頭の提示部を軽めに抑えていること。
やっと出てきた短調作品である第4番の不穏な焦燥感とか、
誰もが愛するスプリング・ソナタの心地よい旋律とか、もっと鮮烈な印象を与えるように
弾き始めたって良さそうなものを、このふたりはそうしないんですね。
むしろ展開部に入り、ベートーヴェンの意図したとおり音楽が密度を高めていくにつれて、
演奏の燃焼度が高まり、圧力も高まっていきます。まさに賢慮です!
③ロシア皇帝アレクサンダーへの献呈品、作品30の三連作。第6番、第7番、第8番
この3部昨では、4番、5番で切り拓かれた新境地へ、さらに大胆に歩みを進めます。
6番はやや肩慣らしというか前哨戦の感じがしますが、元々6番の終楽章にするつもりだった
楽章を、《クロイツェル》の終楽章に置き換えたいうことですから、相当気合の入った制作だった
に違いありません。リズミックな個性はベートーヴェンの面目躍如ですし、緩徐楽章の静謐さも
ぐっと増しています。作品30ですから、まだ《傑作の森》より前、つまり中期ベートーヴェンに
入る前と言った方が良いのかもしれません。(それを言うなら《クロイツェル》もですが・・・)
でも、音楽的な充実は目を見張るものがあります。
カヴァコスとパーチェは、この三連作のうち、6と7のペア、そして8番という感じに、
描き分けているようです。6番と7番は、ちょうど4番と5番のペアを、調性と楽章構成の面で
反転させた関係にありますし、8番は続く9番《クロイツェル》との連続性が強く意識されています。
ハ短調の7番は、とても悲劇的な冒頭主題で有名ですが、やはり落ち着いたテンポでスタート。
音楽的なクライマックスは、展開部が進むにつれて高まっていく構成になっています。
一方8番は、しばしば初期のソナタを想起させる、軽やかで明朗な印象がありますが、
ここでは逆に、続くクロイツェルを先取りするような、内に秘めたパトスがたぎる、力動的な演奏です。
このへんになると、カヴァコスの演奏もさることながら、パーチェさんのピアノの構築性が
一段と際立ち、圧倒的な説得力となっています。もう理想的なアンサンブルです!
④作品49はヴァイオリン・ソナタの異端児にして革命児、第9番《クロイツェル》
徹底した自律によって余計な脚色を排し、ベートーヴェンの望んだ音響を彫琢・練磨してきた
ふたりですが、ついに、最も激しくスパークする《クロイツェル》に到達します!
しかし、冒頭の序奏から主部の第1主題提示あたりまで、実に抑制的。テンポも抑えぎみ。
主部が始まるところには、プレストと指定されてるのに。「ちょっと遅すぎません?」って
思う人もいるかもしれないし、みそも、初めて聴いたときはちょっと思いました。
でも、彼らがこれまでのソナタで行ってきたアプローチを考えれば、首尾一貫しているし、
序奏のアダージョの余韻と残像を保ちつつ、漸進的に加速していくアプローチは、
音楽的にもなかなか良いセンスだと思うし、説得力があります。
速度記号を単純に楽曲の時間的な進行速度と見なしてはいけないし、
念を押す形で第1主題が提示されると、ピアノとの掛け合いを何度か繰り返しながら、
かなり早い段階で、ごく自然に、プレストらしい疾駆するテンポに到達していますから、
とても合理的な速度変化だと思います。
逆に、主部の開始と同時にテンポを激変させるのは、やや不自然な感じがするかも
しれません。実際かつての巨匠たちも、徐々に加速していく、大きな構えの演奏でした。
(なおトップスピードに入ってからのカヴァちゃんは、逆にめっちゃ速いです!すさまじい!)
⑤作品96、芸境に遊ぶ自在の世界 第10番
そして最後の第10番。これ、言うことなし。すごい好き。このふたりの演奏。
みそは、オイストラフ=オボーリンの演奏、ヴェーグ=シフの演奏など、
これまですごく好きな10番がいくつかありましたが、それに伍する名演。
ピアノに関しては、パーチェさんの演奏が最高!
9曲にわたるカヴァコス=パーチェの航行を締めくくるに相応しい10番。
ふたたび地中海のきらめく陽光のなかで、穏やかにテオーリアに浸る
ルートヴィヒの姿を想像してしまいます。
2楽章は、まるで観想の祈りのようです! 究極の美しさと慰めに満ちています。
3楽章の変奏曲は、途中で思わず涙ぐんでしまいます。
ベートーヴェンと同時代、啓蒙の世を生きたゲーテは、イタリアに憧れて、
実際に紀行もしました。最期は「もっと光を」とつぶやいて、天に召されたと言います。
ベートーヴェンはイタリアに行くこともなければ、光り輝く地中海を見ることもありませんでした。
でも、ギリシャとイタリアに生まれた現代の名手たちによる、偉大なるソナタの演奏は、
耳の聴こえなくなったベートーヴェンに、こんなふうに語りかけているようです。
「あなたの作品は、こんなにも音が輝くのです。光のように!」
みそ