よし婆

北海道の農家のおばさんの独り言じゃ

実家の事

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父を 送って

昨日のブログに 多くの方たちから、

温かな言葉を 戴きました。 ありがとうございます。








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昨年のお盆に  2番目の姉の お墓参りです。




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昨年9月  父の部屋で 東京から 帰省した 弟の息子と父と私です。







父は 集落の 国政調査とか、 調べ物の仕事を 昭和20年代から、長〜く担当していました。

平成21年の春の叙勲で 藍綬褒章「らんじゅほうしょう」を 戴きました。






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受賞の 時に ↑ 「俺の遺影を 撮っておこう」と。




お酒が 好きで 若干の失敗もありましたが・・・・ 

父は ひたすら農業に励み  真面目一筋に 一生を終えました。

几帳面で  綺麗好きな性格でした。






  
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「香典返し」の挨拶です。



ケア ハウスに入って 一年後に 母が逝って・・・

父の 食欲が 少しずつ  落ちていたのが  気になっていました。

50キロ近く あった 体重も 最後は 40キロを 切っていました。





朝、弟から 電話があり・・・・・・・  急いで 近所の姉に 電話です。

私 「姉ちゃん  お父さんが 逝った!!」

姉 「ええ!!!」


私達 3人姉弟は  車で15分で 集まる距離に住んでいます。





私が  前日の夜 布団をかけてあげて・・・ 

部屋の 照明の 「豆電器」を、残したら・・・・

「真っ暗でいいんだ、 全部 消してくれ」と。


いつも  枕元には 懐中電灯が置いてありました。


姉より 私が 最初に 駆けつけたら 



父は 胸の前で 両手で懐中電灯を  しっかり握っていました。










私は  両親が 元気な時から

「寝ていて 心臓が止まって 逝っても 誰も恨んではいけないんだよ」と。


もちろん、両親とも 「解ってるよ・・・寝ながら 逝くのが 一番の願いだなぁ〜〜」と。




集落の皆さんの 農作業の邪魔ならない 冬に・・・・

入院とか、手術とか、子供達に 迷惑をかけないで・・・

息子が 当直の朝方・・・・

母が逝った  同じ日の   22日の朝に・・・・・・

私の  父は 数え88歳で 母の待つ 天国に 旅立ちました。



出棺の時 棺に花を入れて 冷たい顔を 撫でているうちに

「もう〜 お父さんとは 遇えないんだ」 熱い感情が 込上げてきました。


今は 育ててくれた 両親に  感謝の気持ちで 一杯です。

父が 逝きました。

1月 20日(火曜日)に、東京編を更新して、

翌日に、次回を書こうと思っていたのに・・・・一週間も休みました。


サボった原因は・・・・・今日のタイトル通りです。


今日は 長くなります。





母が逝く、 一年前に諸事情で 父は長年 住んでいた 自宅から

5キロ? 離れた「ケア ハウス」に入居しました。


母は 入院したり 退院したら  弟の自宅で 過ごしていました。


母の不在で  男の年寄りの 一人暮らしを、心配した 色々な・・・・多くの皆さんが

偶然  一室あいたので・・・・・ 進めてくれました。


最初は 入居を躊躇していましたが

「嫌になったら・・・・・帰って良いんだよ」と言うと・・・・

「そうだなぁ・・・」と、なりました。


父は「食事も 美味しいし、職員さんが皆 優しいんだ」と、満足していました。


ケア ハウスに入居して、1年で 母が逝きました。



世間では




夫が逝くと・・・・ 妻は元気になり、長生きする。

妻が逝くと・・・・ 夫は元気をなくし  妻の後を 追うように   逝く。







その通りです。 父は絵に描いたように・・・


