よし婆

北海道の農家のおばさんの独り言じゃ

実家の事

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片手

今日は、母の話をします。

母には男の兄弟が3人います。

そして、姉が1人いました。

もう皆、あちらの世界に逝ってしまいました。





30年以上も前の話です。

ある日、お姉さんから1本の電話がありました。

お姉さんは自分の実家の近くに住んでいました。



実家でお墓を立て替える話が出て、

決まりかけていたそうです。

その話を聞いたお姉さんは、

御主人と相談して幾らか自分もお金を出そうか計画をしたそうです。




父親・戦争で逝った兄・大きな怪我で逝った弟が眠っている「お墓」

その時は健在の母ですが、いずれ入る「お墓」です。

娘として、いくらかお手伝いをしたいと言う「気持ち」


姉  「今度実家でお墓を立て替えるそうだよ〜〜」

妹  「そうだね〜 お墓、もうボロボロで字も読めないくらいだものねぇ〜」

姉  「そうだよねぇ〜〜 それで私もいくらか出そうと思ってさ〜」

妹  「いいねぇ〜 たいした事は出来ないけれど・・・・・わたしも「気持ち」だけ手伝うわ」



姉  「ところで・・・・・いくら位   かなぁ〜??」

妹  「そうだなぁ〜〜    ねぇちゃんはいくら??」

姉  「ん〜〜片手かな?」

妹  「あら〜〜  私は3本かな?」

 




皆さん・・・・・





どう想像しましたか?





日本人は奥ゆかしく・・・





特にお金の話は、はっきり言いません。





貧乏農家の母は「片手」と聞き・・・・・









「5000円」と思ったようです。




・・・・・・30年以上前の話ですからね〔恥・汗)・・・・






もちろん、苫小牧市に住んでいるお姉さんは





「5万円」と言ったつもりです。




金額が合わないので、会話をしているうち、大爆笑になったようです(呆)










昔、日本を代表する商社会社の幹部が、車の後ろ座席で片手を出し

それを見た人が「大きいほうですね?」

『決まっているじゃないか!」

その言葉で「5億円」が動いた話はその頃です。





同じ「片手」でも





えらい違いです・・・・・。






皆さんは片手を出して「これだけ!」と言った事ありますか?

凹んでいます。

今日はちょっと凹んだ話を書きます。




実家の事です。

実家の両親は、もう80歳を過ぎました。

母は15年位前かなぁ〜〜

長年の疲労で、足首を壊して、2度の手術をしました。

しかし・・・・治らす、びっ○をひいて歩いています。

そして、自分の母親と同じように、年と共に腰が曲がってしまいました。

ここ数年、曲がった腰にびっ○をひきながらやっと歩いています。



2度の手術のあと、週1度の町のディサービスを楽しみにしています。

「同じ服を着て行けないょ」なんて言いながら、楽しみに行っています。






母はもう1っ病気を持っています。

寒くなると、手足の先に血が行きにくくなる病気です。

「血が行きにくい」と言う事は、傷が出来ると治りにくい・・・と言う事です。

3ヶ月前に、膝を付いて庭で草むしりをしていて、傷み出しました。

病院で検査をした所、「どうも、膝の下に石灰らしきものがある」と言われました。

石灰が悪さをしているのではなく、普通に人なら、簡単に治る程度の傷です。

やがて、膝のすぐ下が化膿したようになり、

その病院にずーと通院していましたが、なかなか傷が治りません。

だんだん「ズキン!ズキン!!」と傷み出しました。

病院も「通院が大変だから・・・・簡単な手術だし、入院設備のある所で思い切って

手術してもらいなさい」と言われ・・・・・

しばらく「もっと痛くなりそう・・・・」と最初駄々をこねていましたが

痛みには絶えられず・・・・・1週間前に紹介状を持って行きました。



レントゲンを見ながら、整形外科の先生は最初「ん〜〜」と言い

紹介状を書いた先生と電話で話した結果、

「手術自体は簡単ですが、血の巡りが悪いって事は治りも時間がかかりますょ!」

言われましたが、1週間前に入院して、月曜に無事手術も終わり

今、ベットの上で静かに傷の直りを待っています。






さて、今度は父です。

真面目1っで、頑張った父ですが・・・・・

80歳の声と共に・・・・1番嫌な事になりました。

軽く「痴呆症」になってしまいました。

前から母は「おとうさん、最近元気がないんだ・・・」と言いていましたが・・・・

字を書いていて簡単な所を2〜3回も間違えて・・・・「ハッ」としました。



病院に行って「MR」で見てもらい

「軽く、痴呆症が見られますよ」と言われました。

軽い薬をもらい飲んでいます。

その病院では「こういう方はなるべく人と交わって方がいいんです」と

昨年の春から母と一緒に週1度の「ディサービス」にも行っています。

でも体はどこも悪くなく、家では軽い仕事をしたような・・・散らかしたような(笑)