元気が 無くなり・・・・


あれだけ 好きだった お酒が 「飲みたくない」と言い・・・・・・・



食欲が 落ちて・・・・・



体力が 落ちて・・・・・


時々、 何かで困ったら、  私の携帯が   鳴り出しました。


私も なるべく 父のリクエストの答えていました。


去年の 春頃から  排便が スムーズにならないと、訴えて、 内科医院で薬をもらっていました。


今年に入ってからも、 便秘を訴えて、 1回内科に行きました。


私は 東京行きで 弟に「3日間 私は居ないから」と、言って置きました。



1月21日に 昼過ぎに ケア ハウスの職員さんから

「お父さんが 病院に連れてって欲しい」と、言っています。と・・・


1時間後に 部屋を訪ねたら  父は ベットで横になっていました。

私 「病院に行くよ」

父 「なんか おっくうだから、明日 行く」と。

私 「良いよ、明日は 8時半頃 来るからね」と。

父 「あぁ〜 頼むな」

私 「だったら  水を飲もうよ・・・」


水を 2〜3口飲んだら、横になろうと して    「ウゥ!!」と 吐きました。

私 「あら〜 あら〜〜」と、着替えをしました。

洗濯機に 汚れ物を入れて、 職員さんに 様子を伝えて 帰宅しました。




でも・・・・ なんだか 心配で・・・・・


夕方 5時頃 再び 部屋を 尋ねました。


父 「夕食は 食べたくない」と。

私 「そうか でも、 味噌汁だけでも 飲んだら」


父 「そうだな・・・」と、3〜4口 飲みました。  そして、水と薬も飲みました。


しかし、2〜3分して、再び 吐きました。


今度は 電気敷き毛布も 汚しました。

私は 着替えを 手伝って 再び 洗濯機を回しました。


父 「明日 電気敷き毛布を買って欲しい」と。

私 「いいよ、病院の返りに買おうね」と。


父は 吐くほど 具合が悪いのに その間に  結構 話をしたのです。

しっかりと、話もしますし、 「もう暗いから お前は早く帰りなさい」と。

私は 車で自宅に 向かいましたが・・・・・

冬の今 布団が 冷たいのは 「可哀想だ・・・」と 近所のホームセンターに行き

電気敷き毛布を購入して、3度目の 部屋の 訪問です。

私 「今 電気敷き毛布を買って来たから・・・・ 父さん ちょっと布団から出て」と。

父 「おぉ〜 すまんなぁ〜〜 どれどれ」と。



私 「さぁ〜  暖かくなったから、 寝て良いよ」と。

私は 布団をかけてあげ 「じゃぁ〜 明日の朝ね」と。


この会話が 最後になりました。


私の弟は この  ケア ハウスの職員なのです。

そして、弟が当直の日なのです。

私が 弟に 父のあれこれを話「じゃ 明朝に来るょ」と。




弟は 夜9時に、 夜中12時に、 午前3時に、見回っていました。

もちろん、 「す〜 す〜 」と寝ていました。

朝、7時に 弟は 父の   体温を計ろうと・・・・ 






父は  冷たかったのです。



私は 朝ごはんを食べて、仕度をしようと・・・・    携帯電話がなりました。


弟 「アネキ・・・・・・・・」



私 「どうしたの?」


弟 「死後硬直が始まってる!!!!」



まさか・・・ まさか・・・


体力が 落ちていたので 近いと思って いたのですが・・・・・


検視では  午前4時〜5時頃に  急性心不全で 亡くなりました。



父は 自室の布団の中で 寝ながら、逝きました。


3月が誕生日で  お正月には  「俺は 今年 米寿だぞ」と言っていました。

2年前に逝った 母の元に 旅立ちました。


明日  続きを書きたいです。

母が  逝きました。

晩秋から、 3月まで、ブログをサボっていた理由の1っでした。

母は昔から、手足が冷たい体質でした。



昨年に2回ほど書きましたが・・・・





お正月に「左足の親指が痛い・・・」と、  





1月4日に「札幌心臓血管クリニック」に行き、

今回は3週間の入院で・・・・カテーテルの治療を3回行いました。


冬で良かった、ずっと付き添いました。



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足の痛みも落ち着き、母も機嫌よく過ごしましたが、医師からは

「お母さんの両足は血液が流れにくい 『体質』です。これからも色々あるでしょう。」と。





札幌の病院から 苫小牧の病院に転院して担当の医師からも

「お母さんの血管は非常にもろくなっています。 心臓も弱っています。

万が一があるかも・覚悟しておいて欲しい・・・」と。







母は食欲もあり、リハビリーでベットから車椅子の移動の練習をしていました。

私も、夕方か夜、毎日・用事がある時は1日置きに病院に行き励ましていました。

「プリン・桜餅・飴・アイスクリーム・・・・etc」母が喜ぶおやつも一緒に。






4月6日の夜、病院から「至急来て欲しい・・・」。

足の付け根からの出血です。



私達 三姉弟は事前に何度も・・・何度も・・・・何度も、色々と相談して、

もしも、の時は「傷みを取る治療はして欲しい・必要以上の延命治療は止めて欲しい」と。





6日の出血以来、入れ歯を外して、上手く話せなくなりましたが

うなずく事は出来ますので 

私が「母さぁ〜ん、昨日より、痛みは薄くなったでしょ」と


母は 「・・・・・うん」

私が 「雪が解けたら、家に帰るよ」と。


母は「・・・・うん」と。






三人の、そして父の願いは通じませんでした。

22日朝、母は84歳の生涯を終えました。


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病室で母の荷物を整理し、壁にはカレンダーが  一枚残りました。





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ベットで2人で一枚。

私が右腕を伸ばして撮影しました。




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祭壇です。

お葬式って・・・・・「いとこ会」ですね。



お年寄りの葬式は、悲壮感も無く、近状報告の場ですね。


お通夜・告別式には多くの方が出席してくれました。

36年前かな、先に天国へ逝った、2番目のお姉ちゃんのご主人と甥っ子も駆けつけました。


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左から 義兄さん・ 姉・ 甥っ子 ・私。






最後に姉は考えた、お礼文です。

良かったら、クリックして読んで下さい。

画像の始末を忘れたので、白い紙を張りました(恥)

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出棺の時、涙もろい私は、激しく涙が出ると想っていましたが

涙が出ないのです、こみ上げてこないのです・・・・

自分で「なぜ   涙が出ないんだ」と不思議でした。








今頃、母は・・・・先に逝った、2女と遇い・・・・




「千栄子、お前の産んだ息子は、ご主人が立派に育てて、大学に入り

成人して、今は銀行に勤めて、結婚もしたんだよ」と、報告しているでしょう。

再び 札幌で一泊2日

3月の末に 母の足の治療で札幌の循環器の病院で

行った日記を ↓ 書きました。 時間と心にゆとりのある方はクリックしましょう。







前回は右足でした。

7月末から、母は「左足の傷が痛い〜〜」と訴えました。

私が 「札幌の   あの・・・病院に行く?」

母は 「あそこは痛いから   嫌だ!」と

私は 「どうせ、傷みでどうしょうもならなくなったら、行くんだろうなぁ〜」と、思っていました。



私の推察通り・・・・・8月15日に

札幌心臓血管クリニックに行って来ましたわ(疲)



母は、前回の治療で痛さも時間の長さも解っています。

今回は、自ら・・・・覚悟を決めて行ったので、治療も時間も痛さも全部少なくて済んだのです。


手術室から出てきた母は 「今回は思ったほど痛みが少しだった・・・」と(ホッ〜)


翌朝は左側のふくらはぎがポカポカです。

母も触って 「あら〜 暖かいねぇ〜〜」と嬉しそうです。

これで・・・・・左足の傷は少しづつ直るでしょう。





ブログネタを探している私は・・・・・

病院の窓から見える3月の雪の畑が一番気になっていましたわ。


それで前回 ↓ は

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今回は↑ です。


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ひまわり畑でした。

近くで撮りたかったですが、無理でしたわ(悔)