車も近所だけ運転しています。

運転はちょっと心配して相談したら、デイサービスの方も

「少々危険だけど近所のみだし、車を無理に取り上げるのはどうかなぁ〜〜〜」

と、買い物や母の通院に行っています。







さて・・・・今年、6月の上旬にデイサービスで昼ごはん後の

父が「なんだか、胸がムカムカする・・・・・吐き気がする・・・」と、言い出し


電話で呼ばれた姉が町の病院に連れて行きました。

そこで見てもらいましたが、症状が治まらず、今度は苫小牧の病院へ行きました。

苫小牧の病院では「胃拡張かなぁ〜〜少し入院して検査しましょう」

と、急きょ入院になりました。

もう夕方でしたので、姉は「ここにいたらムカムカも治るよ」と言って帰りました。

しかし、朝起きた父はもう元気で「母が心配だから、すぐ家に帰える!!」と言いだしました。

看護士さんが「まぁ〜まぁ〜」と言っても聞きません。


昼過ぎ・・・・3時ごろかなぁ〜〜〜

私の携帯電話に婦長さんから「お父さんが、妻が心配だから、ど〜しても帰る・・・・」と。

私は主人と飛んで行きましたよ〜〜〜〜

父は廊下で怒った顔で「遅いなぁ〜〜〜」

私・・・「もう〜〜〜」

たった1泊で病院をわがまま退院しました。


結局、後日胃カメラを飲みましたが何事もなかったですが・・・・疲れました(ハ〜〜〜)






そして、母が入院して1人で留守番をしている父ですが

金曜日の3時ごろ、デイサービスの係りから私に電話で

「お父さん、又、胸がムカムカすると、さっきからトイレに出たり入ったりで・・・・」

又、飛んで行きました。

そうしたら、「前に入院した病院に連絡を取ってあり、すぐ行って下さい」

私、嫌な予感が・・・・・・・・・・




私、車の中で「お父さん、又入院かもね?」

父   「そうだなぁ〜〜〜」

私   「心配はあるの?」

父   「かあさんも今は入院しているから、心配はないよ」 



前科?がある病院に行き診察の結果「胃拡張だなぁ〜〜入院だよ」

看護士さんが

「前の事もありますので、付き添いをお願いします」

私      「あの・・・・ず〜と、ですか??」

看護士さん  「はい!」



私、父のベットの下で寝ましたが・・・・眠れませんでした。

この2〜3日はいいが、これからどうしょう・・・・・・

姉も弟も私の電話で「絶句」です。






次の朝、婦長さんが病室にニコニコして入ってきました。

婦長さん 「○○さん、今回・・・・心配はありますか?」

父    「いいえ、かぁさんも入院しているので何も心配はありません」

婦長さん 「よし婆さん、大丈夫だから付き添いは結構ですょ(笑)」


父は前回と違い・・・・・今の所、すごくいい患者です。

今回、母の入院・手術・父の入院・付き添いで










疲れました。

実は・・・・・・父は2階で母は3階です。同じ病院です。ハイ

捨てられない

今度、実家で法事があります。

2日前に法事の支度が進んでいるか、いってきました。

私 「どう?」

母 「仏間の整理がねぇ〜」

私 「どれどれ??」

なんたって80歳の爺と・・・80歳の婆、2人だけの生活です。

茶の間の隣に8畳間で・・・そして仏間です。

8畳間と仏間に「なんだ・かんだ」あるんです。

仏間は朝にお参り出来ればいいんです・・・・


母 「今度、整理するよ・・・」

私 「私も時間が出来たら来るよ〜」


それで今日アルバイトの後、まっすぐ行きました。

こうゆう時実家が近いと便利だわ




仏間の隣に10畳の部屋があります。

8畳&仏間の「なんだ・かんだ」を10畳間に移動しよう。

・・・・って事は10畳の部屋の「なんだ・かんだ」を整理しなければ、いけませんねぇ〜〜

足の悪い母です、椅子に座ってもらって手はださず口だけ参加です。


私 「これは、捨てようね!」

母 「うん、それはいらない・・・・・・・でも、それは駄目!」

私 「これなんか、しばらく使ってないでしょ!!」

母 「それはもったいない!!!」

私 「もう、片付かないでしょ!!」


○時間・・・・母とのバトルです。

やっと10畳間にスペースが出来て・・・・・・

8畳&仏間の「なんだ・かんだ」を10畳間に「押し込めました」

やっと法事のスペースが出来ました。(ハァ〜〜)