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病院の真下は  田んぼでした。

「どこかの小学校の・・・・・田んぼ」と看板が立っていました。

札幌の郊外と言えども・・・・・坪単価はいくらなんだろう。

札幌へ1泊2日

私の母は昔から、手足が冷たい体質でした。

最近は特に足に傷が出来ても直りにくい状態でした。

血液が隅々まで循環しないので

特に足首より下の小さな傷も治りにくいのでした。



先日右足の傷が「痛いぃ〜〜」と訴え、循環器科を受診したら

先生 「お母さんの足の血量は、ふくらはぎで半分以下、足の甲は30%以下でしょう」と。

私  「そうですか」


先生 「でも、札幌の専門医院でカテーテル治療で大分改善されますよ」


私  「でも83歳の老母を連れて札幌まで、何度も行けません」

先生 「いいえ 1泊2日です。 札幌の病院から、こちらの病院まで車で迎えに来ますよ」


私  「えぇ???・・・・ちょっと考えさせて下さい」




父に相談しても「さてと・・・・」と、返事が出来ません。




姉と弟に相談して  「どうなるか・・・・駄目で元々で、1度見てもらおう」と決まり・・・・



3月28日、月曜日 母と私で札幌の「札幌心臓血管クリニック」に行って来ました。

病院の名前の通り「心臓血管」では北海道で1番だそうです。



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苫小牧市の病院をお昼に出発して、高速を使い1時間半で到着です。



病室に入ってからも事前の「検査」「検査」「検査」で夜になりました。

夜ご飯も食べ・・・・そろそろ呼ばれるかな??


夜9時を過ぎても呼ばれず、ナースステーションに行くと

「もう少し待ってくださいね」



もう母も私も待ちくたびれましたよ・・・・

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急患も入ってくるので、その分遅くなります。


呼ばれたのは 夜10時半だったかな。

エレベーター前で「母さん、頑張ってね!!」


戻ってきたのは・・・・・・深夜1時半でした。

先生はかなりの人数いらっしゃるようです。



私 「母さん、どうだった??」

母 「怖かった、痛かった、辛かった・・・・・もう嫌だぁ・・・・」と

看護師さんが治療をした右足を動かしたら いけないと、

右足を紐でベットに縛られ「右足は動かしてはいけません」と言われました。




私は疲れ果てて・・・・借りた布団で3時間ほど爆睡しましたが

母は、治療の傷みと緊張とショックで・・・・・ほとんど眠れなかったようです。

朝5時半に 私は「おはよう、 母さん気分はどう??」

母 「ぜんぜん眠れなかった、もう朝ご飯 要らないから、早く帰ろうょ・・・・・・」




朝ご飯前に先生から説明がありました。 

母と2人で聞きましたが耳が遠いので、何処まで聞こえたか?

足の付け根の動脈から、カテーテル治療で「血管造影」で血管の細い所を見つけ

「バルーンカテーテル」とかで血管を元の太さに戻した治療をしたようです。

足には太い血管が3本あるそうです。

2本は難しいそうですが1本は良い状態に戻ったそうです



「だいぶん、良くなったと思います、少しこのまま様子を見ましょうね」と、言われました。



病室に帰り先生の話を説明しましたが、

なにしろカテーテルの治療が、それは〜それは〜 痛かったそうで・・・・。




これで母の足が少しでも温かくなり、傷が治り易くなったら、嬉しいです。

母はこんなに痛い目に遇わせた私を「馬鹿娘」と恨んでいるでしょう(笑)




札幌と言えども北49条です。

病室の窓から、ビニールハウスが見えるのです(唖)

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たぶん「たまねぎの苗の育苗ハウス」でしょう。

ビニールハウスを見ると・・・・「中は何かな」と、職業病ですわ(笑)

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