仏間に作りつけのたんすがあります。

上はクローゼットで下に2つ引き出しがあります。

私 「なにが入っているの?」

母 「解らん!」

私 「どれどれ」

しばらく 「開かずの引出し」です。渋くて・・・・・渋くて・・・・

ひきだしの中から出てきた物は・・・・・・・・・・・・・・











イメージ 1

来年還暦になる姉の成人式の振袖です。

もう40年前のきものです。

母 「このきものは高かったんだ・・・」












イメージ 2

姉妹の最後にうまれた男・・・・・弟のきものです。

1枚は綿が入って作りです。

強く引っ張ったら破れそうです。

52年前の物です。













イメージ 3

姉から順番にお下がりで着たきものです。

女3人いると結構ありました。

お金などないのに子供に着せたくて、無理をしただろうなぁ・・・・・







捨てられない両親の気持ちはよくわかります。

貧乏だったのにわが子に着せたい親の気持ち。

捨てないでいたんだね・・・・



母さん、ありがとう・・・・・・・・・・・・・・ただ、感謝です。

幌加内町   添牛内

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

私の父は、夕張で生まれました。
小さい頃、じぃちゃんの仕事の都合で
自分の生まれた、幌加内町 添牛内(そえうしない)
と言う、集落へ、引越ししたそうです。

とにかく、冬は雪が多くて、11月に
1階の窓に雪で窓のガラスが、破れぬよう、
板を打ち付けた、そうです。

家の中から窓の上の方を歩く、通行人の長靴が
見えたそうです。
その気になったら、電線に触れるくらい、だったそうです。

じぃちゃんは「木こり仕事」であっちの山、こっちの山と
出稼ぎが、多かったそうです。

ばぁちゃんは、近所の農作業の手伝いをしていたそうです。
春は「田植え」 夏は「草取り」
秋は「芋ほり」だったそうです。

特に秋は猫の手も借りたい時期
父も小学校の頃から、学校を1ヶ月も休み、
「芋ひろい」の仕事を子供ながら、半人前のお金を稼いだそうです。

昭和20年 ばぁちゃんが「使われるのはもう、いやだ
貧乏でも、自分の土地を持ちたい。」と
今度は、ばぁちゃんの生まれた、今の住所に
引越して来ました。

ばぁちゃんは自分の兄弟がいたので、何とか、猫の額の土地から
こつこつ、じぃちゃん、ばぁちゃん そして、父も母も
私たち、兄弟、皆がんばり、今の実家になりました。

父は80歳 母は79歳
最近がもう、すっかり歳を取りました。

昨年の秋頃から、いつ何はあるか解らないな〜    と思うように、なり
今まで、私達、子供皆、自分の事で精一杯。

昔から「俺の育った、田舎をお前たちに見せたいな」
と、言ってた言葉を思い出し、

皆でどこにも、行った事が無いので
「父の育った、土地を見に行こう」 と 

今日、1日、父・母・姉・私・弟と5人で
幌加内町 添牛内に行って来ました。

今は昔の賑わいもなく、静かな、集落でした
小学校も廃校して、取り壊され、体育館と校門だけ
記念の石碑が静かに立っていました。

小学校の前のお店のおばさんがいて、
父が懐かしく話しをしていました。

住んでいた、所を捜しましたが、道路も変わり
わき道が解らず、「確か  この辺かなー・・・」
傍まで、行けませんでしたが、父は満足そうでした。

帰りに道の駅「ほろかない」で名物のそばを食べてきました。
ごちそうさま!!
往復約440キロでした。

5人それぞれ、胸に何かが残った、ドライブでした。

姉の事

今日は少し、長くなりますので
時間のある方、読んで下さい。
私は4人姉妹です。
5月14日の日記に書いた弟と
2人の姉です。

今日の話は下の姉です。

上の姉は、今58歳です。
下の姉は、生きていたら、今56歳です。
今日6月24日が命日です。
亡くなって、もう34年になりました。

姉は22歳の時、縁があり、幸せな結婚をしました。
1年半後、男の子を出産しました。
6月7日でした。

1週間後、無事退院して、実家で産後を過ごしていました。
姉は、昔から、神経質で気持ちの細い姉でした。
実家で過ごすうち、「下痢をした」「ミルクを吐いた」
「夜泣きが多い」などなど、だんだん、元気がなくなりました。

義兄も母も「どーってことない」「こんなもんだ」
と、励まし、慰めて  いました。
しかし、だんだん、一人落ち込んでいきました。

今と違い、まだあの頃は、母も現役で
農作業も色々ありましたので、ずーと
そばに着いている訳にも、いきませんでした。

義兄は昔の国鉄の運転手で、シフトを組まれ
急に、「休む」とはいきませんでした。

姉はそのうち「赤ちゃんの鳴き声がいやだ」
と、言い出しました。
義兄は近くの町医者に姉を連れて行きました。
土曜日でした。
姉は先生に、辛い胸のうちを、色々と話をしたそうです

先生が帰りがけ、義兄の耳元で
「奥さんを、神経科に連れて行きなさい」と言われました。
日曜日、義兄は仕事に出かけました。
「お母さん、月曜日に神経科に、行きます。今晩はよろしく頼みます。」

母も気を付けていました。
また、その晩は特別、赤ちゃんが泣いていました。
「母さん、今夜1人で寝ていい?」
「うん、いいよ 赤ちゃんは母さんが見るよ」

夜中、12時頃、母が姉の部屋の見ると・・・・・・・・・
布団は 「から」でした。
母は「まさか!!!!」
と、父、弟、じいちゃん、近所に嫁いだ、上の姉夫婦

そのうち、近所の人たち、そして、集落の皆さん
捜して、さがして、さがして
夜が明けてくる頃、「まさか、ここか」と
川の水門に、皆集まりました。
やはり、最悪でした。







23歳で自分から、天国に逝きました。
生後17日の赤ちゃんを、 置いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



私はこの時、実家から離れて、働いていました。
朝早く、母から電話で「千栄子が死んだ・・・・・・・・・・・・・・」

通夜  告別式  たくさんのお参りでした。
火葬場で義兄がお棺にしがみつき
時間だけが、過ぎていきました。






義兄は自分のすぐ上の兄に子供の世話を頼みました。
数年後、縁があり、今の奥さんと再婚しました。
甥っ子も義母の愛情ですくすく成長しました。
気さくな、奥さんで、3〜4回、実家にきた事もあります。


2年前、義兄から実家に「お父さん、妻の33回忌をするので
お母さんと来てください」と。
車でちょっと、距離があるので、
迷った母から電話がありました。
「いいよ、私が運転するよ。行こう!」

私は甥っ子にはもう20数年会っていませんでした。
国立大学を卒業して、金融関係の仕事をしているそうです。
お坊さんと義兄と奥さん  そして、甥っ子
父・母そして私      全部で7名の法事でした。


お参りが終わり、お食事の時に義兄が
「早いものです、 33年経ちました。
あの時は、1人どうしょうかと、真っ暗でした。
息子も1人前の社会人になりました。
お父さんのお母さんも、良くきてくれましたね。」


こちら3人、鼻水をすすりました。
帰りの車の中、父と母が、かわるがわる
「良かったなー 母さん」
「父さん、お参りは、これで最後になるねー」
と、言っていました。

私たちを嫌がることなく、呼んで下さった、
奥さんに感謝しました。

甥っ子も昨年、職場の女性と結婚しました。
父と母は今でも時々、「千栄子が生きていたら、○○歳だな・・・・」
 と・・・   死んだ子供の年を、数えています。

今でしたら、「メンタル」とか「心療内科」とかありましが
あの時代・・・・・・義兄もどうする事も出来なかった・・・・・

今日は長くなりました。
最後まで、読んで下さった方、ありがとうございました。

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